ピーチ   花言葉は「チャーミング、あなたに首ったけ、恋の奴隷」





「絶対に嫌だ、恥ずかしい!」

 ばすんとクッションを投げつけるとサロメは咄嗟に両手を出し、顔にぶつかりそうになる直前でそれを食い止めた。さすがは武芸の腕ナンバーツー、騎馬戦は引退気味だが、反射神経の鋭さは未だ健在のようだ。
 キャッチしたクッションを抱きかかえ、サロメは困ったように笑いながら首を傾けた。

「でも、もう連絡を入れてしまったので」
「無理だ。断ってくれ」
「残念ですが、キャンセルは不可とおっしゃってまして」

 悪びれた様子もなく言ってくる。クリスはとソファにうつぶせに倒れ込み、しくしく泣く真似をして抵抗を試みるが、「気分転換にお茶でも飲みますか」という全く反省していない軍師の声が聞こえてきた途端、腹を立ててもう一つのクッションを思い切り投げつけた。
 二投目も片手によって易々と受け止められてしまい、二つのクッションを手にしたサロメが、溜息をつきながらこちらに向かってくる。クリスは恨み辛みを込め、彼を睨みつけた。

「お前は私にマネキンになれって言っただけだろうが! だから私はしぶしぶ承諾したのに」
「うーん、しかし、服の仕立てが目的なのですから、あなたに着てもらわなければ向こうも意味がないのだと思いますよ」
「だって展示品だろう? そんなもの人形に着せればいい!」
「あの婦人もクリス様に着ていただくのが楽しみだと言っていましたね」

 会話が噛み合っていないことに苛々し、クリスは立ち上がるとクッションをソファに置こうとしていたサロメに迫った。騎士団長が殺気立っていることに気付いて困惑したらしい、彼は瞬きをしながらすっと姿勢を正す。
 クリスは人差し指を彼の鼻の頭に突きつけ、凄んでみせた。

「あのな、私は、お前の知り合いの服屋の貴婦人が私の体型でドレスを作りたい、そのためにボディ役をやってくれと言われたから仕方がないと請け負ったんだ。我らゼクセン騎士団のベストやタセットを任せている服屋だから、尚更断る理由もなかろう。
 だが、私にその仕上がった服を着て、お披露目してくれというところまでは契約の中に含まれてはいない」
「でも仕立てた服の寸法が本当に合っているか確かめなければなりません。それは言わずとも了解のうちに入ると思いますが?」

 サロメにも苛立ちがあるのか、クリスの前では大抵にこやかにしているはずの顔から表情が消えている。別にクリスはサロメを怒らせたいわけではない。ただ、請け負った依頼と少し話が違っていたからそれに対して不服を申し立てているだけなのだ。
 先日、業務後に、サロメが「お願いがあるのですが」と珍しくクリスに頼み事をした。言い方からして深刻なことや仕事のことではないと悟り、好奇心で内容を訊いてみると、彼の知り合いの服屋の店主がクリスの体型でワンピースを作ってみたいとサロメを通じて頼んできたとのこと。売り物ではなく展示用なので、できる限りスタイルの良い女性を起用したいと言っているらしい。
 スタイルの良い女性と聞き「私以外にもたくさんいる」と真面目に断ったのだが、サロメに呆れた様子で「その台詞を他のご婦人方の前で発言してはなりません」と咎められた。言っていることの意味が分からないと首をかしげているうちに、実はその貴族の店は昔から騎士団の服飾関係を任されている伝統ある仕立て屋なのだと聞かされ、それでは断る余地はなかろうとゼクセン騎士団長は仕方なく承諾したのだった。
 その数日後の夜、サロメと共にゼクセの服屋に行くと、興奮して目をきらきらと輝かせた五十歳くらいの店主の貴婦人が早速、クリスを作業部屋に放り込んだ。下着姿にさせ、あちこちをメジャーで計り、布を当てて寸法を測っている女店主の情熱は、もはや恐怖を覚えるほどだった。動かないでくださいと言われてクリスは微動だにしないよう懸命に努力したのだが、指先が肌の上を這い回ることに耐えきれず、何度か吹き出して計り直しということを繰り返してしまい、結局その日はブラス城に戻れずサロメとゼクセに泊まって朝帰りだった。当然、服の依頼のことなど知らない城の連中は大騒ぎ、クリスの意中の弓使いはというと、騎士団長と軍師の前で表情をこわばらせるわ疑心暗鬼になるわで、説得するまでかなり大変だった。
 こういった一連の流れに懲りて、もう二度とこういった頼み事を受けるのはやめようと思っていた矢先、まだ店主の希望には続きがあったのだとサロメから聞かされて憤慨したというわけである。

「ワンピースなんて、そもそも私の柄ではない」

 どすんとソファに座り、そっぽを向く。やれやれといった様子でサロメもクリスの隣に腰掛け、持っていた二つのクッションを脇に片づけた。

「お披露目というのは言い過ぎだと思いますが、作った服を身に纏ったお美しいクリス様を見たいのですよ、あの婦人は」
「……」
「出来ることなら願いを叶えてやってくれませんかね。一応伝統ある仕立て屋なので」

 あまり向こうの機嫌を損ねると騎士団との関係に懸念が生まれますし……といけしゃあしゃあ言う軍師を半眼で睨み、クリスはしっかりと首を横に振った。

「嫌だ」
「クリス様……」
「それに、私はそもそも服に大した興味はないし、なぜまたゼクセに赴かなければならんのだ。面倒くさい」
「おや、いつ私がゼクセに行かなければならないと言いました?」

 肩をすくめるサロメを見て、クリスはさっと青ざめた。まさか……と口を動かすと、彼は案の定にこりと笑って頷き、

「ここに来るのですよ、服を持って」

 告白した。
 クリスは眩暈を覚え、ああ……と再びソファの上にしなだれた。