開けた目は、天井を見つめているようだった。それは見たこともない虚ろな目つきで、長い睫毛が今にも閉じてしまいそうな気がして、フェイトは、マリアの手をまるで彼女の正気を自分が保っているかのような感覚で握りしめた。
 一度クリフたちが目覚めたマリアを訪ねてきたが、依然ひどく怠そうにしているのを心配し、クリフはフェイトも引きずって出ていこうとした。が、マリアがフェイトの手をなぜか放さなかったので、クリフは不満そうにしながらもフェイトのみ部屋に残した。
 そのうち、意識がはっきりしてきたらしいマリアの目が、穏やかに向けられるのを見たとき、フェイトは胸がいっぱいになった。

「マリア。ごめん、ごめん……」
「……どうして謝るの?」

 弱々しく、微かな声だったが、青年に対する慈しみがこもっているのを感じて、たまらずフェイトは目を伏せた。話そうとする唇が震える。

「……なにもかも、僕が悪いんだ、マリアにこんなひどい怪我をさせて。どうして僕なんかをかばったんだよ。よそ見していた僕が全部悪いのに」
「ええ、本当ね」

 それは、非難ではなく慰めの言葉だった。彼女の深い優しさに胸が痛み、目に涙が浮かぶ。

「守りたかったのにね。ネルのこと」

 女性の名が出て、フェイトの閉じた瞼がぴくりと動く。言及されたくなかった部分だが、今の状況で抵抗できるはずもなかった。目を開けると涙がこぼれ、潤んだ視界の中に、マリアの微笑みが見えてフェイトは泣いた。どうして責めないのだろう。いつものように厳しい口調で青年を罵ればいいのに。ネルとアルベルに気を取られ、自分のすべきことを放棄したあげく、いつ殺されてもおかしくない様子で呆然とその場に立ちすくんでいた。敵に襲われそうになったとき、フェイトをかばったのは、後援であるはずの女性だった。

「……僕に怒ってよ、マリア」

 泣きながら、フェイトは言った。かぶりを振ると、いくつもの涙がこぼれ落ちた。まるで雨のように。

「お願いだから……」
「フェイト。もういいのよ」

 よくない!とフェイトは声を張り上げてマリアを睨んだ。泣き顔なので、大した威力はないかもしれないが、フェイトはマリアの怒りを受け止めたかった。戦闘中に何をしているのだと、どうして私が傷つかなければならないのだと責めてほしかったのだ。そうすれば、もっと落ち込むことができる。もっと反省することができる。自分の愚かさを心に刻みつけて、罪を忘れずにいることができる。
 しかしマリアはなぜかいつまでも目の前で優しく微笑んでいるのだ。

「私があなたを守ってはいけない?」

 フェイトはマリアを見つめた。少し異質にも感じられる彼女の穏やかさに対する、怒りにも似た感情が、自分の中にあるような気がした。

「どうして、僕なんかを?」

 不審の混じった口調で問う。マリアは笑みを浮かべたまま天井を見たあと、ゆっくりと瞼を伏せた。

「さあ……どうしてかしらね」

 それからマリアは目を閉じたまま沈黙を守っていた。





 フェイトは思っていた。
 マリアは、ただ同じ運命を共有する者として接触してきただけの人間であり、それ以外の何者でもない存在であると。だから一緒にいるし、同じ姿をしていて、同じ艦船に乗って、同じ敵と戦い、同じ道をたどっているのだと
 フェイトにとって、マリアが自分のことをどう思っているかなど正直どうでもよいことだった。確かに自分たちの代わりは他にいないだろうし、ソフィアも含む運命共同体である互いを失うのは困る。しかし、そこに心情といったものは大して必要ない気がしていた。
 フェイトは冷たいのだ。それは自身でも感じていることだった。仲間として加入したマリアも、フェイトと一緒に過ごすことで重々承知したことだろう。一途で、真っ直ぐで、正義感が強く、頭が固い。だからこそ、ネルを好きになってしまった自分は周囲を顧みない人間になってしまった。ネルを手に入れられないことが憎く、情けなく、彼女を支えてあげられるのがアルベルだけだという嫌でも認めざるをえない事実は耐え難いものだった。彼を目前にすると、嫉妬心が暴走して言葉を止められなくなってしまう。そんな気持ちを戦闘中に抱いていた自分自身でさえも、嫌悪の対象だった。

