「おっ、アルベルじゃねーか!」
小腹が空いたので、何かつまめるものはないかと、アルベルがペターニの露店で食物を物色していた時のこと。
買い物客で賑わう大通りの向こうから知り合いの大声が聞こえてきて、アルベルは顔を上げた。こちらに向かって歩いてくるのは、頭上で手をぶんぶんと振っている大柄の金髪男だった。明るい髪に夕日が反射して、無駄にきらきらと輝いている。
アルベルは嘆息し、店先で手に取っていた量り売りのナッツを大きな藁袋の中に戻した。
手ぶらで現れた金髪男は近くまで寄ると、ひょいとアルベルの手元を覗き込んで、それから好奇心旺盛そうにアルベルに振り返った。
「何を買うんだ? アルベル」
「別に」
なんでもねえよとぶっきらぼうに言い、アルベルは踵を返した。そのまま歩き出そうとすると、興味なさげな態度に焦ったらしい金髪男が、慌てて前に回り込んできた。
「ちょ、待てよ、逃げるこたーねえだろ」
道を塞がれたアルベルは立ち止まり、自分より背丈のある筋肉質な金髪男、もといクリフを睨んだ。
「んだよ……」
「うわ、こえー顔」
おまえ元はいいんだからさあ、とクリフが肩をすくめる。アルベルは明後日の方向を向き、苛立たしく腕を組んだ。
「何か用か」
「用? いや、用がある時にしか話しかけちゃいけねえっつうのは、お互い同じパーティにいる仲なのに、どうよ」
「クソが」
アルベルは吐き捨て、クリフが塞いでいる方向とは別の方向へ歩き出した。すると急いでクリフが通せんぼを仕掛けてくる。またもや歩みを止められたアルベルは額に血管を浮かせながらクリフを睨んだが、金髪男は両手を大きく突き出し、うんうんと頷いた。
「分かった分かった、お前が不機嫌なのはよぉーく分かった!
でもな、俺、一杯やりたかったんだよ、今」
言いながら、くい、と杯をあおる真似をする。彼の動作を見ながら、アルベルは眉を寄せた。
「は?」
「だから、俺、これから飲み屋に行こうと思ってさ。フェイトは未成年だから飲まないって頑なだし、ネルは酒弱くて全然飲めないし、俺、いっつも独りで飲んでんだわ」
「で?」
「で? って言うの、お前? そこで?」
同じ成人なら、ちょっとは俺に気を遣ってくれよ……と溜息をついて、クリフは頬を掻き、うっすら苦笑した。
「だからさ……アルベル、一緒に飲もうぜ、たまには」
「断る」
「え、即答!? うっそ、なんで?」
信じられない、俺だったら俺に誘われたら断らないぜ、などと言っているクリフに、こいつ頭おかしいと思いながら、アルベルは溜息をついた。
「俺は、酒に酔わないんだよ」
「え?」
「ザルなんだ」
だから酒も水も似たものだと真面目に言うアルベルに、クリフは青ざめた。
「な、なあ、お前が普段酒場に入らないのって、もしや、めちゃめちゃ酒に強いからなのか?」
「金の無駄だからな。俺が酔うのはカルサア産の度数の強い赤だけだ」
「まじで?」
それって全く人生を謳歌してないよ?と言うクリフに、アルベルは苛立って、とうとう声を張り上げた。
「うるせえな、俺は酒なんかどうでもいいんだよ! そもそもここはペターニだ。酒を飲む必要がないだろう」
「え?」
「俺たちにとって、酒は極寒の地で体温を上げる薬みたいなもんなんだよ。俺は特別強いから、薬を通り越してむしろ効果がないと言われてるくらいなんだ」
「……」
「お前にとって酒は娯楽、でも、アーリグリフの人間にとっては貧困の中の貴重な薬だ。だから俺は、お前のように楽しんで酒を飲むことはできん」
「――悪かった」
クリフは、急に表情に影を落とし、申し訳なさそうにうつむいた。
「悪かった。俺、お前らの国のこと、全然分かってなかったな……」
「……」
いきなり落ち込んだ金髪男を眺め、アルベルは居心地悪さを感じ、目線を反らして閉口した。この男はいつでもわけが分からないが、元が素直なので、何か自分が間違ったことをすれば、すぐに後悔や反省ができるのだ。アルベルは、別にクリフが嫌いなわけではない。戦力としては申し分ないし、多少向こう見ずだが行動力があるし、柔軟性もあって頭もいい。自分にはない良さを多く持っているので、このひねくれた性格に男の長所を取り入れれば少しはマシな人間になるのだろうかと考えたこともある。が、妙に率直で純真な――どこかフェイトを思わせる――クリフの性格は、アルベルにとって苦手な部類だった。
