フェイトたちは現在カルサアに滞在していた。
 先日起こったマリアの殺人未遂事件に関与した人間を預けている研究機関に、アルベルが立ち寄りたいと申し出たことがきっかけだった。犯人を預けた先がアルベルの友人であり、犯人のその後がどうなったかを聞きに行く責任がアーリグリフの将の彼にはあった。カルサアに着いて早々、アルベルは単独行動を開始し、そのあいだ暇になってしまった五人は仕方なく各々町をぶらついていた。本当ならば、マリアを毒の被害に遭わせた犯人の元にアルベル以外も行きたかったのだが、面会したとしてもどうせ問いつめや言い争いになるだろうと、アルベルが止めたのだった。
 フェイトとクリフは、マリアの体調が万全でないことを心配して三人で宿で待機し、ソフィアは宿の居心地があまり好きになれず一人でカフェに入り、ネルは行くあても無く町中をふらふらとしていた。
 マリアが自分の身代わりに毒殺されかかったショックが長引いてか、説得されてパーティに復帰した後も自責の念にとらわれ、ネルの足下はいまだおぼつかない。逃げ出したい気持ちもあったが、フェイトたちに関わりすぎてしまったこともあり、もはや彼らと共に歩んでいくしか他に道がなかった。それに、マリアが殺されそうになったのは自分のせいだと言って仮に逃亡したとしても、性格上、更に罪悪感を抱き悪循環に陥っていくことは分かっていた。自分自身、どんな状況になったとしても、フェイトたちと最後まで目的を果たす道を変えることはできないのだ。
 ネルは仕方なく、埃っぽく乾燥しているカルサアの町をどこへ行くでもなく徘徊していた。仲間たちと一緒に過ごすのも今は気が引けるし、食欲もないので店に入る気にならず、結局なにもせずアルベルが戻ってくるのを待つしかなかった。





 毒物などを取り扱っている研究機関は、カルサアのひっそりとした路地の中にある。見た目はただ一軒家であり、国の研究者である友人は実際その家で暮らしていた。
 アルベルが戸をノックすると、薄汚れた白いエプロンをした痩せ気味の男が出てきた。分厚い眼鏡をかけた三十代半ばの男性で、若白髪が多く、いかにも学問と共に一生を過ごすことを決めたという風貌だった。
 アルベルの姿を見ると、男は何も言わずに中へ通した。部屋は、それほど広くはない、一見するとごくごく普通の生活空間だったが、奥にある扉の向こうの個室には薬品や実験道具などがたくさん詰まった棚がある。アルベルは玄関から入った後、この家に訪れた際によく座っている玄関近くの簡易な丸椅子に腰掛けた。
 男が薬品の瓶を持ったまま神経質そうに部屋の中をうろついているのを眺め、何やら様子がおかしいと眉をひそめる。

「どうした?」

 アルベルが問うと、男は口元に軽く拳をあてて振り返った。顔色が悪い。

「すまない、アルベル。預かった女性が自殺した」

 男の告白に、アルベルは目を丸くした。だが、可能性の一つだったため動揺することはなかった。

「自殺?」
「ああ。彼女の持ち物は一通り調べてあったんだが、スカートの裏地に毒を包んだオブラートのようなものを縫いつけて隠し持っていたようだ。すまない。よく確認すれば良かったんだが」
「いや……死んだのはいつだ?」
「ベッドの上で息絶えていて、詳しく調べていないからよく分からないが、君から預かった次の日の午後くらいだと思われる」
「ふむ……」
「彼女が所持していたという毒の情報も聞き出したいこともあって問いつめていたんだが、埒があかなくてね。諦めて仕事に戻った後に服毒された」
「結局、毒の在処は分からないってことか」

 危険だな、とアルベルは考え込む。犯人はアーリグリフの人間であるだろうから、毒は領地内に存在する可能性が高いが、そもそも彼女ひとりが犯人であるとは限らない。共犯がいるかもしれないし、何者かの指示だった可能性もある。

「秘密がばれるから自殺したというわけではなさそうか?」

 アルベルの問いに、男は困ったように首をひねる。

「どうだかな。何らかの始末を逃れるためか、絶望に終止符を打つためか。ここに来たときの感じからして後者の可能性が高いが、怯えているようにも見えたから何とも言い難い。
 君たちは直々に彼女から理由を聞いたりしていたんだろう? その時はどうだったんだ?」
「錯乱状態だったからな」

 こっちも何とも言えないとアルベルは頭を掻く。カルサアの屋根の上で女を捕まえ、問いただしたところまでは良いが、そのあとネルが乱入してきて話が混み入ってしまったのだ――ネルがいたからこそ女の本音が出てきたところもあるのだが。

