しかしアルベルの懸念は拭い去られたわけではない。
 泣いた余韻で鼻の先を赤くしているネルがホットワインを一口ずつ飲むのを眺めつつ、これはやはり解決すべき事項であるとアルベルは険しい顔をしていた。泣いてしまった羞恥心からか、ネルはなかなかアルベルと目を合わせようとしなかったが、ふと顔を上げたときに紅の瞳が険しく自分を見つめていることに気付くと、何?というふうに首をかしげた。
 その合図をいいことに、アルベルは口を開いた。

「なあ。
 お前は、なぜお前の父親を俺に重ねているんだ」

 そう――ネルが泣きながら心に隠していた本音を告げてくれたことは無論喜びなのであるのだが、アルベル・ノックスという男にネーベル・ゼルファーを投影しているという事実は、彼女を女性として見ているアルベルにとっては、やはり気に食わないことなのだ。できれば彼女を傷つけない方法で汚名(というのは大げさかもしれないが)を返上したい。しかし、彼女がその投影をやめたとき、アルベルという男が彼女の目にどのように映るようになるのかという先の不安もあった。彼女は生粋の鈍感ゆえに、本人の気付かないところで残酷なのである。
 再び落ち込むような事態は避けたい……と、一体いつから自分はこんな繊細になったのだろうと複雑な気持ちを抱きつつ、ネルの返事を待つ。彼女はアルベルの問いに少し驚いていたようだが、んー、と小さく唸り、手元でワインのグラスをゆらゆら揺らした。

「なんだろう……あんたと父が似てるってわけじゃないんだけど……たとえば、態度とか……その、冷静さとか……?」

 出る言葉は曖昧なものだった。どうやら彼女自身もどうしてアルベルに父親を重ねているのか、よく分かっていないらしい。今の時点ならばまだ挽回できるかもしれないという期待を感じ、アルベルは柄にもなく再び自分から問うた。

「いや、複雑なんだよな。もし俺がお前にとってお前の父親のような存在だったとすると、その気持ちは敵国の人間であるアルベル・ノックスに少なからず恨みを持つことと同居するわけだ。お前は俺を憎みたいのか、それとも父親のように慕いたいのかというジレンマが発生すると思うんだが?」
「そ、それは……」

 そうなんだけど……と片手の拳を口元に当てて戸惑っている。その姿は可愛らしい。
 あわよくば、このままアルベルという人間を一人の男性として意識してもらおうという魂胆である。どうしていいか分からずにもじもじしているネルの返事をアルベルは辛抱強く待っていた(そんな自分自身に心底驚愕する)。
 ネルはしばし視線を泳がせていたが、そのうちおずおずと話し始めた。

「ただ……自分に持っていないものを持っているのはすごいなと……。私は、誰に対してもそう思う方なんだけど、あんたとは国の中で大体似たような立ち位置にいるから、余計に自分との差を突きつけられるような気がして……。尊敬と同時に、憎いという気持ちもあるから、あんたの言うジレンマというやつは、私の中では当然にあるものなのかもしれない」
「よく分からんが……お前は自分の父親を憎いと思っているのか?」
「それはもちろんそうだよ」

 意外にも、ネルはすんなり頷いた。

「だって、私は昔から父に比べられていたんだ。戦闘能力や策略や発言や……当然、器用な父親の方がなんでも勝っていて、父の死後も私は劣等感を感じ続けているんだ。どうしたら父のように冷静に無駄なく行動することができるんだろうって。
 ああ……そうか、私、嫉妬してるんだ。父親とあんたに」

 嫉妬。
 彼女の口から出た単語に、アルベルは一抹の不安を覚えて眉を上げた。もちろん、彼女がアルベルに対してそういう感情を持っていることは薄々分かっていたし、憎しみと愛の感情の折衷案がすなわち嫉妬ということなのかもしれないが、アルベルにとって問題なのは嫉妬の手前にある愛の大きさである。

「……嫉妬、以外に、何か別の感情はないのか」

 やや恐怖を感じつつ、問う。ネルは目をしばたたかせ、無表情で、

「何か別の感情があるものなの?」

 端的に答えた。
 アルベルは長らく固まり、彼女の言動を再認識すると頭の奥がぐらぐらする感じを覚え、たまらず片手で額を押さえてうなだれた。どうした、アルベル?という心配そうな声が聞こえてきたが、もはや脱力してしまって顔を上げられない。分かってはいた、分かってはいたが、実際に本人から声に出されると、かなりショックが大きい。
 初めから彼女がこういう女だと分かっていただろう、俺……と溜息をつきつつ、アルベルはテーブルに頬杖をついて遠い目をした。

「いいさ……父親なりなんなり好きに重ねろよ。もう俺はなんとも思わん」
「え、何、どういうこと。だって私があんたに父親の姿を重ねるのは屈辱だと」
「いい、いい。そんなの個人の自由だろ……むしろ、お前の父親を彷彿とさせる俺だからこそ、俺はお前にやっかまれずに済むわけだし」
「は!? ちょっと、私は別に」

 もういい、と遮ってアルベルは立ち上がった。飲み物代としてジェミティ市の通貨である小銭をテーブルの上に置き、まだ話は終わってない!とネルが後ろからぷんすか怒ってついてくるのに呆れと嬉しさを覚えつつ、とりあえずフェイトたちが戻ってくるまでネルの話を聞いていないふりをして過ごすか、と、この店に入ってきたときと比べてずいぶん晴れやかになった胸中に苦笑を浮かべながら、ワインのおいしい酒場を二人で後にしたのだった。