ソフィアがアルベルの後に続いておずおず内部に入ると、木の香りのする薄暗い部屋が広がった。家々に囲まれているせいで、日当たりはあまり良くないようだった。足下の絨毯で何度か靴の裏を拭き、歩みを進めると、正面左斜めに台所が見え、そのすぐ近くには四人掛けのテーブルがあった。玄関に入るとすぐにリビングらしい。テーブルの側に暖炉があったが当然火は灯しておらず、周囲の壁には小さな絵画や暖炉に使う火ばさみ、掃除器具が引っかけてあった。玄関から延びる通路を挟んで右手には、古めかしいソファと本が詰まった本棚があり、小さなタンスの上にはアンティークの装飾品が並べられていた。
 少々がさつなアルベルのイメージとは違った印象である。おそらくこのインテリアは彼の両親の趣味なのだろう。アルベルが蝋燭につける火を準備しているのを横目に、ソフィアは黙って部屋の中を歩き回った。なんとなく本棚が気になって歩み寄ってみる。棚にぎっしり詰まった本の背表紙には、当然のごとくソフィアには読めない文字で題名が書かれていた。実際に喋っている言語は翻訳機ですぐに翻訳できるが、文字で書かれているものは機械でいちいちスキャンしなければならない。勝手に本の中身を覗くのも悪いかなと思い、そこから踵を返そうとすると、ふと本棚の下の段にあった写真立てに目が留まった。
 そっと手に取って見てみると、金属製の古びた写真立ての中に、色あせた写真が挟まっていた。ソフィアの知る技術の写真とはやや違うらしく、分厚い紙に、少しぼやけのある青みかがった彩色で二人の人間が写っていた。一人は黒髪らしい男性、もう一人は白髪――少し青みがかっているのは恐らく写真技術のせい――らしい、美しい女性だった。
 二人の顔立ちを見たソフィアは、あ、と直感した。

(これ。
 アルベルさんのお父さんだ)

 男の方は長い黒髪を一本の三つ編みにして、肩越しに前に垂らしている。得意げに笑い、意志の強そうな目をしていて、左隣にいる女性の肩を抱いていた。かなりの身長差があるので、小柄な女性が包み込まれているように見える。彼女がアルベルの母親なのだろう。アルベルの顔立ちは、どちらかというと写真の女性の方に似ている気がする。息子と同じ赤い瞳をしているようで、見たこともないような美人であり、夫のように笑うのが苦手なのか、一見しただけでは分からない程度でうっすらと微笑している。背景が白いので、どこかの場面を切り取るように撮ったわけではなく、何かの記念写真として撮影したものだと思われる。
 二人の美しさに心を奪われてソフィアが写真を眺めていると、部屋の壁にある燭台と手元の燭台に火を付けたアルベルが手元を覗き込んできた。ソフィアは気配にハッとして振り返る。

「あ、ご、ごめんなさい」
「ああ……それは」

 とりわけ動揺もせず、アルベルはソフィアの持つ写真を眺めた。

「俺の父と母だ」
「あ、やっぱり……」
「父はグラオ・ノックス。かつて疾風の団長だった」

 アルベルは写真から目を離すと、すたすたと近くのソファに向かい、そこに静かに腰掛けた。ソフィアはじいと写真を見つめたまま、彼の話に耳を澄ます。

「グラオはアーリグリフの中で最強とうたわれていた。本人は全く鼻に掛けず、どこまでもあっけらかんとして陽気な性格だったがな」
「そうなんだ……素敵な人。すごく美人ですね。このお母さんも見とれてしまうくらい……」
「母はエリーゼ」

 持っていた燭台をソファの前のローテーブルに置き、アルベルは、ゆらゆらとくすぶり始める炎を見つめながら小さな声音で続けた。

「元々は孤児だったらしい。アリアスの孤児院にいて、後にアーリグリフに来てグラオに見初められたという。俺も詳しい話はあまり聞いていないから、よく分からんのだが」
「エリーゼ、さん……息をのむくらいに綺麗な人。アルベルさん、お母さん似みたいですね」
「さあ……そう言われることもあったが、性格はまるで違ったな。母は物静かで冷淡だった。俺は苦手意識の方が強かったな」

