大した強敵でもなかったのに、自分だけが救えると思っていた。
その日、青い髪の青年は、リーダーとしてあるまじき行為をとってしまった。
いつものように自分たちに襲いかかってきた敵を剣で薙ぎ払っていた。彼らは、もうかなりの力を付けていて、魔物に応戦するのは楽なものとなっていた。
フェイトが数匹目の魔物を斬り、ふとネルの方へ目をやった時のことだ。そこにはネルだけでなく、霊長類を数十倍の大きさにしたような魔物が、丁度ネルの死角をとるような形で姿を見せていた。ネルはすぐに気づいたのだが、別の魔物と対峙していて対応しきれず、その巨大な魔物が突進してきた地震で、脚を取られてしまった。ずるりと彼女が地面に伏す姿を目にして、フェイトは思わず、
「ネルさん!」
と、まだ他にいる魔物に目もくれず、そのまま重たい剣を両手で持ってネルの元へと走り出した。
今、彼女を救えるのは自分だけだと、他の敵は別の仲間がどうにかしてくれるだろうと、青年はそのとき思ってしまったのだ。
だが、とっさに走り出したフェイトが見たのは、カタナを片手にしたアルベルが、右の方から勢いよく滑り込む姿だった。彼は片足をブレーキにしてネルの元に止まると、ネルの腕を引っ張り上げて立ち上がらせるための反動をつけてやり、そのまま大きく跳んで巨大な魔物に刃を向けた。人間外れの跳躍で敵の額にカタナを突き立てると、敵は苦しみの咆吼を上げて暴れ始めた。妙な色の血を頭からだらだら流しながら、自分を害した相手をなぎ払おうと手を振り回す。しかし、アルベルは後方に跳んでその攻撃を回避すると、再びカタナと義手をかまえて敵に飛びかかった。
それは、最強の名を手にするにふさわしい無駄のない動きだった。
ネルは少し驚いていたようだが、ここはアルベルに任せて大丈夫だと思ったのだろう、先程まで対峙していた敵と再び短剣を交じえていた。
フェイトは立ち止まり、立ち尽くした。
まるで旋風のようだった。
自分の危険を顧みず、風のように舞い降りてきた。
仲間を救う手立てを熟知している、完璧なまでの判断力。
それを熟練という。
フェイトは剣をだらんと下に垂れ、彼らの姿をぼんやりと眺めながら、そのまま、その場に佇んでいた。絶望的な感情が自分の中で渦を巻いているのが分かる。彼らに気力さえも奪われてしまった自分が情けなく、徐々に羞恥心が湧いていくのも認めたくなかった。
勝てない。
絶望の四文字が、脳裏をよぎる。
その時だった。
「フェイト!!」
滅多に耳にすることのない誰かの叫びが聞こえた。
フェイトがそちらの方に振り向くと、ゆらゆらした青い波が見えた。飛び交う赤い液体は、一体なんだろう。
その時のフェイトにはよく分からなかった。
いつしか一帯の敵は全滅した。だが、場は依然、騒然としていた。
「きゃああああ! マリアさんっ!」
「おい、マリア!」
「意識はどうだ」
「出血がひどいね。早く医者へ行かないと」
「やだよマリアさん、しっかりして!」
フェイトには、まだ何が起きているのか分からなかった。心がまるでそこにないかのようだった。
どうして、みんな叫んでいるのだろう。なぜ、そんなことを言うのだろう? マリアはしっかりしているじゃないか。気丈で、努力家で、強くて、頭脳明晰で。
いつもいつも。
「……おい」
不意にアルベルが目の前に現れ、フェイトは彼を見上げた。
「魔物は退治しておいたが」
カタナに付いた血をぶんと払いながら、低い声で言う。フェイトを見下ろすその瞳は、今までにないほど冷徹だった。
フェイトは首をかしげた。
「何だよ?」
「阿呆が!!」
頬を殴られ、フェイトは勢い余って地面に倒れ込んだ。突然のことに辺りがしんと静まり返る。顔をすりむいてしまい、痛いと呟きながら隣を見ると、なぜか地面に仰向けになっているマリアの顔がそこにあった。彼女は目をつむっていて、動かない。
「……マリア?」
わけが分からず、フェイトは、そっと女の頬に片手をやった。
疑問が浮かぶ。
どうしてだろう?