「しかし、もし裏に何かあるのだとしたらアーリグリフの奴には違いねえ。褒美でも与えて女をけしかけたのかもしれん」
「うーん、でもネル・ゼルファーを狙うにしては方法が陳腐すぎやしないか? 菓子折に毒物だなんて低確率な方法を狙うかな?」
「そこまでは指示していなかったのかもしれないな。話し方からしてそれほど賢い女だったとも思えん。アーリグリフの平民だ、命令だけして方法は好きにしろとでも言われたか……
 人数分のマフィンで狙っていたというところがひっかかる。毒を食べるのが俺たちの中の誰でも良かったと考えると外部の人間の可能性も出てくるが、検討がつかん」

 もしやあっちの世界の奴らか?と心の中で毒づいたが、男にそれを言っても話が通じないので口にはしなかった。
 しばらくの沈黙の後、部屋の真ん中にあるテーブルの上からカタカタと音が鳴った。火に掛けていたビーカーの液体が沸騰し始めたのだ。
 男は薬品の存在を忘れていたらしく、舌打ちしてアルコールランプの火をガラスの蓋を被せて止めた。

「まあ……今回のような安易な暗殺の仕方では大事になることも考えにくい。一応、報告は入れておくが、相手にはされないぞ」

 男の言葉にアルベルは頷いた。

「曖昧な点が多いからな。ネル・ゼルファーもシーハーツにちくるようなことはしないはずだ」
「ネル・ゼルファーねえ……あちら様はひどく物騒だ。隠密集団なんぞ作り上げて」

 薬品棚から瓶を眺めてぶつぶつと言い始めた男を見て、アルベルは退散するために立ち上がった。そのうちまた来ると言い残して男の家を出ると、すぐ近くの家の壁にネルが背をもたれて佇んでいる姿があり、おや、と肩をすくめる。

「何してんだお前」

 近づいてきたアルベルを無表情で見上げ、

「話を聞いてただけ」

 腕を組み、ネルは素直に告白した。まあそうだろうなとアルベルは溜息をついて歩き始める。すると後ろからなぜかネルがついてきた。

「あの女が死んだらしいが、あんたの国では亡骸はどうするんだい?」
「知らねえな」

 先日あれだけみっともなく騒ぎ喚いた女のひょうひょうとした口調に少し腹を立てつつ、アルベルは首をかしげた。

「以前の話からして身内はいなさそうだし、あまりおおっぴらにできない死に方だ。親類を捜した後、引き取り手があるならそこへ、ないなら無縁仏で役所に申請するだろう」
「ふうん」

 この国でもちゃんとそういった手続きを踏むのね、とでも言いたげな相づちである。アルベルは斜め後ろを肩越しに見て、半眼でネルを睨み付けた。

「なんでついてくるんだよ?」
「あんたの用事は終わったんだろう。どうせ宿で皆が集合する」
「俺に聞きたいことでもあんのか」

 ネルから自分に近づいてくるとは結局そういうことだ。言葉にネルは立ち止まり、無表情でじいと見つめてきた。アルベルも歩みを止めてそちらに身体を向け、腕を組む。
 少しの沈黙の後、ネルは口を開いた。

「外部の人間の仕業かもしれないと言ったね」
「あん? お前よく家の中の話が聞こえたな。風の強い地方だからそれなりに壁は厚いんだが」
「外部だとしたら、フェイトたちのいうあちら側の世界の奴らが、遠隔操作であの女に妙な行動を取らせたのかもしれない」

 アルベルの問いを無視したあげく、突拍子もないことを言い始めた隠密にアルベルは片眉を上げた。

「はあ? ……俺にはあちら側の世界が一体どういう場所でどんな技術があるのか、未だによく分からないんだが、もしそうなら早々に俺たちを潰せばいい話だろう。ぷろぐらむとやらで存在を消去するのは簡単だの何だのこの前言っていただろうが」
「こんなこと言うとあんたは嘲笑するだろうが」

 ネルは少し不機嫌になったように眉間を寄せ、茶色い土が剥き出しの地面を見つめながら、

「嫌な予感がするんだ」

 そう、深刻そうな口調で言った。
 あまりに曖昧で抽象的な台詞にアルベルは呆れ果てた。予感だの予測だのといった不確定な言い分はアルベルの最も嫌うところだ。
 しかしネルが自らこういったことを言い出すのは珍しい。一体どういう事だととりあえず問うと、彼女は片手を口元に当ててますます怪訝な顔つきになった。

「もし裏があるのだとしたら、アーリグリフやシーハーツといった絡みではない気がするんだ」
「余所の国ということか」

 手を腰に当てて空を仰ぎ見、大きく息を吐く。

「検討がつかねえな」
「まあ、そうだね。私も自分で変なことを言っていると思うよ」
「もし外部の仕業だとしたらサンマイトかグリーテンくらいしか考えられん。サンマイトがシーハーツを利用して俺たちの国にけしかけるなどありえないな。そうなるとグリーテンか? だが大昔の因縁を今更このタイミングで持ち出してくるかね。いくら鎖国状態だからといって、向こうにこっちの情勢が分からないはずねえし」
「だからまだ予測の段階だってば」

