「……あ。
 ネルさん!」

 不意に聞こえた元気のよい声に振り向くと、

「ネルさんは、お昼はもう食べましたか?」

 青い髪の青年が、爽やかに微笑みながら近づいてきた。





 ざわつく真昼の街の一角。
 交易都市ペターニに行き交う人々の数は多い。
 昼食時であるせいか、どこのレストランも当たり前のように混んでいた。午前中にこの街に着き、「せっかくだからお昼食べちゃってください」というフェイトの言葉に、仲間たちはとりあえず一時解散し、各人で街を放浪している。
 ネルも、昼食を食べるためにひとり街を散策していた。しばしば利用するお気に入りのレストランに行ってみたのだが、窓越しに見える厨房があまりにも忙しそうだったため、躊躇して入るのをやめてしまう。その後も何件かまわったのだが、どこもかしこもせわしなく動いていて、数十分待ちの立て札がよく目についた。今日は何かイベントでもあるのだろうか、なかなか飯にありつくことができない。
 どうしようと少し焦りを感じている中、聞き覚えのある声が自分の名前を呼んだのだった。こちらに息を切らして走ってきた青年に向き直り、ネルも、同じく彼に尋ねた。

「いや、まだだよ。フェイトは?」
「僕はもう食べましたよ。東の通りの方は、比較的すいてました」

 来た方向を眺めつつ、フェイトは自分の口元を手の甲で拭いていた。食べたばかりで満腹、といった様子だ。一体何を食べてきたのだろう? 空腹なネルは少し羨ましく思う。

「そう。この辺は人通りが多いからね、どこも混んでいて全然らちがあかないよ。そっちに行ってみるとしようか」
「そのほうがいいと思います。……あ! あの」

 思いついたようにフェイトが口を開きかけたとき、急にフェイトの背後から別の影が現れた。この街に来るとかなり目立つ方だろう――不思議な格好と髪型をした男が、冷めた目で二人を見下ろしていた。

「なんだい、アルベル」

 怪訝そうにネルが言う。アルベルが答える前に、フェイトが慌てた様子で口を挟んだ。

「あ、あの、これからふたりで武器を見に行くんですよ」
「武器?」
「はい。さっきの戦闘で、アルベルのカタナの柄が欠けちゃったんです。それを修理してもらいに。それと、僕もいいかげん新しい剣に買い換えようかなと思って」

 アルベルのカタナの柄を指差しつつ、フェイトが言う。おそらくフェイトの武器探しが本当の目的なのだろう。一応アルベルは似たような類の武器の使い手だ。他の仲間よりはアルベルに頼りたいのかもしれない。

「時間がかかるかもしれないから、一応、誰かに言っておこうと思って」
「あ、そういうこと。分かった、ゆっくり見てきなよ」
「はい」

 再びにこやかに笑い、フェイトは無言のアルベルを引き連れて、人の多い街路を武器屋の方へと歩いていった。
 ネルは、そんなふたりの後ろ姿を見つめながら、

「……まあ、珍しい組み合わせだこと」

 感心したような口ぶりで呟いていた。





「やっぱり重たいよ、これ」
「うるせえな。いいんだよ、慣れれば平気だ」
「しかも高いし。クリフやマリアに怒られるよ」
「ケチくせえこと言うな。戦闘で死んだら終わりだろうが」
「そりゃそうだけど」

 仲間のまとめ役であるフェイトは会計係も兼任しているので、嫌な顔をするのも無理はない。アルベルに推薦された剣は、今までのものよりも重たく、そして未だかつて無いほどの値が付いていた。
 フェイトは装飾が多い剣をかざしながら、不服そうな顔でそれを眺めていた。もっと使いやすい方がいいのに……とブツブツ文句を言っているのは無視し、アルベルは、武器屋が自分のカタナを修理しているのを心配そうに見つめていた。大事な武器だ、変なことをされては困る。

「あとどのくらいで終わる」

 アルベルが店主に訊くと、店主は、複雑な道具を駆使しながら、こちらに振り向きもしないで、

「あと四十分くらいかね」

 今は話しかけるなとも聞き取れる鬱陶しそうな声で返した。アルベルは、何も言わずにフェイトの方に向き直った。アルベルの推薦した武器はすでに元の位置に戻して、また別の武器を手に持って眺めている。そんな青年を見て、半ば呆れながら問うた。