彼女の身体は、血でべとべとだ。
「……あ」
そこで理解した。血の気が引いていき、全身に凄まじい寒気が走った。全ての記憶が巻き戻しのように再生され、その中で一番鮮明だったのは――
なみなみと空中に注がれる、彼女の赤き流血。
「――マリア!!」
叫びは、今の彼女には届かない。
どうしてこの世界には病院らしい病院がないのだろうと、クリフは部屋の中を右往左往していた。
彼らが助けを求めて来たのは、シランドだった。ここならばある程度の施設は揃っているし、急患でも対応しきれる医師が揃っていると思われたのだが、やはり、この文明レベルでは技術的に不足している部分が多すぎた。望んでいたような治療は受けられず、とりあえず一番信頼のできる医師の部屋を借りて意識不明のマリアを寝かせてもらっているのだが、ちゃんとした治療はディプロに任せた方がいいと思い、クリフはミラージュに連絡を試みた。だが、今あちらの通信に異常が起きているらしく、上手く繋がらないため、為す術がなかった。あちらも混乱しているのだろうと妥協したが、よりによってリーダーの一大事である。
腹が立って、クリフは通信機をソファーに投げつけた。
「くそっ!」
マリアの傷口は深かった。腕から脇腹にかけてなので致命傷ではないというのが、こちらの星の医師の診察結果だ。それさえも信じられない心地に襲われるのは、文明の進んだ星に存在しているクリフにとって、やむを得ないことだった。現にベッドの上のマリアの顔は、意識がないくせに苦痛に歪んでいる。額は汗びっしょりで、時々唇を噛みしめたりもしていた。横には青髪の青年がいて、マリアの手を力無く握りながら、ベッドに顔を伏せていた。
クリフはフェイト彼の元へつかつかと近寄り、これで何度目か分からない罵倒を浴びせた。
「この馬鹿が! お前は戦闘中に一体何をしてたんだよ!!」
全てが起こってしまった後に責めても意味はない。だが、マリアがこうなったのは確実に彼の責任だった。
「お前がぼうっとしてなけりゃマリアがこんな怪我することもなかったんだ!」
フェイトは全く反応せずに顔を伏せているだけだ。クリフの額に血管が浮き出る。
「お前の剣は何のためにあるんだ? むざむざ後援の仲間を敵にさらけ出すためか! どうしてマリアがお前をかばうんだ? 前線にいるお前を!」
あの時の状況についてはアルベルから知らされた。告知されたクリフは怒りのあまり部屋のドアをぶち抜いてしまったほどだ。
「戦闘が一番神経を払う所だっていうのはお前が一番分かってなきゃならねえだろ!?」
「クリフさん!」
部屋の隅に控えていたソフィアが割って入った。クリフの手を抑え、彼を見上げて首を振る。
「やめましょう、今は……」
クリフは唇をかみしめると、そのままバシンとフェイトの頭を叩いた。ソフィアは驚いて目をぎゅっとつむる。一方のフェイトは何の動きも見せず、依然うなだれているだけだった。
「くそっ!」
クリフは憎悪の瞳で青年を一瞥してから、部屋からドスドスと出て行った。その姿を見送るソフィアは、もうどうしていいか分からないと唇を震わせていた。
ソフィアはおそるおそるフェイトの側に近寄り、その場にひざまずいた。顔を覗きたいが、ベッドに伏せているせいでままならない。
「フェイト、大丈夫?」
大丈夫ではないのだろう。彼の気持ちは痛いほど分かる。慰めにもならないだろうが、彼の背中を撫でる。
「あ……あんまり、自分を責めないで、ね? 戦闘は、とても恐いものだし、やっぱり危険だから」
何を言ってやればいいのか分からない。もしかしたら逆に彼の怒りや悲しみを買ってしまうかもしれない。返り血を浴びたその服さえ着替えようとしない彼の自責の念は深いだろう。彼の耳にはきっとマリアの苦しい呼吸しか聞こえていないのだ。
ソフィアは目に涙を浮かべた。
「フェイト。きっと……きっと大丈夫だよ。マリアさん、とっても強いから……頑張り屋さんだから……」
そっと、フェイトの手を上から握る。
「大丈夫だよ……」
「……ソフィア」
くぐもったフェイトの声が聞こえ、ソフィアは咄嗟に耳を近づけた。
「なあに?」
「お願い。少しだけ、ひとりにして」
彼ならばそう言うだろうと予想していたので、ソフィアは優しく微笑みかけた。
「うん。ゆっくり、考えるといいよ……」
「……ありがとう」
