クレオメ   花言葉は「秘密のひととき、あなたの容姿に酔う」





 二人が逢瀬を重ねられる場所は、そう多くはない。ブラス城のクリスの自室では出入りを見られる心配があるし、そもそも一日中ルイスやサロメがくっついているためロランと会う約束を交わすことすら難しい。だからといって、男性宿舎に数少ない女性のクリスが忍び込むのも物騒すぎ、ロランもこれだけは頑なに拒むため却下となっている。ゼクセにあるクリスの実家はといえば、騎士たちに目撃される可能性は多いに減少するものの、男が女の実家を訪れるという確定的な要素であるうえ、両者ともに有名人なため街の連中のゴシップにされれば城でばれるよりも被害が大きくなる。
 様々な方法を考案しては取り消し、行き詰まって、どうしようもないなら諦めるしかない、どうせ仕事で毎日顔を会わせているのだからそれでいいではないかと溜息をつくロランに、クリスは口をへの字にしてかぶりを振った。
 嫌だ、逢いたい。
 クリス自身まだよく分からないのだが、ロランに愛されてからその心地よさの味を占めた節があり、好きな男にすれ違うたびに「逢いたい、抱き合いたい」という気持ちが沸き起こってどうしようもなくなっていた。あくまで公私の境目がはっきりしている二人であるため、仕事中そういった欲を顔に出すことはしないものの、クリスの中ではそれがむしろじれったく、歯がゆく、二人きりの執務でもないかぎり一日しれっとし続けなければいけないことに苛立つほどだった。もともとクリスはそれほど気が長い方ではないのだ。
 最終的に落ち着いた逢瀬の場所は、恋愛関係になる以前から恒例となっていた寝酒の習慣によるクリスの部屋だった。クリスとサロメ、後から合流したロランの三人で、夜寝る前に他愛もない雑談をしながら一時間程度過ごすといったことが行われていたのだが、幸運なことに、クリスのことをまるで父親か兄かそれ以上の愛ゆえかで見守っていたサロメが、騎士団長と弓使いとの仲を寛大に認めてくれているのだった。二人がなかなか逢う機会を持てないということに気を遣ってか、時たま「今日は私は欠席します」と言ってクリスをロランと二人きりにさせてくれる。クリスは単純にありがたいと思い、ロランは何か裏があるのではないかと未だに疑っているものの、結局のところクリスの部屋以外に二人の親密な触れ合いが可能な場所など無かったのである。
 サロメが席を外してくれるのは一ヶ月に二、三回程度で(あまり不在の回数が多いと周囲の疑いが強まるだろうとサロメは懸念してくれているらしい)、一時間から二時間という時間がなかなかよろしく、単純に寝酒だけで済ませる場合もあれば、ベッドの中で熱い包容を交わしている時もあった。
 依然、上下関係と体裁を意識しているロランからは誘うことはなく、全てはクリスのおねだりがきっかけとなっている。今日も「一ヶ月ぶりだからしたいな」というクリスのうるうるした瞳に降参したのか、あるいはロランも一ヶ月間相当な我慢をしてきたのか、わりとすんなり事は始まり、無事に終わったのだった。
 男性宿舎に戻るまであと一時間程度ある(全体を二時間とみなしたいクリスの願望からだ)ため、ロランはクリスの隣に仰向けに身体を横たえつつ、クリスは最近発行された雑誌をシーツに広げてうつ伏せになっていた。二人とも全裸なので、一枚の毛布を仲良くかけている。
 事後の疲労感からかうとうとしているロランに、寝てしまっては困ると彼を目覚めさせるつもりでクリスは話しかけた。

「ロラン、こういうのどう思う」

 雑誌を片手に持ち、これ、と開いたページを見せる。ロランは眠たげな目を記事に向け、無表情で沈黙したあと、クリスに視線を移した。

「……ドレスですか?」
「そうだ。お前も、私がこういう煌びやかな格好をするのが好きなのかと思ってな」

 再びベッドの上に寝かせた記事には“男性が着てほしいと思う女性の衣服”というタイトルが付けられており、女性のドレス姿が第三位に上っていた。結婚式やパーティ以外では滅多に見ることができないドレスに夢を抱いている男性がゼクセンでは多数派なようだ――ゼクセンの堅実な女性たちの肩や腕などの露出が多くなるからだろうが。

「私はドレスなんて着たことがないからな。幼少の頃は母が着せていたが、騎士を目指してから男のような格好ばかりしていた。女性の服はひらひらしていて動きにくい」
「……」
「でも、どうだろう。私がドレスを着たら似合うかな?」

 隣のロランは口を閉じ、じっと天蓋を見つめている。聞いていないわけではなく考えている態度であるということをクリスは最近なんとなく分かってきた。彼の動作は、その気長な性格からかスローテンポなのだ。
 しばらくして回答があった。

「……似合うどころの話ではないのでは」
「えっ、絶望的か?」
「いえ、クリス様を知る人間なら誰もがその姿を切望するのでは」

 まるで当たり前のような台詞に、クリスは怪訝な顔をした。

「そうか?」
「自分で訊いたのになぜそんな表情をなさる……」
「いや、だって私みたいな凶悪な女がドレスだぞ? ふさわしくないって言われる可能性の方が」
「あなたのような美しい銀髪と均等のとれた身体にドレスが似合わないはずがないでしょう」

 遮るように言われ、クリスは少し顔を赤くした。口調こそさらりとしてるもののロランに真顔で言われると冗談には思えず――もとより彼は決して冗談でこのようなことは口にしないのだが――素直に受け止めなければいけない気がして、どうにも落ち着かない。
 雑誌を閉じ、彼が優勢であることに拗ねて顔を枕に埋めた。

「……どんなドレスが似合うかな」

 それでもロランがドレス姿に賛成してくれたことが嬉しく、くぐもった声で訊くと、大きな手のひらで頭を撫でてくれる。

「そうですね……あなたは銀髪だから、同じく銀色の輝くドレスや、あるいは黒のドレスか……形は、身体の線を綺麗に出すものがよいでしょう」
「具体的だな」

 思わず顔を上げてロランを見やる。彼は薄く笑んでクリスをじっと見つめていた。とてもリラックスしている時の表情だ。
 ここのところ本当にロランの感情がよく分かるようになった。むしろどうして今までこんなに表現豊かであることに気付かなかったのか不思議なくらいだ。
 人を好きになると相手のことをよく見るようになるのだなと考えつつ、もそもそと身体を這わせてロランの胸元に顔を寄せる。すべすべしている彼の白いみぞおちを撫でると、くすぐったそうに身動きしたが、特に抵抗はせずクリスにされるがままになっていた。

「きっと美しいでしょう。他人に見せるのが惜しいほどに」
「うっ、うるさい、そうでもないさ。見てがっかりすればいいんだ」
「着るご予定がおありで?」
「ないけど」

 でも濃いグレーのぴったりしたドレスってどっかで見たことがあるなあと呟き、クリスはロランの背中に腕を回した。
 ロランは変わらず頭を撫で続けてくれている。その心地よさに、クリスはいつの間に眠ってしまった。
 次に起きるとロランの姿は無く、几帳面な彼らしく二人の痕跡を一切残さないようベッドの上も寝酒のあともきれいに片づけられていた。
 朝焼けの中、隣に想い人がいないというのは寂しいものだなと、クリスは小さく息をついた。