馬を走らせ、ゼクセに着いたのは夕方だった。
二人はガチガチに固まっていた。普段クリスから誘うときはそうでもないのだが、今回の出来事はどうやら二人には強烈すぎたようで、移動している間もほとんど言葉を交わさず、ようやく口を開いたのはクリスの自宅前という有様だった。
出迎えてくれた執事に弓使いが遊びに来たと告げる。関係を知っている執事は、二人が赤面するほど嬉しそうな様子で歓迎した。夕飯はどうするだの泊まっていくのかだの矢継ぎ早に訊いてきたが、とりあえず自分の部屋に行きたいと消え入りそうな声でクリスが言うと、事情を悟ったかのように「ごゆっくり」と二人の時間を与えてくれた。
私室のドアを開けて入る。誰もいない二人きりの空間になった途端、両者共に盛大な溜息をついた。
「なんだろう、すごく疲れた……」
「私も」
顔を見合わせ、苦笑する。そのときのロランの顔がとてもリラックスしているふうに見えて、クリスの心臓の音がうるさく鳴り始めた。最近気付いたのだが、彼は淡泊ではあるものの外向きと内向きの顔を持っているらしく、このようにほころんだ表情を見せるのはよほど心許した存在の前だけのようだった。かなりの信頼関係を結んでいるサロメとの寝酒の席でさえ、これほど緩んでいる表情を見せることはない。
自分にだけだったらいいなと思いつつ、クリスはソファに腰掛けた。
「湯浴みをしたいな。馬で走り続けていて風を浴びすぎた。身体が冷えてしまう」
「まことに恐れ多いうえ今更ですが、私は本当にこの部屋にいて大丈夫なのでしょうか……」
不安げに言うので、部屋の入り口に立ちっぱなしのロランに、とりあえずまあ座れとソファの隣を空けてやった。ロランはためらっていたものの、クリスが待っていると気付き、のろのろ近づいて「失礼します」とそっと腰掛けた。
早速、クリスは猫のようにごろごろとロランの二の腕に頭をすりつけた。
「んん。ようやく解放された感じだな」
「ええ……」
「お腹すいたか? 考えてみれば昼食抜きだった。図書館から出てすぐ出発してしまったし」
「レオ殿も置いてきてしまいました」
聞いて、クリスは「そうだった!」と背筋を伸ばして瞬時に青ざめた。酒場で飲み食いしているレオとは、後ほど合流して一緒に帰るつもりだったのだ。
「どうしよう! 怒ってるかな?」
「いえ、私が馬で発つ際に言付けを頼んであります」
さすが気の回るロランだ、クリスは胸をなで下ろす。彼も悟ってくれるだろう――レオもサロメ寄りの人間で、どちらかというと二人の仲を認めてくれている節があった。言い換えれば、レオはあまりクリスに興味がないのだ。
先ほどの行動を再開し、腕に頬をすりつけたり片手を握ったりしてみる。ロランは困ったように身じろいでいたものの、そのうち繋いだ手を握り返してくれた。大きくてごつごつした男性らしい彼の手が、クリスは好きだった。自分は女なのだとしみじみ自覚するし、この手のひらで髪や肌を撫でられているのだと思うと照れもあるが嬉しくなる。
最中の時のロランの優しい手つきを思い出し、クリスは彼を見上げてそっと尋ねた。
「湯浴み、する?」
ロランは、よいのだろうか……という表情でクリスを見下ろした。だが彼も外を勢いよく馬で走ってきたせいで身体か冷たくなっているだろうし、こういったことを放っておくと風邪を引いたりする。ましてや痩せ形で体脂肪率が一桁だと思われるロランだ。
かまわないさと笑むと、ありがたいと彼は礼を言った。クリスは満足げに頷く。
「じゃあ、一緒に入ろうか」
「は」
とっさに返されたものは、かなり間の抜けた声。慌てて口元を覆っているのが可愛らしい。
「し、失礼……」
「一緒に入るだろ?」
「は、入るとは?」
まるで予想していなかった調子だ。クリスは口を尖らせてみせた。
「風呂にだよ。お前、ここまで来て、誰にも邪魔されないこの場所で、共に風呂に入らない理由があるのか?」
「理屈が妙に感じられるのですが……あの、湯浴みにご一緒するのですか?」
「そうだよ。今更隠すものなど無かろう」
それはそうですがと顔を赤らめて口を押さえたままうつむく弓使いがあまりに愛おしく、むずむずしてしまい、クリスは耐えようと頑張ったが我慢しきれずにソファにロランを押し倒した。
クリス様!?と驚嘆の声が上がる。
「何を」
「入るったら入る! 入りたい! 入らせろ!!」
「し、しかし」
「しかしじゃない一緒に入る! 私の夢だったんだよ、シャワーだけでいいから!」
「いやでもそれは」
「入るんだ!!」
完全に子どもの駄々である。
自分を引きはがそうとするロランの手を押さえつけ、喉元に軽く噛みついたり首に巻き付いたりしているうちに彼は疲労に襲われたらしい、ぐったりし始めた。大人しくなったところにクリスが「いい?」と首をくりんと傾けて尋ねると、彼はじろりと睨んできたが「ご命令とあらば」と大きく溜息をついて承諾した。ご主人様に可愛がられすぎた猫がいいかげん疲れてげんなりしている様に似ている。
クリスは愉快になってようやくロランを解放し、じゃあいろいろ準備する!と部屋の中をうろつき始めた。自分に愛されたロランはつくづく大変だなあとのんきに考えながら。
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