酒も、自分からすれば水と一緒だから金を払うのは馬鹿馬鹿しいという気持ちはあるものの、飲むのが嫌なわけではない。ただ、この男にとって酒が楽しむためだけのものであるなら、それはどこか自国への侮辱であるような気がして、許し難かったのである。
アルベルは、黙り込んでしまったクリフに話しかけようとするのだが、何を言い出してよいのか分からず、何か適当な言葉を頭の中を探していた。こういう時にすぐに言葉が出てこないのは、自分の嫌な欠点だとアルベルは思っている。
しばらくして、クリフが目に光を宿し、顔を上げた。
「俺、今からひとっ走りして、カルサア産の赤とやらを手に入れてくる」
突然言い出したので、アルベルは思わずクリフを見上げ、目を丸くした。
「は?」
「そうしたらお前と飲めるだろ? なんなら二人でアーリグリフまで行ってもいいけどよ。
大丈夫だって! 俺はこう見えてもかなり足が速いんだぜ? 今から行ったら、そうだな、夜、日付が変わる頃には戻って来られる!」
地元の人間が、馬車を走らせて半日かけて行く場所である。
こいつ頭どうかしてると思いながら、アルベルは引きつった笑みを浮かべた。
「いや……結構」
「遠慮すんなよ!」
アルベルの言葉を遮り、スパン!と拳を手のひらにぶつけ、クリフは得意げに言った。
「フェイトに何か言われたら適当に言い訳しておいてくれよ!」
走り出すポーズをしながら、クリフが白い歯を光らせて言う。
アルベルが固まっている間に「きっと、アルベルが酔う酒はどれかって訊いたらすぐに銘柄も分かるよな、じゃあ行ってくる!」とグッと親指を立てながら、クリフが本気で地を蹴った瞬間、アルベルも地面を蹴って天高く跳んだ。
クリフが十メートル程度走ったその先にアルベルは着地し、腰からカタナを取り出すと、素早くクリフの首もとに突きつけた。
「結、構、だ、っつってんだろ……」
悪魔を想起させる微笑を浮かべられ、オウ、コレハ何事ダ、と額から冷や汗を流し、走る姿勢を静止させたクリフは、非常にゆっくりとした動作で両手のひらをアルベルに向けた。
「暴力反対、デス……」
戦闘態勢を崩したアルベルがカタナを鞘に仕舞うと、安堵の溜息をついて、クリフは身体をピシリと直立させた。
「カルサアには、行きません!」
「それでいい……」
アルベルは、前に落ちてきた髪を背中側に振り払うと、何事もなかったかのように言った。
「飲めばいいんだろ」
飲み会参加の返事を聞いたクリフは、これでもかというほど目を見開いた。
「あ、アルベル様……? 今、なんと」
「どこだよ、飲み屋っつうのは」
アルベルがぶっきらぼうながらも訊くので、クリフの顔がぱっと輝く。
「まじで? まじでいいのか?」
「ああ。今日限りだろうけどな」
「ぃやったー!」
大げさにガッツポーズをするクリフに、こいつ頭がいかれてる奴だ、と思いながら、アルベルは小さく笑った。
「この店にカルサア産の赤ワインってある?」
「え、カルサア産?」
クリフに尋ねられた化粧の濃い若いウエイトレスは、トレイを胸に抱え、うーんと目を上げて考え込み、
「んん〜、カルサア産のワインってえ、ほとんどがアーリグリフに出荷されちゃって、あんまり入ってこないんですよねえ〜」
と、人差し指をグロスでテカった分厚い唇に押しつけながら言った。
クリフはメニューを両手に持ち、残念そうに机に突っ伏す。
「あー、やっぱそうなんだ」
「なんかあ、アーリグリフとの特約があるみたいなんですよう。多分、アーリグリフは寒いから、お酒がいっぱい必要になるんじゃないのかな〜?」
「うんうん、きっとそうなんだよなあ、で、結局カルサア産の赤ワインはないんだな?」
「ないですねえ。ていうかあ、カルサアの赤って、かなり度数が強めだって聞いてるんですけど、強いのがお好きなんですかあ?」
「俺はそうでもないんだが、こいつがな、強いのじゃないと酔えないから」
「あっ、そうなんですかあ……っていうか!」
急にウエイトレスは脚を組んでイスに座っているアルベルを見て、目を瞬かせた。
「も、もしかして、アーリグリフの歪のアルベル様ですかあ!?」
「チッ」
甲高い女の声音に、アルベルが、ここぞとばかりに舌打ちする。クリフは青ざめ、ウエイトレスの前でわたわたと両手を振った。
「あー、悪い! 今プライベートなんだ! ちょっと静かにしてくれね?」
「あっ、そうなの〜? ざんねん〜! でもでも、あたし、サイン欲しいなあ〜! ねえアルベル様っ、あたしのエプロンにサインしてくださあい」
白いフリルのついた短い前掛けをぴらぴらと扇がせてくる。