「おい。さっきのはどうしたんだ」
「だって重いし、高いんだもん。無駄な飾りもついてるし」

 口を尖らせるフェイトに、アルベルはあからさまに顔を歪ませた。

「阿呆だな。無駄に飾っている武器なんか今時アンティークぐらいなんだよ。さっきのは、柄の部分がもともと弱い素材でできてるから、それを補うために金属を張ってたんだ」
「へえ」
「刃はかなり丈夫だったはずだ。もとは刃も柄も重い両手剣だったんだろうが、使い古す前に柄が先に破損したんだ。腕のいい鍛冶師が刀身だけきれいに打ち直したんだな。しかしもともと剣の作り方が特殊で、その時は手元に柄に似合う素材がなかったんだろう。本当は同じ素材で作りたかったんだろうが、木を芯にして鉄を流し込み、更に強度を増すために上に金属を張って焼き入れした。破壊確率はやや高いが、柄と刀身の接合部に問題はないから、お前が使う分には心配いらん」
「よくそこまで分かるね、アルベル」

 感心した眼差しで見つめてくるフェイトに、アルベルは何となく居心地悪さを感じ、閉口して目をそらした。自分が選んでやった剣を再び棚から取り出し、今度は、自分が手に持って眺めながら、

「お前は両手が使えるんだ……重くても、両手で薙げば片手剣の数倍の威力を発揮する。お前は体重が軽いからな。あんまり軽い武器を使うとスカが多くなるんだよ」
「ふうん」
「それにこっちとしても戦闘中に目ざとくちょこまかされるとお前まで斬っちまいそうで、迷惑なんだよな」
「それは」
「口答えするな。俺を付き合わせたのも、俺の意見を聞きたかったからだろうが」

 どし、と剣をフェイトに押しやり、アルベルは再び修理中の武器を見やった。店主は、先ほどとまるで変わらない姿勢で黙々と直している。
 観念したらしいフェイトはそれ以上何も言わず、だがまだ気に入らなさそうな顔で、渡された武器を振る真似をしている。
 店の中には、丁度フェイトとアルベルしかいなかった。武器屋など人が頻繁に出入りする場所ではないし、店主がさらりと(実はフェイトが値切ってかなりの低価格で)修理を請け負ったのも、客が少なくて暇な時間が多かったからと思われる。修理をする店主の瞳は不思議と輝いていた。多分、ああやって壊れた武器をいじくることだけが楽しいのだ。
 壁沿いにある椅子に腰かけ、目をつむる。アルベルはまだ昼食をとっていなかった。とる前に、フェイトに呼び止められたのである。自分の武器の修理も必要だったため仕方なく付き合ったのだが、このままでは昼食を逃してしまうだろう。武器を預けたまま外に出るのは嫌だし、腹は減ったが、この状況下では仕方がない。
 自然と眉間にしわを寄せていたアルベルに、武器の試し振りを終えたフェイトが、おそるおそる問いかけてきた。

「アルベル。もしかして怒ってる?」
「あ?」

 アルベルの血の色の瞳が、長い前髪からのぞく。やっぱり怒ってるんだとフェイトは申し訳なさげに目を伏せた。

「ごめん、付き合わせちゃって」
「別に。俺も、用事があったからな」
「……」

 落ち込んだ様子を見せるフェイトに、気にするな、と口を開きかけたときだった。

「あのさ。訊きたいことがあるんだけど」

 フェイトがどこか深刻そうな顔つきで言った。アルベルが軽く首を傾けると、彼は何やら口をもごもごさせていたが、決心したように視線をアルベルに合わせた。

「ネルさんとは上手くやってる?」

 妙に真面目くさった表情で言われたので、アルベルは面食らってしまった。フェイトはアルベルの隣の椅子に座ると、なぜかとても深刻な悩みを抱えているかのようにうつむき、

「最近、ネルさんと仲いいからさ」

 ちらりと横目でアルベルを見つつ、言う。
 アルベルは呆気にとられていたが、純粋に疑問に思って問い返した。

「そうか?」

 すると、フェイトは急に「そうだよ!」と声を荒げ、

「だってネルさん、前はアルベルをあんな目で見てなかったもん」
「あんな目?」
「前は……もっと憎んだ目をしてた」

 ネルの目とやらを思い出しているのだろうか、口をつぐんで宙を見つめた。その様子を隣で眺めるアルベルには、なぜ急にネルの話題を出し、こんなにも思い悩んだような顔をしているのだろうと不思議でならなかった。
 アルベルは戸惑いを隠しつつ、しかし気遣うつもりで、いつもと変わらない調子で訊いた。

「あのな、なんの話だか全く分からないんだが」
「和解したのかって聞いてるんだ」

 即答してくる。アルベルも、フェイトのわけの分からない態度に苛立ち始めた。

「和解? 俺とあいつがか? んなことあるわけねえだろ」
「じゃあどうして最近、二人とも前みたいに啀み合わないのさ」
「いがみあう、だあ? ガキじゃねえんだからそうしょっちゅう口喧嘩するわけにもいかねえだろ」
「それにネルさん言ってたんだ」

