「ねえアルベル、僕たちスフィア社で取り忘れたアイテムを取りに行くんだけど」

 一緒に行かないかという誘いは一蹴された。ここのところアルベルは猛烈に機嫌が悪く、パーティ内でも必要最低限喋るだけで、びりびりと張りつめた空気が彼の周りから離れず、皆が戸惑っていた。アルベルは理由を説明しないし、原因が分からないので対処のしようがなかった。
 豊富なアイテムがあるスフィア社に用事があるとのことで、フェイトを先頭にしてジェミティ市を訪れた際、アルベルはもともとこの賑やかな都市が気に入らないのもあって、到着した途端「俺は抜ける」とパーティを離脱した。五人は顔を見合わせていたが、これまでの経緯でアルベルが一触即発の状態であることを知っているため、離れるときにフェイトが気を遣って声をかけただけで、他の誰も引き止めることはなかった。

 目の奥が痛むような装飾の電光の中、どこかマシな場所はないだろうかと周囲をうろうろし、街路の奥に酒場を見つけたので、アルベルはそこに入ることにした。カウンター席が五席とテーブル席が二席あるだけの狭くて小さな酒場だったが、木目調の床や落ち着いた調度品が色のうるさい外よりずっとまともに感じられ、年配の店主にワインを頼み、一番奥にあるテーブル席に腰かけた。アルベルの他に客はおらず、店主もすぐにワイングラスと瓶を持って出てきて、すぐに引っ込んでいった。
 ちまちまと酒を飲みつつ、アルベルは深く考え込んだ。
 あの、ネルの告白を聞いたときから苛立ちが消えない。ペターニの宿屋での、夜中のあの会話。ネルの父親の話になり、彼女は目の前にいる男に言ったのだった。アルベルに、己の父の姿を重ねていると。ネル・ゼルファーの父親であるネーベル・ゼルファーは冷静沈着な男で、アルベルの普段の理性的な態度に父親の姿が投影されていたらしい。
 思い出すたびに、むかむかする。ネルがどう思っていようが自由であるし、その自由を制約するつもりもないのだが、何がこんなにも自分を苛立たせるのか、理由が鮮明になるほど、アルベルの怒りは収拾がつかなくなるのだった。

「俺は、お前の父親か?」

 グラスの脚を指先で強く押さえながら、アルベルは独りごちた。
 そう、それなのだ、自分がこれほど苛立つ理由は、ネルの中で、アルベルという男が彼女の父親の影でしかないという事実を突きつけられたからだ。どんなに側にいたとしても彼女の目にアルベルは映らず、アルベルが何か諭そうとすれば、その姿は彼女の父親に置き換えられるという。今までネルに助言を与えてきたことを強く後悔するほどだった。自分は苦悩しがちな彼女を純粋に助けたいからそうしていたのに、彼女にとって、自分の言葉はアルベルではなく亡霊であるネーベル・ゼルファーが告げているものだったかもしれないのだ。
 憤怒と絶望感で眩暈がし、アルベルは片手で顔を押さえてうなだれた。
 ならば自分の、この想いはどうなるというのだろう。彼女を救いたいがために行動していたのに、それは彼女を想うためなのに、それらはすべてネルにとってアルベルではなく死んだ父親の行いであったのだとすれば。
 間違いだったのか?
 そんな考えが湧き上がってきて、アルベルはぞっとした。アルベルとしては、かなり真剣に彼女を支えてきたつもりだったが、今回ばかりは気持ちがくじけそうで、"間違い"だったとするのも仕方がないのかもしれないと思う自分がいる。初めから望みはほとんどなかったし、もしかしたら今が諦めるチャンスなのかもしれない。この冷たい気持ちのままでいれば、いずれ吹っ切れることも可能だろう。もうあんな女のために言葉をかけてやりたくない、何もしたくない、恩を仇で返された気分だ、どうせ憎み合う敵国同士の軍人でしかないのだから、彼女を知らなかった頃に戻ればいいのだ。彼女を傷つけても何とも思わない自分に。
 不意に酒場のドアについているベルがちりんちりんと音を立て、アルベルは顔を上げた。そして目を丸くする――店に入ってきたのがネルだったからだ。なぜここに来るのだろう、彼女はフェイトたちと一緒に行ったのではなかったのだろうか。
 彼女は奥から出てきて注文を取ろうとする店主に戸惑ったようだが、とりあえずホットワインで、と適当な調子で言い、ドア付近に佇んだままアルベルを見やった。彼女は無表情で、アルベルと少し見つめ合った後、静かにこちらに近づいてきた。
 アルベルは、彼女を睨んだ。何か用があるのか、今更、という気持ちを込めて。
 ネルはテーブルの前まで来ると、無表情でアルベルを見下ろした。

「アルベル。私のせいなんだろう」

 そんな台詞が彼女の口から出て、アルベルは瞬間的な怒りを覚えた。うるせえよと唇を動かし、両手をついてその場から立ち上がった。前を塞ぐネルを押しのけて出口に向かおうとしたが、彼女は身体をせり出すことでそれを拒んだ。それでも今ばかりは関わり合いたくなくて手で彼女の肩を押しやる。すると今度は手首を掴んできた。さすがのアルベルも顔を歪める。

「なんだよ」
「私の話を聞いてほしい」
「話なんぞ聞く気はないね」

 手を振り払おうとするもののかなり強い力で抑え込まれており、左の義手の爪を引っかけて引き離そうと考えたが、それはどうしてもできなかった。そのとき、カウンターの向こうで、二人のやりとりを驚いた様子で見つめている店主の姿が視界に入り、気まずさを覚えてアルベルは抵抗をやめた。アルベルの視線の意味に気づいたネルもまたアルベルからそっと手を遠ざけた。
 店主はそそくさとテーブルにホットワインを置き、奥へと引っ込んでいった。

「アルベル。少しでいいから話を聞いて」

 今度は拒まず、アルベルはなげやりといった動作で再び席についた。ネルもまた向かいに腰かける。

「私が悪かった」

 は?とアルベルは長い前髪の合間から彼女を睨めつけた。嫌味を交えて聞き返す。

「何が?」
「……私があんたに父を重ねていると言ったからだろう。悪かった。当たり前だ、敵国の男に重ねられて、屈辱に思わないはずはない。私が愚かだった。あんなこと、自分の心の奥にしまっておくべきだったんだ」
「はっ、今更だな」

 アルベルは嘲笑し、グラスの中に残っていたワインをぐいと飲み干した。

「言っておくがな、俺は、お前が俺をどう思おうが知ったこっちゃねえんだ。好きに思えばいい。もっとも、俺には信じられないことだがな。敵国の男に自分の父親の姿を重ねて、屈辱に思わないお前自身が」
「……」
「俺だったら無理だ、そんなこと。父親に申し訳がなくて」

 男の暴言にネルがどう出るか窺っていたが、彼女は考え込むようにテーブルの一点を見つめて沈黙しているままだった。ここのところ彼女の行動が不可解で、ますます苛立ちが募り、アルベルはこのまま彼女が黙りこくっているのであれば退散しようと心に決めた。
 それから少し経って、別のところに移動するためにアルベルが腰を上げかけたそのとき、ネルは口を開いた。

「私は、あんたを憎みたかった」

 そう告げた彼女は、泣き出しそうな顔をしていた。