 だから陽気でいい加減な父親が母親を見初めた理由が分からないというアルベルの呟きに、ソフィアは写真から顔を上げて、くすりと笑った。

「でも、そういうものかも。だってこの写真のお父さん、とっても幸せそう。お母さんも」
「そうか?」

 手を差し出されたので、ソフィアは彼に近づいて写真立てを手渡した。アルベルが写真を眺めている間、ソフィアは彼の正面にあるソファに腰掛けて、彼の表情を窺った。
 蝋燭の明かりでオレンジ色に浮かび上がるアルベルの表情は、無だった。しばらく写真の両親を眺め、何かを考え込んでいるのか、それとも何も考えていないのか全く身動きせずにいたが、じきに彼は写真をテーブルの上に置いて、かすかに嘆息した。

「もう十年近く前だからな……」
「あ、そっか……。でも私、こんな綺麗な両親がいたら、みんなに自慢して回っちゃうな。お父さんはこんなに格好良くて、お母さんはこんなに綺麗で」
「……」
「お顔はお母さん似で、髪の毛はお父さん譲りなんですね……」

 ソフィアが何気なく言うと、アルベルは一瞬息を止めた後、蝋燭の炎を見つめて険しい顔をした。彼の表情の変化に瞬間的に気付いたソフィアは、まずいと思って口をつぐむ。彼の何かに触れたのだ。

「……そうだな。元は、黒髪だ」

 アルベルは、は、と息を吐き、立ち上がって本棚の前に進んだ。ソフィアは気まずさを覚えて黙るしかなかった。
 背後にいるアルベルは本を抜き出し、その中身を確かめているようだった。しばらく沈黙が続いた後、本を数冊斜め読みし終えたアルベルは、頭を掻きながら台所の近くにあった階段の方へ行くと、段をゆっくりと登り始めた。

「上の階に父の書斎がある。文献を漁ってくるから少し待っていろ」
「あ……は、はい」

 ソフィアはおそるおそる返事をし、二階に上がっていく彼の背中を見送った。手持ちぶさたになってしまい、とりあえず彼がテーブルの上に置いた写真立てを元の位置に戻すと、あまり大きな音を立てないように気をつけながら、部屋の中を歩き始めた。先ほどアルベルが壁の燭台のいくつかに火を付けてくれたので、家を訪れた初めの時よりは内部が明るく照らされていた。
 木目調のごつごつした食卓テーブルに手のひらを触れながら、彼女は台所を見た。長らく使われていないようだが、時おり掃除人が来ているようで、埃を目一杯かぶっているというわけでもない。よくよく観察すると、彼の母親の趣味らしい、可愛らしい花の模様が彫ってあるフライ返しやレードルがあったり、おそらく彼女が死んだ当初のまま残されているのだろう、畳んである可愛らしい布巾も籠の中に十数枚入っていた。
 もしかしたらアルベルは、カルサアに滞在するたびにこの家に戻ってきていたのかもしれない。彼の家族や境遇については人づてにしか聞いていなかったソフィアだが、彼には、ああ見えて人情には厚いところがあるのだ。家族をないがしろにするタイプには見えないし、思い出をかなぐり捨ててしまう性格にも思えない。確かに彼は、決して自分のことを自ら語ろうとはしないが……
 物思いにふけりながら椅子に座って待っていると、トントンと木の音を立ててアルベルが戻ってきた。

「駄目だ、該当するような文献は見つからん」

 ソフィアは立ち上がり、やや落胆したような声で話すアルベルに振り返る。

「そうでしたか……」
「父も、特に毒に通じている人間ではなかったからな……」

 アルベルは部屋の中心まで行くと、両手を腰に当てて身を逸らし、天井を仰いで伸びをした。

「知り合いが分析するまで待つしかないな……」
「これからどうしましょう? ネルさんのことも心配だし、なるべく早くネルさんを見つけないと」
「今日中にはカルサアに来るはずだ。だが隠密だからな、忍ばれると俺でも見つけるのは難しい」

 舌打ちし、アルベルはソファの背もたれの上に腰掛け、腕を組む。しばし沈黙した後、溜息混じりに口を開いた。

「しかし……あの青髪の女も油断したものだな。あいつならば、どこの誰かも分からない人間からもらった怪しい物品を口に運ぼうなどという気は起きないと思うんだが」
「スキャンしても毒の反応が出なかったからだと思います」

 立ち上がっていたソフィアは再び椅子に腰掛け、斜め後ろにいるアルベルに、気まずそうにそう言った。アルベルは首を傾け、呆れたように溜息をつく。

「お前らはそのスキャナとやらに絶対的な信頼を置いているらしいが、そっちの世界の奴らは皆そうなのか」
「……」
「少しは自分の頭を使って考えろ」

 軽蔑を含んだ声で言われ、ソフィアは何も言い返せず、うなだれた。アルベルの言い分はもっともである。便宜中心で物事を考えるようになった文明の高い世界では、もはや人間の脳は自らが作り出した機械よりも鈍くなってしまっている。
 ソフィアも、こちらの世界に来た時は、何か珍しいものを見るたび、触れる前にスキャナで効能や用途を調べたものだった。それを一番最初に咎めてきたのはアルベルだった。お前はこの星に生きる者たちを侮辱したいのか、と。

