ああ、まったく。
 肩に寄り添ってくるティナの体重を感じながら、俺は溜息をついた。
 比較的降雪量が少なかった日の夜、ナルシェ酒場で貸し切りの飲み会が開かれた。
 もう完全なるどんちゃん騒ぎ。酒に強いエドガーやセッツァーが周りに注ぎまくるものだから、メンバー全員が出来上がってしまい、飲み屋は酒乱の巣窟と化した。俺は飲み過ぎると吐く方なので遠慮していたが、盛り上がりに盛り上がった奴らが異常にギャーギャー騒ぐものだから耳が痛くなり、少し避難しようと外にこっそり逃げだそうとしたとき、ソファでぐったりしているティナを見つけたのだった。小さな身体には過剰なほど飲んだのだろう、顔を火照らせ、半分うつろな様子な目をしている彼女を見て、このまま一人放っておくと何やら色々とマズイ気がすると思い、外に連れ出した。連れ出す時も、皆に散々茶化されてうんざりだった。
 雪がそれほど積もっていないとしても、ナルシェの夜は寒い。外に出ると、酒のせいで熱くなった頬が急激に冷やされ、キリキリと痛む。人通りの少ない宿の裏手の軒下に座り込むと、ティナが崩れるように俺にもたれかかってきた。その目はかたく閉じられていて、頬は蒸気していて、唇は半開きという、なかなか妖艶な様子ではあったが、意識は半ば無いようで、俺の横で眠ったように黙り込んでいるだけだった。
 宿屋を出るついでに持ってきた俺のコートを肩にかけてやり、しばらく暗い鉛色をした空を眺めていると、不意に彼女が身動ぎをして、俺に話しかけてきた。

「ねえ、ロック……」

 一応隣にいるのが俺だという認識はあるのかと思いながら、俺は返事をした。

「うん?」
「ロック、私、愛がなんなのか、今、知りたいの……」

 俺は、素直に怪訝な顔をした。べろんべろんに酔っぱらった彼女の中で、果たして何が起こっているのだろう、酔いが回ると哲学的になるタイプなのだろうか。
 それはまた深い話題が口火を切ったね。俺が溜息混じりに言ってやると、彼女はあまり聞いていない様子で、再び口を開いた。

「ねえ……愛って、どんな?」
「ど、どんな? うーん、そうだなあ……難しいな」
「愛って、難しいの?」

 閉じられていた彼女の瞼が、ゆっくりと持ちあがる。明かりは軒下に掛かっている小さなランプだけなので、瞳の色は判別できない。
 彼女は俺の横顔に視線を送っているようだった。俺はあまり彼女と目を合わせたくなくて、近くに積もっている、あまり踏みならされていない雪を眺めながら、そうだねえ、と首をかしげた。

「難しいかな」
「……でも、その難しいものを、人間は知っているのでしょう?」
「ティナだって人間だろ」
「人間ってすごいのね……」

 話が微妙に噛み合っていない。
 彼女の肩からずり落ちそうなコートを直しつつ、俺は微かに苦笑した。

「そうだね。時々すごいかも」
「ロックは、愛が何かを知ってる?」

 子どものように純朴な上目遣いの視線を送られ、俺は彼女から目線を外し、指で頬を掻いた。後ろの壁に背中をくっつけると、冷えた煉瓦が身体を震わせた。

「まあ、知っている、かな」
「そうなの……愛って、どんな形をしているの?」
「形……」

 それはまた抽象的な話だ、と俺は戸惑いを覚えたが、愛という感情がよく分からないという彼女にとっては、愛はそれが何なのかを尋ねたり、形を理解したり出来るものだという認識があるのだろう。そう思うこと自体は、彼女の罪ではない。
 俺は、しばらく前方を眺めてぼんやりとしていた。ティナも何やら考え込んでいたようだが、再び俺にぴったりと身体をすり合わせて居心地の良い姿勢を取ると、酔いのために気怠そうな溜息をついた。
 それをきっかけに、俺は口を開いた。