アルベルは、鬱陶しそうに右手を振った。
「そういうの、嫌いでね……」
「あん、そうなのお? じゃ、握手! 握手してくださーい!」
今度はずいと左手を差し出してくる。この女は引き下がる人間じゃないなと思い、アルベルは仕方なくその手を握ってやった。
乱暴にだが握手を返されたウエイトレスは、嬉しそうにその手を胸の前で握り締め、足踏みした。
「やん、うれしい〜!」
「はいはい、んじゃお嬢ちゃん、とりあえず赤ワインで一番度数の強いやつくれる?」
「はーい、分かりましたあ」
「あと海老とアボカドのせたクラッカーね」
「はいはい〜」
エプロンのポケットからペンを取り出し、トレイと一緒に持っていた伝票に素早くメモをすると、ウエイトレスは鼻歌を歌いながら厨房の方へと入っていった。
ここはペターニに訪れるとクリフが欠かさずやって来る馴染みの酒場だが、あのウエイトレスの顔を見るのは、クリフも初めてらしい。
「新入りっぽいな、あの子」
酒場に向かうついでに、アルベルが露店で物欲しそうにしていたナッツを買っておいたクリフは、ナッツの入った紙包みを破り、二人で食べられるようにと、年季の入った木のテーブルの上に置いた。ナッツは、ピスタチオやカシューナッツ、マカダミアナッツなどを適当にブレンドして入れて、量を計って買ったものだ。
アルベルが早速ナッツに手を出すと、クリフは満足げな顔をした。
「いつもは物静かな店なんだけどよ、賑やかになっちまったな」
クリフも、ピスタチオを取ってパキンと殻を割る。
「まあ、でも、いい店だろ? 昔からあるって感じで」
言いつつ、クリフは周りを見回した。テーブルが十席程度ある、それほど大きくはない酒場だ。大通りから少し路地に入った所にあり、こげ茶色の外壁の木造建築で、なかなか雰囲気のある洒落た店内である。店は生粋のペターニっ子(略してペタっ子というらしい)の、物静かで頑固なマスターが経営している。ここは比較的歴史のある評判の酒場だということだ。
「お前の国にも、似たような感じのいい酒場があるよな。俺、向こうに行くと、いつもホットワインを飲むんだぜ」
「へえ」
カシューナッツを指先で口に入れながら、アルベルが相槌を打つ。
「アーリグリフでは赤ワインが多いのか? 店頭に並んでるのも赤ばっかで驚いた記憶があるぜ。身体を温めたいんなら、ウイスキーとかウォッカとか、もっと強い酒もあると思うんだけどよ」
「悪酔いするからな。俺たちの国は食糧難であることが多いから、強すぎる酒を空の胃に入れると中毒になることがあるんだ。事故を防ぐために、国が規制している部分もある」
「へえ、そうなんだな。ワインだと、子どもも飲みやすいからか?」
「それもあるな。ハチミツや砂糖で甘くしてやって、小さい頃から飲ませる。だから国の奴らにとって、酒は、飲み物というより昔から服用しなけりゃならねえ薬なんだよ」
「そっか、そっか。じゃ、お前も甘くしたやつを小さい頃から飲んでたのか?」
「いや、俺は甘いワインが大嫌いで、何も入れずに甘くしないで飲んでいた。母が毎食、小さなグラスに入れたワインを飲ませてたな……」
ナッツを適当に口の中に放り、クリフはふんふんと頷く。
「なるほど。じゃあ、酒に対する年齢規制みたいのは、お前の国にはないんだな?」
「いや、幼児に飲ますのはよくないだろうが、十歳頃からはもう普通に飲んでる。具体的な規制はないな」
「ふーん。俺は小さい頃から酒好きだから、年齢規制とかおかまいなしにがばがば飲んでたんだけどよ、フェイトたちの地球って二十歳にならないと飲めないらしいんだぜ」
「へえ……」
「もったいねえなあと思ったよ。せめて規制のないこの星ならいいだろうと思って誘ってもさ、フェイトもソフィアも嫌がって飲んでくれねえの。マリアも地球人だから然りって感じでよ」
「まあ、酒の美味い美味くないも人に因りけりだしな」
「まあな」
そのまま二人でナッツをつまんでいると、先ほどのウエイトレスがワインの瓶と二つのグラス、クラッカーの載ったトレーを持ち、るんるんと肩を揺らしながら近づいてきた。
「おまちどおさまでえす!」
アルベルの前に立ち止まり、無駄に大きな胸を跳ねさせて、ワインとグラス、海老とアボカドサラダのせクラッカー八枚が乗った皿を順にテーブルの上に置いていく。
トレイを両手に抱えてピシッと姿勢を正すと、背中を真っ直ぐにしたままゆっくりと傾いてきて、妙に顔を二人に近づけ、にんまりと笑った。
