「だぁ、かぁ、らぁー」
高らかな声音が、わーんと部屋の中に響いた。近くにいる黄金色の髪の女は耳を塞いで、しかめっ面をする。
「このままじゃあ、ネル様が嫁いじゃうでしょーお」
声の主は、紫色の髪をした、紅い瞳の女である。ふくよかな胸の前で腕を組みながら、足をパタパタと上下に動かし、黄金色の髪の女の前に佇んでいる。
「ネル様は、この国に必要なお方なんですう」
「あのさ、ファリン……」
「時間が無いのよー! だって、来週ですよお、来週!」
「もーちょっと小さい声でしゃべ」
「たいねーぶぅ!?」
耳元で言われたタイネーブは、たまらず後ずさった。ファリンは両手を腰に当て、ずいっと上半身をかがめながら、舐めるようにタイネーブを見た。
「タイネーブはいいの? ネル様が海外に行っちゃうんですよお」
「いや、良くないけど、ここ、私の部屋だから」
「なんとかして止めなきゃ! でしょー?」
まるで聞いていない。
ファリンの声はぼやんとしているが、とても高いので、壁をよく通り抜ける。廊下を歩く者に聞こえやしないかと、タイネーブは彼女が来るたび胃が痛くなる思いをしていた。
とは言っても、ファリンは見た目や態度と違って、恐ろしく頭の切れる女である。聞かれてまずいことは絶対に話さないのだが、基本的に弾丸トークで相手を圧倒し、離さない。しかも、この喋り方となれば、相手によってはうんざりして「用事があるから」と適当な言い訳をしながら退散してしまう。タイネーブは慣れでどうにか乗り切っているが、声量までは、耳が適応してくれなかった。
「ネル様は、結婚なんかする女性じゃないですぅ」
「そりゃあそうだけどさ……ネル様にやめて下さいなんて言えないだろ? 話に乗っちゃったし」
「役人がバカなのよう」
「あわわ」
ファリンの口を塞ぎ、自分のベッドに無理矢理座らせ、タイネーブは目をつり上げた。
「もう、やめて……」
「ひゃっひぇ、あへだけまはりが」
「ああ、ごめん……」
塞いでいた手を容易に取るあたり素直である。早速、ファリンはタイネーブに指を突きつけ、声音に凄みをつけて言い放った。
「だって、あれだけ周りが反対してるのに、結婚しないことに意味があるんですか、なんて役人たちは言ったのよ。ネル様は優しいから、そういうのに反対できないでしょう」
「私に文句言われたって、どうしようも無いじゃない」
「タイネーブがもっとガツンと言ってくれたら良かったんですう」
ぶんぶんと何かを殴る真似で両拳を振り回す。タイネーブは、呆れながらファリンの隣に腰掛けた。ファリンは、見た目が可愛いうえ、頭もいいし、モテるのだが、この喋り方と性格を知ると、引き下がってしまう男が多い。
ファリンは振り回していた手を下ろすと、深々と溜息をついた。
「あーん……このままじゃあ、ネル様が嫁いじゃう。ネル様には、お相手がいるじゃなーい」
ファリンの言葉を聞いていたタイネーブの顔に、すっと険悪の色が宿り、膝の上に置いていた手が、ふるふると震え出す。今、もし思い浮かべている男が目の前にいたら、すぐさまぶん殴っている勢いだ。
「……私は絶対、認めない」
「え?」
「あいつがネル様の相手だなんて、ぜえったいに認めない」
くるりと背を向け(とは言っても座っているので半ひねりだが)、ふんと鼻息をつく。
「大っ嫌い! あんな男っ」
「アルベルのことですかあ?」
「あー名前も聞きたくないっ! あんな悪魔みたいな男!」
「でも、ネル様はそんな悪魔みたいな男が好きなんですよお」
「もおおおネル様なんでえええ!?」
がばりとベッドの上に倒れ込み、タイネーブは、顔を埋めて悲鳴を上げた。
「あり得ない! なんでネル様はあんな男が好きなのよ!?」
「うーん……私も認めがたいですけど、でもネル様が幸せならそれでいっかな、みたいな」
「ああイラつくっ!」
今度は勢いよく顔を上げ、ベッドを拳で叩く。彼女は体術使いなので、気をつけないとベッドに穴が開く。現に、ファリンの座っている場所が、ぼよんと跳ねた。
「あんな男の元に寄越すくらいなら、いっそ私が縁談を見つけてみせるわっ」
「でも、ネル様は本気ですよ」
ファリンは落ち着いた声音で言った。びっくりした様子でタイネーブが振り返る。
「ファリン?」
「だって、アルベルは、ネル様のことを理解してくれているもの」
ファリンは苦笑すると、立ち上がり、タイネーブに背を向けた。
「だから、私たちは二人の気持ちを守ってあげなきゃいけない」
「……」
「もう、ネル様が幸せになってもいいと思う」
もし、全てを置いて他国へ嫁いでしまったら、どうなるだろう。シランドのことは別によいのだ。ネルがいなくても施術部隊たちは上手くやっていけるし、国交が良くなれば町の活性化も図れる。ファリンが心配なのは、ネルの心境だ。ネルは、心をこちらに置いたまま行ってしまうだろう。遠い国でずっと自分の国を思いやり、そして――
そして。
「……うん!」
ファリンは両手を握り締め、自分の胸元にぐっと引き寄せた。振り返り、顔を伏せているタイネーブを見下ろして、いつもの声を作る。
「やっぱり止めなきゃだめですよう! ネル様は、アルベルと一緒にいないと幸せになれないんですう」
「……ファリン、私はそれでも」
「タイネーブには分からないんですねえ、ネル様の健気な女心」
「それはどういう意味?」
タイネーブの声音が幾分低くなったが、ファリンは気にしない。
「こうなったら作戦です!」
「作戦?」
「ネル様の結婚式に颯爽と現れるアルベル――なんてベタなことはしませんが」
人差し指を立てて、ファリンはにんまりと笑った。
「恋のキューピットですう」
「……」
そういう言葉が出てくるファリンの方がよっぽどベタなんじゃないか、と思いつつ。
タイネーブは、いつの間にファリンの計画に協力する羽目になったのである。
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