「今のところ、こんな感じかな」
「そうか」
「それでも、ラルレは、またいつか会いましょうねと言ってくれたよ。その時は、妃を連れてくるからって……」
ネルは、泣きそうに声を震わせていたが、泣くまいと思ったのか、ぶんぶんと頭を振った。気を取り直したように暖炉の前から立ち上がり、アルベルに歩み寄る。アルベルは、その行動を目で追っているので、すぐ側までネルが来てしまうと、上目遣いになった。するとネルは、なぜか少し可笑しそうに笑った。
「見上げられると、いつもと違うから、なんだか変な感じ」
「ふん」
「ねえ」
ネルは、その場にしゃがんだ。アルベルの目線が、下になる。
「腕」
と、ネルはアルベルの左腕を指差した。肘から先が無い腕だ。
「義手を外したところを見たことがなかったからさ」
「……」
「少し、触ってもいい?」
「なぜだ」
即座に聞き返す。語調が強かったので、ネルは、両の手のひらを前にかざした。
「あ、ごめん。嫌ならいいんだ」
アルベルは、自分の腕を見て、少し考え込む。
「好きに、しろよ」
許可が下ったので、ネルはそっと指先を前に伸ばし、アルベルの腕の先に触れた。包帯を巻いているので直接肌に触れることはなかったが、ほとんど生身の形のままだ。上腕の先は、丸くなっている。ネルは、そこに軽く手を触れ、尋ねた。
「ここって、感覚あるの?」
「一番先は、ない。神経がねえから」
「そうなんだ」
「でも先だけで、あとは普通にある」
腕を見たままネルは真剣に頷き、今度は上腕に触れる。
「あんた華奢だし、二の腕も細いのかなって思ったけど、案外筋肉あるんだね」
「そりゃな。義手を動かさないとならんし」
「前から思ってたんだけど、義手の指先って動くの?」
「動くが、滅多に動かさない。からくりを胸や右腕に繋がねばならん。面倒くせえから振り回してるだけのことが多いな」
「ふーん……」
「……」
いつまでも興味津々で腕を触っているネルに、アルベルは、だんだんと気分が悪くなってきた。
「悪い。離れてくれ」
「あ、ごめん」
パッと手を離し、立ち上がって、ネルは数歩後ずさった。アルベルは顔を伏せ、身動きせず、自分の左腕を押さえる。ぐらぐらと眩暈がしてきて、頭の中に黒い霧のようなものがかかる。その黒い霧の合間に、いつか見た赤い光景が甦った気がして、血の気が引き、固く目を閉じた。
しばらく黙り込んでいたが、ふと音が聞こえて顔を上げると、いつの間にテーブルのある場所まで移動していたネルが、置いてある義手に手を伸ばしてるところが見えた。
反射的にアルベルは叫んだ。
「触るなっ!!」
ネルはびくっと震え、アルベルが目をつり上げていることを悟ると、慌てて手を引っ込めた。アルベルは自分が急に大声を出したことにハッとして、視線を左右させた。
「あ、わ……
悪い……」
「……いや」
ネルは笑みを浮かべ、気にしていない、と首を振った。
それから、沈黙が下りた。時おり暖炉の木のはじけた音が、静けさの中に響いた。燃える炎が部屋を朱色に照らしてはいたものの、実際、暖炉の火だけでは大して部屋は温かくならなかった。
「……だめなんだ」
アルベルは、溜息のような声音で、ぽつりと呟いた。
「まだ」
「……だめって、何が?」
ネルが困惑気味に首をひねる。アルベルはうつむいて、眉間を寄せながら吐き捨てた。
「腕に対して、抵抗があるんだ」
「……」
「義手にも、これにも」
左の上腕を少し持ち上げ、言う。
「本当は触れられるのも、だめだ。たとえ医者でも」
「……そうなんだ」
「俺は」
アルベルは、前髪を揺らして顔を上げ、ネルを見た。
「俺は、お前に触れられない」
「え?」
「この腕だけは、だめだ」
力無く首を振る。
「義手をすれば、幾分ましだが……それでも」
「……ごめん」
ネルは、怯えたように口に手を当てた。
「ごめん。私さっき」
「いや」
「私が、触った」
「かまわん。……かまわんが」
今だけは、ネルに対して「気にするな」や「心配するな」といった類の言葉をかけてやることはできなかった。アルベルもまた、自分の中にどうしても克服できない部分があることに怯えていたのだった。
「……触らない、ことが」
切れ切れに続ける。
「お前を、不快にさせるの、なら」
「そんな……不快だなんて、そんなこと。思うわけがない。あんたが嫌だと思うことは、私だって嫌だよ」
「……だが」
唇を噛む。ネルが必死に気遣ってくれていることと、自分の中にある認めたくない真実を言葉にしなければならないことが、本当につらかった。
「だが、人は、求めるだろう」
「……気にしないよ、私は。気にしない」
「……」
「あんたがつらいのに、無理して触ってもらおうなんて思わないよ」
ネルは、いつになく暗い様子でいる男を懸命に慰めるように、明るい声を出した。
「いいよ。あんたがいいと思った時で。いくら時間がかかっても大丈夫だよ。触られないまま一生終えたってかまわないし」
微笑を浮かべるネルの姿が本当に切なくて、見ていられなくて、どうして自分は想う人にこんなことを強いなければならないのだろうという情けなさで、目を伏せた。
「しかし……」
「欲求不満で嫌いになることなんて絶対ないから、大丈夫」
「……」
ネルの優しい口調に、アルベルは瞼を閉じ、
「……すまん」
と、一言、謝った。
→
|