それからしばらく、ネルは声を押し殺して泣いた。たまらなかった。アルベルの優しさと、正しさと、そして惑わされない美しさが。捨てようとしていたものの重さが、押しつぶすかのようにのしかかる。
 自分は与えられてばかりだ。己の愚かさに気付かされるばかりだ。いつまでも情けなく同じところをぐるぐると迷ってばかりで成長しない。アルベルは、人よりずっと前にいて、色々なことを感じ、学び、身につけ、後に続く人々に教えてくれる。自分は、そんな尊いものを捨てようとしていた。正しさを惜しみなく与えようとする人間に愛されたことさえも、なかったことにしようとしていた。
 こんなに遠い国にいても、離れていても、心の奥では彼を想い続けているのだ。たとえ他国に行っても、アルベルのことを忘れられないだろう。王子からどんなに愛をもらっても喜べず、いつか王子の心を深く傷つけるだろう。
 問題なのは、傷の数ではなく、傷の深さなのだ。

「……私、いやだ」

 自分がシーハーツから、この大陸からいなくなったとしても、何事もなかったかのように全ては元に戻るのだろう。ファリンにも、タイネーブにも、クレアにも、エレナにも、女王にも、同僚にも、街の人にも、少しずつ忘れられて、まるでネルという人間の代わりにでもなったかのように、国には豊かな物資が溢れるのだろう。
 アルベルにも、いつかは忘れ去られて。

「行きたくない……!」
「……そうか」

 アルベルは、右手でネルの頭を撫でた。

「俺は、お前の選択に任せる。俺は止めない」
「……あんたは……」

 ずず、と鼻をすすりながら、ネルは涙目でアルベルを見つめた。

「私に、行ってほしくない?」
「愚問だな」

 急に不機嫌な顔になって、アルベルはパッと手を遠ざけた。

「お前の国のことだし、俺には全く関係がないからな。介入は面倒でしかない。あのファリンとかいう女は、俺にお前を止めてほしかったんだろうが……あいにく、俺はそういう性格の人間じゃねえから」

 言いながら、ひょいと肩をすくめる。

「お前が行こうが俺はかまわん。全てお前が決めることだ」
「……う、ん」
「荷は重いかもしれんが、自分にとっても人生を左右する問題だろ?」
「……うん」
「後悔しないように考えろ」
「うん」
「いつだって自分の選択が正しいと思え」

 びしりと指を向けてきたアルベルの鋭い言葉に、ネルは強く頷いた。