カリオプテリス   花言葉は「忘れ得ぬ思い、悩み、翻弄」





 その日、ロランは憂鬱だった。またあの男に会わなければならないのかと、そして顔を合わせる機会が格段に増えてしまうのかと。
 パーシヴァルが休暇願を提出し、イクセの実家に戻った翌日、六騎士――いまや五騎士と呼ばれなければならない男たちに招集がかかった。集合場所はクリスの部屋で、騎士団長とルイスとサロメ、そして騎士団長の親友である癖のある青い髪の男が先に待機しており、男とほとんど面識のないボルスやレオは心底驚いた様子で、新入りとなる男性の容姿をまじまじ見つめたのだった。ちなみにルイスは研修のため今日一日留守にすることになっている。
 事務職員の場合、シャツとタイ、ズボンという軽装で出勤すれば済むが、騎士となるとそうもいかない。華奢という表現が相応しい身体に、自分たちと同じような甲冑を纏っているのは滑稽に感じられたが、この男は実に油断ならない人間で、実は騎士団トップクラスの槍術使いであることはブラス城でかなり有名な話となっている。なので、細身で女のような男を一見したとき馬鹿にしそうなボルスとレオも、からかいたくなる衝動を抑えることができたようだ。
 全員が集まると、サロメが平静に説明し始めた。この男がサヴァンスト・デンファレ、クリスの同級生で、パーシヴァルのポジションを今後務めることになる、見た目は無骨とは程遠いが実力派であり、下手すると自分の軍師という立場を奪われかねないほどの秀才である、クリスの親友でもあるし、あまりなめてかからないように。
 連なる言葉に、サヴァンストは軽快にけらけらと笑った。

「ま、ルイスくんが一人前になるまでの穴埋め役というわけです。僕には事務仕事が向いているし、本当はルイスくんを今すぐ昇進させるべきだと思うんですけどね」

 おどけた調子で放たれる台詞を聞き、レオが「パーシヴァルが砕けた感じだな」と耳打ちしてくるのにロランは苦笑をかみ殺した。

「こう見えて奴は強いぞ。私も戦ったら負けるやもしれん」

 得意げに、机の前にいるクリスが言う。騎士団長はなんだかんだでこの親友のことが大好きらしい。
 まるでクリスの守護神が二人になったようだと軽い絶望感を覚えつつも、今後はこの保護者たちと付き合わねばならないのだとロランは密かに腹を決めた。

「最近は平和だし、未来永劫、物騒なことがないように祈りたいですね」

 挨拶を終えたからもう座っていいでしょうという態度で、サヴァンストは窓際のソファにどっかりと腰掛けた。彼の横柄な態度を特に気にもしない様子でサロメが応じる――サロメもまた、クリスが信頼する男ならならばとサヴァンストに対して寛大でいると決めているらしい。

「そうもいきませんでしょうな。シックスクランや近隣諸国にはよく思われていないゼクセンですから」
「ゼクセンは“かたい”んです。堅実かつ誠実だと思われる分にはいいが、取っつきにくさや警戒心を抱かれて敵意に成長すると困る。
 いずれまた戦争が起きますよ。ティントとかね。奴らのいかなる行動の中にも領土拡大の野望が見える」

 いけしゃあしゃあとサヴァンストが言う。礼節にうるさいボルスは、ソファの背もたれに腕を置き、騎士団長の御前で礼儀を欠いている男がかなり癪に障ったらしい、

「サヴァンスト殿は部隊の方に異動ということなんですか?」

 あからさまにそれは嫌だという意図が含まれている語調で、サロメを半ば睨むようにして尋ねた。問われた軍師は、ぎちこない笑みを浮かべる。

「異動ではなく動員です。基本は人事課にいますが、必要な時に出てきてもらいます。評議会との折衝もまれにあるでしょうが」
「今はそれほど忙しくないからな。主に訓練生の面倒を見るのと警戒巡視にあたってもらう程度だろう」

 横からクリスが言い始めたので、ボルスはこれ以上文句を付けることをやめたようだ。承知しましたとあまり腑に落ちていなさそうな様子で頷いた。

「基本は今までと変わらない。ただサヴァンストの存在を承知しておいて欲しいということだ。もし細かな話があれば追って伝えるようにする」

 クリスの言葉を機に、新六騎士は解散となった。ボルスとレオは訓練生を置いたまま抜けてきてしまったため急いだ様子で部屋を出て行き、続けてロランも士官学校の講義の準備があるため踵を返そうとすると、不意にサロメに呼び止められた。

「ロラン卿、講義まではまだしばらくあるでしょう」
「? ……はい」

 部屋に残っているのはサロメ、クリス、サヴァンストの三人だったが、なぜか皆の表情が少しこわばっているのに気が付いてロランは訝しがった。先ほどまではいつもと変わりなかったはずだ。そして彼らの緊張の矛先はどうやら自分に向けられているということを悟り、己の態度に何か問題があったのではないかとロランは姿勢を正した。