「お会計はあ、テーブルの上に載せておいてくださいねえ。ごゆっくりい」
キンキン声で言い残し、再びウエイトレスは去っていった。
アルベルが非常に不機嫌そうな顔をしていたせいか、クリフは慌てながら栓の抜いてある瓶を持ち、「いや元気だけど元気すぎてちょっと困っちゃうね、あの子!」などとフォローを入れつつ、二つのグラスに中身を注いだ。濃い紅色の液体が注がれるのを、アルベルは目を細めて眺める。
ワイングラスの二人して持ち上げたのだが、別に乾杯をする必要はないだろうとはたと気付き、そのまま香りをかぎ始めた。だが、酒は嗅ぐものではない、飲むものである、という信念を持つクリフは、今まで飲んだワインとの香りの違いが分からずに、眉をひそめた。
「香りの違いとか分かるのか? アルベルは」
「多少は」
「へえ、かっけえなあ、お前」
俺には香りなんて分からないぜ、分からなくてもいいけど、とぶつぶつ言いながら、クリフはワインを飲み始めた。アルベルも、クリフの言葉に密かに笑いつつ、口に含む。
「ん、けっこう美味しいんでない?」
「そうだな」
「ああ、それと」
クリフは、皿に載っているクラッカーを指差し、
「これ、俺がマスターに提案した海老とアボカドのサラダのせクラッカー。言っておくが、半端ねえ美味しさだから!」
「ワインと合うか? こういうの」
「合う合わないとか今は関係ないって!」
パタパタと手を振り、クリフはそのクラッカーのひとつを口に放り込んだ。
「うは、うめえ! 今度ソフィアとネルにも作り方を教えて作ってもらおう」
「そういえば、お前はあまり料理しねえな」
ワインを飲みつつ、アルベルがぼそりと呟く。クリフはきょとんとし、
「男の作った料理より、可愛い女の子が作った料理を食いたいのは当然だろ?」
「女の子?」
「あ、今の失言! 忘れてくれ! ミラージュに聞かれたら半分くらい殺される!」
「ミラージュってのは、あの女だな? 金髪で三つ編みの」
「そうそう、あいつ。俺のパートナーね」
クリフがさも当然のように言ったので、アルベルは少し驚いた。
「パートナー?」
「あれ、前も言わなかったっけか。ずっと昔から一緒に行動してる女なんだ」
「昔から……」
「キレーだろ?」
ワインを飲みながら、ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす。アルベルは、彼女が綺麗かどうかを思い出そうとするのだが、あまり顔を覚えていないので、よく分からなかった。
「分からん」
「キレーなんだって! 恐いけどな。喧嘩すると大抵は俺が負ける」
この大柄男が負けるだと? アルベルは考え込み、もしや今なんとなく頭に思い浮かんでいる女性像は別の人間で、本当はクリフ並みに大柄な女なのではないかと、念のために記憶を訂正した。
「ふむ……」
「面倒見はいいけど、頭がよすぎてなあ。クルーに指示する時にも、最初から最後まで俺まったく出番なしみたいなことも結構あるし」
三つ編みをしている頭がいい大柄な女、に訂正する。
「ほう……」
「あいつの本気の蹴りが恐いんだよ。こう、みぞおちにガッとくる感じな。ガッと。あれ受けるとその日一日飯食えねえんだぜ……そういう時に限って、あいつ、俺の好きな飯ばっか作るんだ。嫌味だよな。料理上手いし、お預けとか本当に泣けるぜ」
三つ編みをしている頭がいい料理の上手な蹴りが恐ろしい大柄な女、に訂正だ。
「……」
「まあ、でも何だかんだ言っていい女だし? スタイル抜群だし? 可愛いし? あいつ以上の女はなかなか見つけられねえだろうなあと俺は思うんだけどよ、アルベルはどう思う?」
「……分からん……」
アルベルは頭を抱え、額から一筋の汗を流した。
「少し考え直した方がいいんじゃねえか、とも思う……」
「えっ、マジで!? お前にはそう映る? やっぱり女としては強すぎんのかな、ミラージュは」
手を口に当て、深刻そうに考え込むクリフ。
ちなみに、この時クリフが持っていた通信機の電源が何かの弾みにオンになっていて、しかもミラージュに関する話題の間だけ通話ボタンまでオンになっており、クォークの船員に全会話が丸聞こえで、クリフが何かの用事でいったんディプロに帰る機会があった時、妙に笑顔なミラージュが「ちょっといいかしら」とクリフの肩を叩いてきたエピソードについては、今後、語れたら語ることにする。
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