 フェイトはアルベルの言葉を半ば無視しながら、何かを我慢しているかのように、手に持っている剣の柄をぐっと握りしめた。

「あいつを守ってやってくれって」

 思いがけない言葉に、一瞬、目眩に襲われる。

「あいつって、アルベル。
 お前のことだよ」

 暗い影を落とした瞳で、フェイトは、アルベルの顔を見た。

「……」

 呆然とした心地だった。ネルがそんなことを言う意味が分からず、これまでの記憶を素早くたどってみたが、彼女がアルベルに対して守護を願うきっかけなど何一つ思い当たらなかった。
 黙ってしまったアルベルを横目に、フェイトは溜息交じりに続けた。

「なんか、最近のネルさん、変なんだよ。前までは、アルベルのことが憎くて仕方ないって感じだったのに、アルベルに対して柔らかくなったっていうかさ、愚痴とか文句とか何も言わなくなって」

 説明するフェイトの口調があまりにもとげとげしかったので、ネルの謎の言葉はさておき、アルベルはだんだん腹が立ってきた。

「なんだ、お前。俺たちが啀み合ってたままのほうがよかったってわけか」
「そうじゃないけど」

 そう返事をしながらも、フェイトはまったく納得せず、憤慨している様子である。

「そうじゃないけど、なんだか急だったから」
「別にいいだろう、目的を同じくする味方同士ならなおさらだ。口を出すことでもない。あいつがどう思おうが勝手」
「ネルさんの目が!」

 急激に、青年の瞳に混沌とした怒りがこもった。

「お前に対して優しくなったんだよ!」
「……るせえな、阿呆! 何をそんなに怒ってんだよ」
「怒ってなんかない! だけど、今まで僕は心配してたんだよ。このままずっとあの調子で憎み合って決裂したら大変だし、何よりネルさんが可哀想じゃないか」
「あいつが穏やかになったって別に支障はないだろう。むしろお前はそっちの方が都合がいいんだろうが」
「そうだけど、だけど――あんな目をしたネルさん、僕は嫌なんだ!」
「うるせえええええ!!」

 カァーンという、耳をつんざかれる凄まじい金属音が、店内に響いた。
 ふたりが体を縮ませて音の方を見ると、床に、叩きつけられたらしい大きなペンチが、思い切りその口を開かせて刺さっていた。床が、気の毒なほどめくり上がってしまっている。命中していたら、かなり痛そうだ。

「……痴話げんかは余所でやってくれねえか……」

 殺気こもった店主の言葉にふたりは素直にその口を閉じ、店主が修理し終わるまでの数十分間、一言も喋らないまま、店の端っこにおとなしく座っていた。





「ああもう、さっきので正規の金額を取られた。しばらく食費を節約しなきゃ……」

 半ば涙声で、フェイトはうめいた。修理し終えた武器をさっさと仕舞い、街を見回しているアルベルを見上げ、フェイトは不機嫌そうながらもアルベルに礼を言った。

「どうもありがとう……助かったよ」
「あ?」

 よく聞いていなかったアルベルは、片眉を上げてフェイトに振り返った。アルベルはただ単に腹が減っていて、どこかすいている店が近くにないかとその辺を何となく眺めていただけなのだが、フェイトは、そんな態度が気にくわなかったらしい。アルベルを睨みつけ、低い声を出した。

「……結局さ」

 先ほどと同じように、怒りをその青緑色の瞳に宿す。アルベルは怪訝に思って青年を見下ろした。

「ネルさんを苦しめてるのは……」

 まるで仲間たちと一緒にいるときの様子とは違っている。

「お前だったじゃないか!」

 激しい憎悪を隠さないその声と言葉に、アルベルは混乱した。
 これはなんだ?

「お前がネルさんを苦しめてるんだ!」

 頭に嫌な重みを覚える。



 お前に。
 お前にあいつの何が分かる?



 アルベルが思わず声を張り上げようとした、その時。

「フェイト!」

 ふたりの邪悪な空気に光を差すように、高らかな声が響いた。
 振り向くと、青年と同じ色の髪を持つ女性が近くに佇み、こちらを見つめていた。フェイトはそちらを見るなり無言のまま踵を返し、女性とは反対の方向に歩いていった。邪魔が入ったと言わんばかりの大股で去るその後ろ姿は、明白にその不機嫌さを物語っていたが、アルベルも、青髪の女性も、その後を追おうとはしなかった。
 青年の姿が見えなくなる頃、マリアは、そっとアルベルに近づき、無表情のまま彼を見上げた。

「変なことを言われたのね」

 意味深に言う。それから何か思い悩むように目を伏せ、なぜか苦々しい顔になって、

「ごめんなさい……」

 と、とても小さな声で謝った。一体なぜ謝罪する必要があるのだとアルベルが尋ねようとすると、彼女はそれを避けるように背を向けて、もと来た道を戻っていった。