わたくしは、ハッとしました。初めて見る彼の涙に衝撃を受け、思わず枝を踏んで足音を鳴らしてしまうと、彼は驚いたように目を上げて、木の幹の後ろに隠れていたわたくしの姿を目撃しました。わたくしたちの間には深い沈黙が流れ、周囲には、唯一頭上にいる鳥の声だけが響き渡っていました。そのうち、彼が慌てたように目元を手で拭い始めたので、わたくしは、ほとんど反射的に彼の前へと躍り出ました。そして、手首を掴んで目元を拭うのを止めさせると、充血している両目を睨むように見つめたのでした。
 わたくしは、多少の怒りを含みながら言いました。「お泣きなさい」 わたくしの言葉に、彼は細い目をまん丸くして、わたくしのことを見つめ返しました。
 わたくしは続けました。「あなたが今まで泣くのを我慢していたというのなら、あなたは、もう泣かなければなりません」 すると、彼は困ったように微笑みました。「いえ、そういうわけではないのです」
 ですが、その口調は、どことなく嘘っぽかったのでした。もともとネーデにいる間はそれほど彼と関わったことのないわたくしでしたが、物件探しや引っ越しの手伝いなどで彼の傍にいるうちに、彼のことが少し分かるようになっていたのです。わたくしは、毅然とした態度を保って問いかけました。「本当は、とても悲しい気持ちが、あなたの中に眠っているような気がいたします。けれど、あなたは、決してそれを他人に見せようとはなさいませんの」 わたくしが早口でまくし立てると、彼は笑みを消し、苦々しげな面持ちをして地面を睨みました。わたくしは、更に続けました。「ねえ、この半年近く、あなたはずっと泣くのを我慢していたのではないの? 本当は悲しくて仕方がないのに、仲間やわたくしのために、悲しむ素振りを見せなかっただけではないんですの?」 彼は、かぶりを振りましたが、それはひどく力ない仕草でした。わたくしは、だらりと下がっていた彼の片手を握りしめ、彼が今まで押し殺していた感情を外に出して欲しくて、手を包み込みながら、必死になって後を続けました。
 「悲しむ時に悲しまなければ、いつか、心が壊れてしまうわ」