「この人の中に宿る子は、俺の子だ」
それが嫌だから、自分はエルフの世界を飛び出したのではないか。
「だから、俺は帰らない」
兄の言葉に、妹の顔つきが変わった。同じ色をした兄妹の黄金の瞳を瞬きもせず見つめ、次第に唇を震わせて、片手で口元を覆う。
「(う、そ、でしょう……?)」
愕然とした呟きに、ロランはまっすぐに視線を返して「嘘ではない」と断言した。
「俺が愛した人の子だ」
「(うそ……うそでしょう。うそだわ。そんなこと、あるはずがないわ)」
真っ青な顔でかぶりを振り、
「エルフと人間がなんて、あるはずない!」
そう声を荒げるエルフの女性に、周囲の騎士たちも憤りの混じった目を向けた。
ロランはクリスを見下ろした。彼女はかばうように腹に片手を載せ、ロランにくっついて不安げにエルフの女性を見つめていた。顔色が悪い。できればこの場から遠ざけたいが、ドロテが見ている中でそうしてしまうともっと状況が悪化する気がして即座に判断できなかった。クリス自身も、それを望まないかもしれない。
「兄さん」
唸るような声で呼びかけられ、ロランは再び妹を見た。彼女は恨む目つきで兄を凝視し、握りしめた拳をわなわなと震わせていた。
「人間との子どもなんて、信じられない……絶対にあってはならないことよ。人間め、罰当たりだわ!
おぞましい!!」
絶叫の中で放たれた言葉に、ロランの中で何かが切れた。
我を忘れてつかみかかろうと前へ乗り出した途端、様子を見守っていた騎士たちがロランの前に立ちはだかり、その行動を止めた。後ろから腕を引っ張られ、ロラン様!と騎士に呼びかけられたことでハッとする。
再度クリスを見やる。クリスもまたロランの手を取り、ドロテを見据えたまま、こちらを振り返りはしないが「やめろ」と首を横に振った。いつの間にクリスの横にはサロメが来ていて、騎士たちに囲まれたせいでドロテの視界が遮られた隙に、密かにクリスを二階へと連れて行った。
「放してよ、人間臭いわねっ」
声の方を見やると、騎士たちに兄への道を塞がれた妹が、城に来たときのように騎士相手にわあわあと喚いていた。
「放せっ! ちょっと、兄さん! どうにかしてよ!」
「ドロテ嬢、ここはあなたの来るべきところではありません。控えてください!」
「兄さん! 兄さん、本当に帰らないつもりなのね? 母さんに報告してもいいっていうのね!? こんな悲しいことを!!」
「悲しくない!」
ある一人の騎士が、叫んだ。
「悲しいことなわけがない! 言葉を慎め!」
「そうだ! ロラン様とクリス様の御子だぞ。お二人を侮辱したこと許せん!」
最初の一声に触発されて、別のところからも騎士たちの声が上がる。
「お前たちエルフが一方的に人間に敵意を抱いているだけだろうが! 勝手な思いこみを押しつけるな!」
「ロラン様はその垣根を跳び越えてゼクセンに来たんだ!」
「今やロラン様は我らが六騎士、ゼクセンの希望だ! 今更エルフの中に返すつもりなど我々の中にだってないさ!」
次々に沸き起こる男たちの言葉と迫り来る迫力に、さすがのドロテもひるんだらしい、後ずさり、愚か者!とロランに罵声を浴びせて踵を返し、城の外へと走って出て行った。城下町の人間に危害が及ばないよう、兵士たち数人がそのあとを追っている。
仮にも妹である、このあとドロテがどうなってしまうか心配だったが、先ほどの言われ様を思い出すと腹が煮えくりかえって呼び止めるまでもないと、怒りを長い溜息でごまかし、うつむいた。
ああ、とうとう皆の前で公表してしまった。このような形になってしまい、クリスに申し訳がない……
落ち込んでいると、ようやく静まってきた騎士たちが、今度はロランの方に向き直った。その中から、訓練の時に接することの多い壮年の弓兵の隊長が前に歩み出てきて、ロランに敬礼してみせた。
「ロラン様」
ロランはのろのろと顔を上げ、隊長を見た。彼は優しいまなざしをエルフの騎士に向け、微笑した。
「ロラン様、我々は、クリス様のご懐妊を祝福しておるのです」
言葉に、ロランは目を見開く。
「――」
「その……いつ公にされるかはっきりしなかったので、我々も、どう反応していいか分からんところがあったのですよ」
「そうです」
今度は、別の若い男が歩み出てきて、やはり同じように笑んだ。ロランがほとんど接した記憶のない、一端の騎士である。
「クリス様のお腹に子どもがいるって知ったときは、みんな驚いたんですけど。でも、エルフと人間の子どもなんてすごいやって言い合ってたんですよ」
「ロラン様が相手だったら安心だってね。浮気も絶対しないだろうからなあ!」
他の騎士たちも、和やかに笑い合っている。
「ドロテ殿にはびっくりしたけど、俺たちはロラン様がああいう考え方をする人じゃないって分かってます」
「俺らはロラン様の努力家なところを尊敬しているんです。とっても苦労してきた方だってパーシヴァル殿が話してた」
「弓もお強いし」
「背も高くてかっこいいしな!」
「俺たち、お二人の子どもを楽しみにしているんですよ。早く生まれないかなって」
胸が詰まった。
ロランは自分に優しいまなざしを注ぐ周囲の騎士たちを見回し、なんとも言い難い、どこか申し訳がなくもあるが、とてもすがすがしい感情で心満たされるような、そんな感覚を抱いた。唇が震え始めるのを隠すために、頭を垂れ、涙がにじむ目を閉じる。
「ありがとう」と、やっとの思いで口にした。
「皆、本当にありがとう。そしてすまない……とても嫌な思いをさせてしまっただろう」
「仕方ないです。こういうのは、すぐにどうにかできる問題ではありません」
「それよりも、ロラン様はクリス様を守ってあげてください。俺たちも全力であなた方をお守りしますから」
すかさず応えてくれた騎士たちに、ロランはただただ感謝するしかなかった。
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