最後まで顔を上げることはなかったが、フェイトが何か言ってくれた。それだけでよかった。
ネルがいるのは屋根の上だった。
シランド。その端正な街並みは、王都としてふさわしい。優雅な服を着て出歩く人々を眺めていると、こんなご時世でもいやに平穏なものだなと自国ながら思ってしまう。女王がいる聖地なので文句は言えないが、他の町の現状を見ているネルにとっては、王都の雰囲気は、あまり好ましいものではなかった。
のどかな日差しは明るい。しかし、身を小さくしてうずくまる今のネルにとって、その陽気な光は、苦痛以外の何者でもなかった。
「……なあ」
屋根の上にいるというのに近くから男の声が聞こえてくる。ネルは別段驚かなかった。追い払うことはしない。その理由は、自分でもなんとなく分かっていた。
反応をしないネルの隣に人ひとり分ほどの空間を空けて、彼はどさりと腰を下ろした。
「部屋に戻ったらどうだ」
控えめな発言はアルベルなりの気遣いだったのだろうが、ネルは膝を抱えたまま何も言わずに彼を見つめた。アルベルの瞳が戸惑ったようにネルを見つめ返す。奇妙な空気が流れた。
「気にすることはない、なんて言えねえからな」
「当たり前だよ」
淡々とした口調でネルは言い返した。はっきり喋ったネルにアルベルも強気になったのか、
「そうだよな。お前も責任の一部だ」
同じくきっぱりと言う。ネルの顔は、途端に暗く陰った。
「私のせいだ」
「……お前のせいだけじゃない」
「私が脚をとられなければフェイトが余所見をすることもなかった」
「どうだかな。もともと余所見してたのかもしれん。あいつにはまだまだ隙が多すぎる」
「こんな所にいる場合じゃないんだ、私は謝らなきゃいけない……」
「あいつは昏睡状態だぞ」
「なんて言って謝ればいいんだろう?」
「青髪も全く口聞かないしな」
「申し訳ないよ……」
ゆるゆると太陽から顔を伏せる。
「私のせいで……あの娘が……」
ネルは、もはやアルベルの話など聞いていなかった。
アルベルは、今のネルが心底嫌いだった。なんでも自分の責任にすることは、罪から逃げたいという意識の表れだと思っていた。
「なぜ、お前はいつもそんなに自分を責めるんだ?」
アルベルが呆れながら問うと、ネルは顔を上げてアルベルを睨みつけた。
「責任があるんだから当たり前だろう。私の不注意があの娘にひどい怪我をさせた」
「いつもあの女を守ってるのはフェイトだろ。お前も普段の戦闘で見てるじゃねえか。なんで今回だけ自分のせいなんだよ」
「よくそんな無責任なことが言えるね」
「無責任? 心外だな。各々に役割があって戦闘ってもんは成り立つんだよ。戦争の駒を経験しているお前なら分かるはずだ」
「……」
沈黙だ。言い返せないと黙るところも大嫌いだった。それでも彼女の陰った瞳の中にアルベルへの憎悪の色が見て取れて、この女はある意味とても器用だと呆れかえってしまった。人に恨まれることは当然、嬉しくなどない。しかし、アルベルは決して物怖じなどしなかった。
正しいことや真実があるならば、それらを真っ直ぐ伝えるべきだ。たとえ相手を傷つけることになっても、遠慮や曖昧な慰めは相手の為にならない。アルベルは、単純にそう信じているだけだった。
その傷つける相手が、自分にとって大切な人であってもいい。
「……一番、戦いを知っているのは俺たちだろ!?」
自分らしくなく、声を張り上げてもかまわない。
「戦いの最中は誰も守ってはくれねえんだよ!」
この手を焦がされた過去や、生々しい人間の死。出所も分からない憎悪、意味があるようでない殺戮。自分の国の利益への奉公。それはただひたすら刃を振るうこと。
見たくない醜い真実でも、言い訳の見つからない悪戯でも、それが事実ならば事実だと受け止め、そこから生み出される意味を見いだす。
何よりも大切なのは、認めることだ。
「ああやって怪我をするのも当たり前のことだ、ひとりが血を流したからって今更何を落ち込んでやがる! まだ死ななかっただけいいだろう。なんだ? お前は仲間だから大切にするのかよ! じゃあ俺の同僚を返せよ! 俺の仲間も少なからずお前らの国の人間に殺されたんだ!」
その人間に対してはタブーの言葉でさえ、誰も口に出せないような非情な言葉でさえ、言わなければ、人は強くなれない。傷つかなければ、弱い心は何も知らないままだ。