「……ごめんなさい」

 かつての記憶もよみがえってしまい、申し訳なくなって謝る。アルベルは少し驚いたようにソフィアを振り返った後、居心地悪そうに、いや、と低い声を出した。

「お前一人を責めているわけじゃねえよ」
「……はい」
「しかし、だ」

 アルベルはソファの背もたれから下りると、本棚の前に再び回り込んで、適当な本を引っ張り出し、中身をぱらぱらとめくり始めた。先ほどは斜め読みしかしていないので、もう一度確認のために開いたのだろう。

「あいつが、犯人がアーリグリフにいると仮定してそこに行くとしても、ここカルサアを通ることは間違いない。俺たちが町の出入り口で待機するのが得策だが、あいつが行動するのは夜だろうしな。犯行直後の犯人が移動し始めるのも、おそらく夜だ」
「夜まで、私が外に出て色々聞いて回ってきましょうか? ネルさんのことや毒のこと」
「いや、下手に触れ回るとあいつは警戒するだろう。それに仮にあいつを見つけても、俺たちの制止を振り切って犯人を見つけにかかることは間違いない。正直、俺もあいつがどう行動するか確信を持っては言えんからな。
 一番いいのは、ディプロの奴らにあいつの居所を空から探し当ててもらうことだ」
「あ、そっか」

 なるほどと思ったが、あいにくソフィアもアルベルも、ディプロとの通信機器は持っていない。普段はマリアとクリフが通信機を携帯しているため、彼らがいなければディプロと連絡を取り合うことはできない。リーダーが昏睡状態に陥っているとなると、ディプロ内部もただ事ではなくなっているだろう。ソフィアとアルベルの居所を探し当てる必要がない今、ディプロからこちらを見つけてもらえる可能性は低いし、昨晩の様子からすると、クリフやフェイトも、エリクールに残った三人を探す余裕などないはずである。
 ソフィアはテーブルに突っ伏し、渋い表情を浮かべた。

「でも、それも待つしかないですしね。どうしましょう……」
「俺たちが先に犯人を見つけるしかないな」

 本を閉じ、本棚に戻すと、アルベルは壁に立てかけてあったカタナを取り上げた。

「とりあえず動くぞ。ここにいても」
「おい、アルベル!」

 急に、男の声が外からした。アルベルはとっさにカタナの柄に手をやり、ドアの方を向いて身構える。ソフィアも驚いて突発的に椅子から立ち上がったが、もしやと気が付き、アルベルの背中に目配せをしながら言った。

「……クリフさんじゃないですか?」
「クリフ?」

 アルベルは怪訝な顔をし、念のため柄に手を置いたまま玄関の方へ向かうと、ドアの鍵を外した。すると、勢いよくドアを開け、見慣れた金髪の男が息切れをしながらドスドスと入ってきた。

「クリフさん!」

 ソフィアが声を上げると、クリフは、よお、と額の汗を拭い、二人の姿を見比べた。

「すまんなアルベル。勝手に空から居所を調べた」
「かまわん。マリアはどうなった」

 アルベルが尋ねると、クリフは、安心しろと微笑を浮かべて頷いた。

「朝方には落ち着いた。スキャナでも毒の正体が出なかったから、船員総出でデータを当たったんだ。そうしたら似た化学式のものが見つかって、対処法と治療法があったから応用させた。まだ熱は下がらないが、呼吸も安定してるぜ」
「よかったあ……!」

 思わずその場にしゃがみ込み、ソフィアは顔を手で覆った。とにかくマリアが無事であれば一安心だ。

「しかし……一体、何の毒だったんだ?」

 アルベルの不審そうな問いに、クリフは腕を組み、考え込むような面持ちで答える。

「毒花の一種だったらしい……。エリクールに生えているのかどうかは断言できんが、あまり知られていない植物なんだろうな。
 とりあえず投薬して三日程度安静にしていれば解毒はできるっつうことだ。後遺症もないだろう。今はフェイトとミラージュが看病してるぜ」
「そうか」

 アルベルも安堵し、小さく笑みを浮かべた。ところで昨日は急にディプロに戻って悪かったな、今までどうしていたんだと尋ねてくるクリフに、二人は一部始終を話し始めた。