その日の夜、ロランが寝酒のためにクリスの部屋を訪れると、いつも先にいるはずのサロメの姿がなかった。
 おかしい、今日は席を外すという言づてはなかった気がするのだがと思い、部屋の中を見回す。サロメのみならず、扉をノックした際に確かに返事をしたはずのクリスの姿すらなかった。もしかして奥の個室にいるのではないかとそちらを見たが、扉は閉められていて、そこばかりは騎士団長の衣類やらプライベートなものがあるためロランも入ることはなかった。
 扉の向こうに人の気配がある。しばらく待っているとドアが開き、隙間からクリスが顔を半分だけ覗かせた。上目遣いで、なにやらロランの様子を窺っているらしい。
 何事であろうかと無言で佇んでいると、クリスはなぜか頬をほんのり赤くして睫を伏せた。そういえば、寝る前には化粧を落としているクリスのメイクが昼間のままになっている。しかも少し濃いめだ。

「……あったんだ」

 ぼそりと呟かれた言葉に、はい?とロランは首をかしげた。

「何がですか」
「……これが」

 クリスがとうとうドアを開けきると、そこには。

「――クリス様……」

 ロランは目を見張った。
 開放されたドアの向こうに立っていたのは、長い髪を真っ直ぐに下ろし、髪色より濃い銀のぴったりしたロングドレスを身に纏ったクリスだった。
 クリスはスタイルが抜群にいい。常に身体を動かしているため筋肉のバランスが取れ、胸もそこそこあり、腰は曲線を描いてくびれていて、脚はほどよく長い。甲冑で全身を覆っているせいで日光に当たらない素肌は色白だ。着ている銀のドレスはチューブトップタイプで、雪のごとく白い胸元がぎりぎりまで露わになっている。その真ん中には、艶めかしい谷間の予感がくっきりとあった。
 ロランは衝撃を受けたまま立ち尽くし、もじもじしているクリスの姿を瞳に焼きつけていた。
 美しい。
 声にできない。

「へ……んかな?」

 何も言葉を発しないロランを不安に思ったらしく、おどおどと尋ねてくる。ロランは数歩進んでクリスの前に立つと、少し骨張っている目がくらむほど真っ白な二つの肩を見下ろした。
 ロラン、と控えめに名を呼ばれる。奥の部屋に誰もいないことを視線で確認してから、ロランは軽く腰を屈めるとクリスの耳にキスをした。

「お美しいです」

 ぼそりとではあったが心を込めて囁く。クリスはハッとしたようにうろたえ、羞恥からか顔を真っ赤にしてその場から下がろうとした。すかさずロランは彼女の片腕を捉える。

「まだ――もう少し、見せてください」
「うう、いやだ! すごく恥ずかしい」

 泣きそうな表情でふるふると首を振ってうつむく彼女が可愛らしい。

「なぜ、このような格好を?」

 純粋な好奇心で訊いたのだが、クリスには責めの言葉に聞こえたらしい、逃げ出すため掴まれた腕を引こうとする。しかしロランはそれを頑なに拒んだ。

「クリス様、質問にお答えください」
「だっ、だから、あったんだよ! 母からもらったドレスが……」

 どうやっても弓使いの腕力には敵わないと悟ったらしく、しょんぼりしている。なるほどそういうことかとロランは喜々とし始め、思わずクリスの頭を手で撫でた。

「今から舞踏会に行かれるのですか?」

 いじわるのつもりで問う。クリスは拗ねた子どものように唇をすぼませ、小さくかぶりを振った。

「違う。ただ……」
「ただ?」
「ただ、お前に見せたくて、だな……」

 予想していたことが真実となり、ロランはたまらず両腕で彼女の身体を包んだ。しなやかな背中をドレス越しに片手でなぞると、彼女は悲鳴のような小声を上げてロランの胸元にすがりつく。

「ロランっ」
「こんなに美しい女性を生まれて初めて見ました」

 正直な気持ちを言ってやる。クリスは腕の中で懸命に首を横に振った。

「そんなことない。もっと美しい貴婦人方は大勢いる」
「クリス様には及ばないでしょう」
「そっ、そんなこと言ったら世界中の女から非難されるからな」

 殺されても知らんぞと両手で背中をぱしぱし叩いてくる。彼女の照れや怒りすら愛おしく、ロランはクリスの背中に手を上へ上へと這わせ、うなじにたどり着くと、髪にすっと指を通した。敏感な場所だったのか、あっと声を上げてクリスが上を見る。ロランはすかさず彼女の唇に軽く口付けた。

「ん……ロラン」
「はい」
「じ、自分で着たんだ……化粧も自分でした。不慣れだからドレスもちょっと皺になってしまったんだが……
 ふふ……鏡に映っていたのが昔見た母そのままで、少しびっくりしたよ」

 腕に収まり、頬を赤らめて少女のように笑うものだから、ロランはだんだんと理性の限界を感じ始め、おそらくこのままでは我慢できないだろうと予見したものの、寝酒に同席するはずのサロメのことが気になってクリスに問うと、彼はすでにドレス姿を堪能して早々に部屋を出ていったということだった。
 一番初めに彼女を見たのが自分ではないということにロランはひどくがっかりしたが、サロメの気遣いには心から感謝した。

「クリス様。私はそろそろ限界です」

 もう欲望を抑えるのは無理であると包み隠さずに言う。しかしクリスはよく分かっていないようで、何がだ、と不安そうに眉を下げて訊いた。

「早く着替えろってことか?」
「失礼します」

 ロランはクリスの身体を強引に回転させ腰を屈めると、彼女の膝の裏に腕を差し入れ、ひょいと抱きかかえた。
 何事だ!?とクリスは暴れたが、ロランが珍しくにこりと笑いかけてやると事情を悟ったらしく、おとなしくなる。彼女も予感していなかったわけではあるまい。
 運ぶ先はソファでも良かったが、自分にはサイズがいささか小さすぎるため“やむを得ず”ベッドにクリスを横たえた。
 銀のドレスが花のようにシーツの上に広がり、脚線美がスカートにくっきりと浮き上がる。クリスは恥ずかしさでいっぱいいっぱいなのか、ロランから赤い顔を背けて身を堅くしている。
 ベッドサイドに乗り上げてクリスの顔の横に両手をつき、じっと見つめてみる。彼女は身動きしないことで抵抗していたが、そのうち、観念したのかロランの首にそっと両腕を回した。
 ロランがタイを外していると「昨日もしたのに」という可愛らしい文句が下から聞こえてきたが、ふふと微笑むことで彼女を制した。

 結局、銀のドレスは中身を抜かれてベッドの横に下げられたままだった。