「君は、そんな僕を見捨てるべき人じゃないか」

 マリアの療養している部屋を出て、入り口近くの壁にもたれながら、フェイトは、涙で濡れた頬を手のひらで何度も拭った。
 どうして彼女はこんなどうしようもない男を守ろうとしたんだろう。
 呆れるほど前しか見えない自分は、同じだけの優しさはきっと与えられないのに。
 どうして。





「すぐによくなるってさ」

 ようやく通信ができるようになったディプロにマリアの件を話すと、まず猛烈な勢いでリーベルが通信機の向こうで怒り狂ったのでクリフは焦った。原因が恋敵フェイト(リーベルの勝手な思い込みだが)にあるということが致命的だったようで、早くマリアを寄越せ、だがフェイトは絶対に連れてくるなと大騒ぎしているのを横からミラージュとスティングが黙らせ、それ以降リーベルがうんともすんとも言わなくなったことに少しの恐怖を感じたが、マリアをこのままエリクールで療養させることも心配だったので、ディプロに頼んで彼女のみ収容したのだった。

「ディプロに行かなくて大丈夫なんですか?」

 シランドにある宿屋のロビーで、マリアとフェイトを除く四人は今後のことを話し合っていた。その中でソフィアが心配そうに尋ねてきて、クリフは小さく肩をすくめた。

「リーベルって奴、分かるか?」
「え? えっと……確か、あの元気のよさそうな人ですよね」
「そう。奴は元気がよすぎてな」

 ロビーのソファに腰かけているクリフは、疲れたように背を持たれて溜息をついた。

「オレが行ったら行ったで、どういう経緯が今回のことが起きたんだ、フェイトを今すぐ殺せだの騒ぎが大きくなるから、ちと遠慮してんだわ」
「あ、ああ……そうなんですか」

 自分の乗っている船なのに遠慮があるんだ、なんだか大変そうだなあ……という顔をしながらソフィアは曖昧に納得したようだった。

「ひとまず俺たちは待機でいいのか」

 ソファの背に腰かけているアルベルが、腕を組みながらクリフに身体を軽くひねって訊く。クリフは振り返らず、ああ、と頷いた。

「幸いディプロの医療設備は充実してるから、数日で復活するだろう。マリアは前線復帰したがるだろうが、安静が必要だから、しばらく二軍にいてもらうことになる」
「フェイトはどこに行ったの?」

 少し離れた場所の壁に寄りかかっているネルが、心配そうに訊く。ネルもまたマリアが怪我した要因の一部だったが、彼女のせいにするのはいささか遠回りしすぎだろうとクリフは思っていて、むしろ憂鬱そうな顔をしていた彼女に「気にするな」と声をかけたほどだった。
 フェイトの名を聞くと怒りが甦り、クリフは眉間にしわを寄せて短く吐き捨てた。

「知らん」
「放っておけよ。どうせあいつは人の話なんぞ聞かない」

 続けざまにアルベルが言う。突き放すような物言いにネルはムッとしたようだが、事実、今のフェイトに話しかけたところで彼は上の空だろうということは分かっているようで、そのまま口を閉じて何も返さなかった。クリフとしては、フェイトが気にかけている人物であるネルの言い分なら比較的受け入れてくれるのではないかと考えたいところだが、性格上、二人して自己嫌悪に陥るのは目に見えているので、ネルに接触を頼む気にはならなかった。
 だからどうせ上手くいかねえよ、この二人は……と心の中で毒づき、クリフはアルベルに賛同した。

「アルベルの言う通りだ。オレも今顔を合わせたら何をするか分からんし、マリアが帰ってくるまで、できれば話もしたくない」
「下手に動かず、この街で待機すべきだな」

 俺は飯を食いに行く、とアルベルは肩ごしにひらひら手を振りながら外へと出ていった。ネルも致し方ないと言った様子でかぶりを振り、ソフィアを散歩に誘って二人して去っていった。
 残されたクリフは、誰もいないロビーで天井を見上げ、深い溜息をついた。

「そうさ。どうせ、上手くいきっこねえんだ……」

 仲間たちの中に生まれている複雑な人間関係に嫌気がさし、クリフは固く目を閉じた。