「愛は……まるい、かな」
「まる?」
「うん」
「まるいって、円のまるい?」
「ううん、球体の丸い」

 片手で手のひらサイズのボールを持つ真似をして、説明してやる。ティナは俺の手元をじいと見つめて、まるい……と微かな声で呟いた。

「どうして、まんまるなの?」
「どうして? うーん……どうしてだろう。それは……多分、ぎざぎざしてないからだよ」
「ぎざぎざ……角のことかしら? 四角や立方体のような形ではない、ってこと?」
「ああうん、きっとそういうこと」

 つまり角があると愛っぽくなくなるんだよ、と俺自身でも訳の分からないことを言った。さすがに馬鹿にされていると思われるかなと不安になってティナを横目で見やると、ティナは何やら意味深そうな顔つきで、俺が先ほど眺めていた雪の塊を見つめているだけだった。
 しばし沈黙があった。雪は、少ない量ではあるが確実に空から降り注いでいた。明日の朝は通常の降雪量になるだろうと酒場の店主が言っていた。深い雪の街。ティナと俺が一番最初に出会った場所。俺が彼女を守ると決めた場所。寒く、冷たく、淋しげで暗い街。油や火薬臭い街、人々が排他的で、どこか悲しげな街。好んで来たいとは思わないが、それでも俺たちの小さな思い出が身を潜めている街。

「……ロックの愛は、ボールみたいにまんまるなの?」

 ふと彼女の声がして隣を見下ろすと、彼女は好奇心を抱いたときによくする透き通った目で、俺のことを見つめていた。
 俺は、今度は彼女から視線を外さずに、小さく笑んだ。

「俺はね……そんな綺麗な丸じゃあ、ないかな」
「そうなの?」
「きっと、いびつだよ。角はないけど、こんぺいとうみたいに、いびつだ……」

 俺の答えに、ティナは唇を閉じ、俺の様子を両目でうかがっていた。俺の表情の中に何かが秘められているのではないかと探っているのだ。だが、俺は彼女の期待に反し、ただ穏やかに微笑んでいた。彼女の純粋な瞳は痛烈に真実を見抜くときがある――しかし俺もまた、そう簡単に彼女に俺の心理を読み取られるわけにはいかなかった。彼女は、俺という人間をよく知らない。たとえ、彼女が人間的に成長するために、他人から見出せる新たな感情を知りたいと思っているのだとしても、俺がそれの手助けをしたいと思っているとしても――やはり、知るべきではないのだ、俺が育み、だからこそ俺を歪めてきた、奇妙な形の愛などは。
 ティナは長いあいだ俺の顔を見ていたが、じきに、俺がそうしていたように薄い笑みを浮かべた。

「……私、その形の愛の方が好きだわ……」

 急にそんなことを、真っ直ぐで無邪気な声で言われたものだから、俺の心の奥が小さく軋んだ。自分の微笑みが崩れていくだろうことに気が付き、ふっと彼女から視線を外して、暗く曇った空を見る。

「そう?」
「ええ。
 まんまるい完璧な形の愛は、ボールみたいだから、投げればずっと転がり続けてしまって、遠くへ離れていってしまいそうよ。
 だから私、ロックの愛の形の方が好きだわ。不完全だけれど、転がっても止まって、待っていてくれるもの……」

 そっか、と言いながら、俺は彼女の肩をコートごと引き寄せた。コートのフードを被った彼女の頭に自分の頬を当て、顔をうずめるようにして、もう一度、そっか、と呟く。彼女が顔を上げないように、その小さな頭を胸元に押しつけ、深く息を吐いた。
 ああ、彼女には敵わないかもしれない。
 胸の奥が切り裂かれるような痛みと、歪んだ愛のいびつな形がゆっくりと丸みを取り戻していく感じを覚えながら、俺は目元に浮かんだ涙を隠すことで、俺自身を守っていた。知られるべきではないのだ、決して知られるべきではないのだ、この純真無垢な少女には、俺の愛の形など、俺の弱さなど、俺の愛が彼女によって、ゆっくりと変わりつつあることなど……