ある時、ペターニの街角で彼女がじいと屋台の一部を見つめていたものだから、丁度そこに通りかかった彼は、彼女が一体が何を見ているのか気になってしまったのです。そろそろと後ろの方から覗き込むと、その屋台は、可愛らしい店員が運営している数種類のケーキを売るお店だったのですが、そうなるとますます彼女がケーキを眺めている様子に違和感。というのは、彼女が甘いものを食べる瞬間なんて見たことがなかったから。もちろん宿屋でみんなが集まって食事をする時などは、フルーツや小さな食後のデザートを食べるシーンを何度も目撃していたけれど、考えてみれば彼女は、青い髪の青年たちのように買い食いをしたり、散策中お店に入って何かを食べたりということがなかったような気がします。
 彼女がいつまでも真剣な様子でケーキの並んでいるボックスを眺めているので、彼は、不思議に思って背後から問いかけました。

「何見てんだよ」
「きゃあ!」

 予想以上に女らしい悲鳴を上げられて、彼はちょっとたじたじ。彼女はパッと振り返ると、あからさまに怪訝そうな顔で彼を見ます。

「な、なんだ……あんたかい」
「おう……」

 応えつつ、彼は改めてケーキボックスの中に視線を送りました。

「なんだ、お前。食いたいのか?」
「え?」

 彼の視線がケーキを指しているのに気付き、彼女はハッとして首を横に振ります。

「い、いいや、そういうわけじゃない」
「? でもお前、さっきからガン見してたじゃねぇか」
「ちょ、み……見てたのかい? 失礼な奴だね」
「さっさと買わねえと店員が困るぞ」

 彼がケーキボックスの向こうにいる店員の女性を見やると、女性は、よくぞ言ってくれましたね、と言うように、うっすらと苦笑しました。赤毛の彼女も店員の様子にハッとして、ごめんなさいと少し頬を赤くして謝りました。
 彼は、斜め前にいる彼女を見下ろし、淡々と尋ねました。

「買えばいいだろ?」
「……いや……その……」
「何うじうじしてんだよ? 買ってやろうか?」
「え!? い、いいよいいよ、いい、いい、要らない」

 かなりの勢いでぶんぶんと首を横に振る彼女を見て、彼は、思わずフッと吹き出しました。彼の場合、もともと人相が悪いので、微かに笑うにしてもどこか嫌味っぽい笑みになってしまうのですが。
 彼はボックスの方に歩み出ると、どれが欲しいんだ、と並んでいるケーキを眺めつつ尋ねました。中にはショートケーキやらチーズケーキやら、意外にオーソドックスな種類が数個ずつ並んでいます。

「早くしろ」
「い、いいってば!!」
「お前な……散々店先を占領したあげく買わねえのは、かなり失礼だぜ」
「う……」
「早く。どれがいいんだよ」

 かなり強い語調で問われ、彼女は、しぶしぶケーキボックスに目線を移しました。彼女の目的は、ただ一つです。

「……………………アップルパイ」

 彼は即座にアップルパイを一つ注文しました。もしここが青い髪の青年だったら「ネルさん、二人分買って一緒に食べましょう」などと言い出すことでしょうが、あいにく奇妙な髪型をした彼は甘いものが得意ではありません。
 店員は、にこやかに注文を受け、アップルパイをボックスから一つ取り出すと、それを茶色のグラシン紙で包み込んで、はい、と注文主に手渡しました。
 彼は金を払った後、受け取ったケーキを彼女の手のひらに載せてやりました。

「……」
「よかったな?」
「……
 うん」

 彼女はすっかり顔を赤くして、ありがと、と消え入りそうな声で彼にお礼を言いました。彼は、気にするなよ?と、どこかきょとんとしたような、本気で彼女に気にして欲しくなさそうな声で言い、じゃあな、と手をひらひらと振って、通りを歩いていきました。
 彼女は、ケーキ屋の前で、紙で包まれたアップルパイを手のひらに載せたまま、ぷうと頬を膨らませました。

「なにさ……わけ、分かんないね」

 と言いつつも、彼女は散々買うことを悩んでいたアップルパイを見下ろして、小さく笑みを浮かべたのでした。実は、アップルパイは彼女の大好物なのですが、パイ生地のカロリーが非常に高いので、体重を気にしていつも買うことをためらってしまうのです。彼女の体術には飛行の技が多くあるので、あまり体重を増やしすぎると、上手く技が発動できなくなってしまいます。だから、普段から甘いものは我慢していたのですが――
 ケーキを買ってくれた、すなわちケーキを食べてもいい、と彼が言ってくれたということは、つまり、男性にとって自分は今はそれほど見た目的に太っていないということでしょう?

(ちょっとくらい、いいわよね)

 彼女はそう納得すると、宿屋の自室で頂くため、るんるんとした気分で通りを歩き始めたのでした。そんな彼と彼女の様子を端から見ていたケーキ屋の店主は、うーん、シーハーツとアーリグリフが結ばれる日も近いかもしれない、とこっそり思ったりしたわけです。