「何か」
「話があります。……サヴァンスト殿はどうしますか?」

 ロランと距離を取って正面に佇むサロメが、ソファに座っている青髪の騎士に向かって問うた。彼はひょいと両肩をすくめ、

「出て行ってもいいけど、クリスが不安がるんじゃない?」

 言う。クリスが不安がる? ロランが恋人の方を見やると、クリスはうつむき、銀の前髪で半ば顔を隠すようにして卓上をぼんやり眺めていた。その表情は悲しげというよりは虚無で、今から彼らの口より放たれる話題は、クリスに関する重大な事項であるとロランは確信した。
 背中に冷や汗を感じつつも、出来るだけ焦りが態度に出ないようにと自分を戒めた。他の問題に関しては驚くべきほど興味が薄いが、クリスのことになると話は別で、まるで自分が自分でなくなったように様々な感情がどっとロランの中に押し寄せるのだ。

「分かりました、同席を許しましょう。
 ロラン殿」

 弓使いを見据える軍師の目の中には、敵意や怒りのようなものがあった。いつこの男の気に障ったのかまるで検討がつかず、ロランは必死に様々な憶測を頭に巡らせた。最近、クリスがサロメ、あるいはサヴァンストに相談するようなことがあったのだとしたら? 自分が彼女を不安にさせた瞬間でもあって、それを彼らは怒っているのだろうか? たとえばクリスが恋人に浮気をされたと勘違いしているとか――そのようなことは誓って無い。もし死んで証明しろと命令されたら死ねるほど、自分は無実であると声高に言える。
 なんにせよ、クリスに関する良くないことなのだろうと、ロランの心は陰った。

「……はい」
「近々結婚をするご予定はありますか?」
「……
 はっ?」

 咄嗟に聞き返してしまい、ロランはハッとして口元を覆った。仮にも相手は自分よりも目上の立場の男である。

「し、失礼いたしました」
「いえ、驚くのも無理はない。単に結婚のご予定があるのかお訊きしたいだけなのですが」

 繰り返し、かなり真面目に問うてくる。
 ロランはおびただしい数のクエスチョンマークを頭の上につけていたが、表情には出ないので、一見すると何の動揺もない淡々とした相貌で返した。

「ございません」

 過去にクリスの花嫁衣装姿を見たことはあるが、だからと言って彼女と婚約したわけでも、そういった話題が出たわけでもない。もしかして、我が騎士団長は、弓使いが恋人ではなく別の女性と結婚するのではないかと疑っているのではないか? 何を馬鹿なことをとクリスの方を見やると、無表情の彼女と視線がぶつかった。その紫の瞳は依然、晴れることなく暗かった。つまり、ロランがいま口にした「結婚する予定など無い」という台詞は、彼女が抱く不安をぬぐい去るものではなかったということだ。
 問いはこの先も続く――結婚などという人生に関わる重大な単語がこの場のキーワードになっているのだ、ロランは逃げ出したくなった。とにかく他人の前で自分の内情が暴露されるのが大嫌いなのだ。
 おそらく思慮深きサロメには、弓使いの胸中がどうなっているか判断はついているだろう。しかし、それでも軍師は容赦しなかった。

「ないのですね」
「はい」
「これからのご予定は?」

 これから? ロランは声にはせず唇を動かすだけで聞き返した。軍師がこくりと頷く。
 年齢が年齢であるし、周囲から結婚云々の話が出ることはあったが、せいぜい噂好きな人間たちの「結婚はしないのか」という詮索程度であって、どこぞの女性との見合い話が持ち上がったわけでもない。エルフの男としても適齢期というのは違いないが、ロランには婚姻というものに大して興味がなかったし、それに対し考えるところもあった。軍人という戦争に関わる職業に就いている限り、いつ自分が命を落とすか分からない。もし自分に何かがあって配偶者を遺すようなことがあれば、それは悲しいことだと思っていた。
 では、クリスとは? 彼女と婚姻関係にありたいと思ったことはあるか? 深く愛し合っている身だ、想像したことがないとは言えない。図書館で、人間とエルフの子どもは一体どういう形で生まれてくるのだろうかと文献を探していたほどなのだから。
 しかし、自分たち二人は――

「ございません……あの」
「分かりました。婚姻のご予定はないのですね」

 サロメが遮った。まるで怒っているような素振りに、ロランも訳が分からなくなってきて腹が立ち、眉をひそめた。

「あの、何かあったのですか」

 急かす問いに、軍師は横を向いて溜息をつき、それからロランを強い眼差しで見据えると、

「クリス様がご懐妊されているかもしれません」

 吐き捨てるように言った。