 遮り、言ってみただけだったのに……とふて腐れてそっぽを向いている。
 自分から言い出しておいてなぜ逆ギレするんだこの女はとアルベルは嘆息し、再び歩き始めた。まだ昼間なので人通りが多く、街路で遊んでいる小さな子どもたちに「アルベルさまだ!」と歓喜の声を上げられた。その後を歩んでくる女性の姿についてはピンと来ないらしく、「変な格好」という小さな呟きが聞こえてきて、ネルが言葉を詰まらせる気配を感じ、アルベルは密かに笑う。
 大通りに出ると、アルベルは街頭の側にある三人がけのベンチに腰掛けた。ネルが近くに立ち、戸惑いがちに見下ろしてくる。

「あの、宿に戻らないのかい?」
「お前の言い分には一理ある」

 問いには答えず言う。小さく首を傾け、かなり空間を空けて隣に座るネルにアルベルは苦笑した。

「どういうこと」

 不審そうなネルを一瞥し、アルベルは掠れた青色の空を眺める。

「お前の国とグリーテンとの国家間の軋轢はまだ解決したわけではない。ゲート大陸への海路を持っていながらあの技術国家が閉鎖を続けているのは不穏の一言に尽きる。何も準備していない方がおかしいだろう」
「でも、軋轢といっても三百年も前の話だ。そもそもグリーテンは古代王国シーフォートを侵略した後に追い返された国で、自分たちの土地が奪われたとかそういう話ではないんだから」
「お前……敵国の将を前にしてよく言うよな」

 俺たちこそ土地を追いやられたという事由でシーハーツに宣戦布告したんだが。
 アルベルの嫌味を無視し、ネルは続けた。

「聖珠セフィラで滅ぼされたことを未だに根に持ってるってことかい? まあ、確かに彼らが鎖国政策を取っているのは敗北当時からみたいだけど」
「今回の事件はさておいて、今後何もないはずがないだろう。アーリグリフも元はグリーテンの侵略時に追いやられて今の地方に逃れた者たちの末裔だ。アーリグリフとグリーテンの間にも当然亀裂はある。
 こっちの馬鹿な貴族たちが大昔のことを引っ張り出してグリーテンに牽制でもしなけりゃいいけどな。あるいはお前たちの国を滅ぼすために協力をあおぐとか。可能性は様々考えられる」
「もう戦争は勘弁して欲しいんだけど」

 はあ、と溜息をつき、ネルもまた空を見上げたようだった。埃のせいで黄色いフィルターがかかっている空は、どうあがいてもシーハーツから見る青空の美しさには届かない。
 この乾いた国は、貧しい国は、彼女の目に果たしてどのように映っているのだろう。

「少なくとも、俺たちの代で戦争が終わることはないさ。ゲート大陸が解決したとしても、次はグリーテンとの戦争が勃発するだろう。願わくば、それが今すぐに起きないことだ」

 シーハーツもアーリグリフも先の戦乱でかなり消耗している。そんなところに技術国家の名を戴くグリーテンが攻め入ってきたら、どうなることか分からない。下手すると両国がグリーテンに潰される危険性も出てくる。
 ふとネルを見やると彼女は案の定、深刻そうに考え込んでいる様子だった。深い紫色の瞳が意味もなく地面を睨んでいる。
 こいつはつくづく真面目だなと呆れ、アルベルは腰を上げた。

「まあ、俺たちが終わらせるべきは、そんな小さなことではないらしいがな」
「ねえ、アルベル。
 もし」

 ネルも立ち上がり、アルベルを無表情で見上げ、

「もし、グリーテンがゲート大陸侵略のために攻めてきた時、私たちの国は協力し合えるんだろうか?」

 などと言ってきた。
 いきなり国家間の話になり、アルベルは戸惑った。自分が何の権威もない平民だったらまだしも、下手すると己の発言が国際に影響を及ぼす立場にある。
 これは果たして政治的なやりとりなのだろうかと疑問を覚えつつ、ネルを見下ろしアルベルは首を傾けた。

「さあ……場合によるんじゃねえのか。一体何が目的でグリーテンがこっちに侵攻してくるかがはっきりしねえとな」

 と、無難な返答をする。ネルは、そうだよね……とうつむき、宿の方向へと歩き始めた。アルベルもそれに続く。

「杞憂に終わればいいけど」

 前を行く女の暗い呟きに、アルベルはハッとした。また彼女に余計な心配の種を蒔いてしまったらしい。
 足早に隣に追いつくと、あー、と頭をかきかき言葉を探してフォローした。

「あのな、今する心配事じゃねえぞ。ただの妄想だからな」
「妄想……。まあ、そうだけどね」

 肩をすくめ、ネルは小さく苦笑した。