ネルは、ショックを受けたようにアルベルを凝視した。
「な……に」
「戦いに差別やひいきがあってはならねえんだよ」
だからこそ、あの時のフェイトもミスを犯したのだ。
「じゃあ……じゃあ、なんだい? 仲間が意識を失うぐらい重傷を負っても、放っておけって!?」
ネルはアルベルの腕につかみかかり、震える声で問いつめた。
「誰のミスも責めないままでいいってことかい!?」
「誰も責めてねえだろう! 責めているのはお前自身だろうが! 自分を責めることで、お前は自分を救おうとしてるんだよ!」
「なっ……」
「誰も責めてくれねえから自分で己を罵って、結局は自分自身を守ってんだ! 自分を可哀想にして周りから責められないようにしてんのと同じなんだよ、阿呆が!」
「……私はそんなことはしていない」
「してなくても同じだ。同じ事なんだよ。
お前はよく今まで戦ってこられたな……お前に殺された奴らが本当に哀れだ」
バシッとものすごい音を立てて、アルベルの頬が力一杯はたかれた。
ネルの青ざめた顔がすぐ側に見えて、その表情は明らかに深く傷ついていた。アルベルは軽蔑の視線を送り、手の甲で頬を軽く押さえながら、
「……俺は、間違いを言ってるか?」
低い声で問う。
言葉を失ったネルは、頬を叩いた手を宙に固定したまま、唇を震わせてアルベルを見つめていた。だが彼女の目からはだんだんと気力が失われ、アルベルを睨みつけられなくなると、手を下ろして、うつむいた。肩からは力が抜け、今にも倒れ込みそうな様子だったが、アルベルは容赦しない。
「何が一番人のためになるか。それを分かっているのはマリアの方が上だな」
「……」
「年上のくせに情けねえ女だ」
この状況で逃げ出さないネル自身もそれなりに強い証拠なのだろう。アルベルの言葉はとてもきつく、厳しく、そして率直であるからだ。そういった言葉に耐えられる人間というのは、意外と少ない。
「マリアはお前を責めない。そしてフェイトを責めたりもしない。誰かを無駄に罵倒しても意味がないことを知っているからだ。言っておくがな、それは妥協じゃねえ。答えだ。あの女は仲間の在り方と戦いの意味を理解しているんだ」
「どうして」
不意にネルがうなだれたまま呟いた。
「あんたは、こんなみっともない女に諭そうとするんだい」
「……自分を卑下して楽しいか?」
ネルは顔を上げると、暗く、そして悲しい笑みを浮かべた。
「これから先も馬鹿なことを言って、どうしようもない馬鹿なミスを犯すかもしれない」
戦闘員としての自信すら失くしてしまったのだろうか、彼女の声はか細く、弱々しい。
アルベルはそんなネルを励ますつもりで言った。
「じゃあ、そのたび俺が諭してやる。お前が納得するまで、何度でも正論を言ってやるよ」
アルベルの言葉に、ネルは驚いたように目を丸くした。そんなネルの表情を見てハッと気づいたアルベルは、すぐさまそっぽを向いた。
「いつまでもうじうじしているお前は鬱陶しくて、俺の視界に入れたくねえんだよ」
「……そうかい」
ネルは苦笑し、さっき自分が叩いてしまったアルベルの頬に片手をやった。
「ありがとう」
「……」
雨に濡れた後の花のように物悲しげに笑む彼女を見て、アルベルは不思議と自分の右手を浮かせた。微笑む彼女が美しいと思った。この手のひらで彼女の頬、もしくは髪に触れたい、そんな気持ちになって紫の瞳を見つめ、彼女に気づかれないよう手を少しずつ動かす――……
「アルベール! ネルー!!」
医者の家のドアを豪快にぶちまけて外に出てきたのは、見覚えのある金髪の男だった。街路に出て何やら興奮しながら周りをきょろきょろ見回し、名前を大声で叫んでいる。
「何だいクリフ!」
その彼の言葉に応えたネルはというと、すでに十数メートル離れた別の家の屋根に立ち、クリフを見下ろしていた。アルベルは何だか悲しい心地になったが、その場に立ち上がり、同じくクリフを――やや恨めしそうな瞳で――見下ろす。
ネルに振り返ったクリフは、ついでに屋根の上にいるアルベルを見つけると、この上品な街では完全に遠慮される大声で、
「マリアが目を覚ましたぜ!!」
まさしく豪快という言葉がふさわしい、年の割にはつらつとした様子で叫んだ。
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