私は、前休日には仕事を早めに切り上げるようにしている。タイムカードに刻印し、夕方のハーリーの街で適当な食料を買い込んで馬車に乗り込み、ゆらゆらと三十分程度揺られて、彼の森の入り口の前で下ろしてもらう。初めの頃、周りに住居の見あたらない降車場所を指定された御者は、なぜこんな場所で女性が降りるのだろうと怪訝な顔をしていたが、知り合いの家が森の中にあるのよと教えてあげると、それ以降納得したようで、私がハーリーの停留所に行くと大抵この御者が私を森の入り口まで運んでくれるようになった(どうやら御者の勤務開始時間と私の仕事の切り上げる時間が、大体同じ時刻のようである)。森に入ると、食料の入った袋とお泊まりセットを手に持って、彼の小屋まで暗い道をランプを片手に歩いていく。日が長い季節は、同じ時間帯であってもまだ夕日が沈みかかっている程度の暗さで済むが、若干寒い季節になると彼の小屋に到着する頃には真っ暗になっているので、玄関先で出迎えてくれた彼を心配させることもしばしばあった。
その日は残業が延びてしまったせいで休前日のうちに行くことができず、結局、翌日の昼前に彼の小屋にたどり着いたのだった。彼は、かなり心配そうな顔をして小屋の中から飛び出てきて、焦燥した様子で、大丈夫ですか、と私を出迎えた。前日に到着する予定だと伝えていたため、なかなか小屋に着かない私のことを心配していたのだろう。本来ならば翻訳機の中に内蔵されている通信機で彼にメッセージを送るべきなのだろうが、ここにはネーデで使用されていた通信用のアンテナがないため、結局、携帯している機器の連絡手段の役割は失われてしまっていた。手紙ですら即日の連絡手段にならないエクスペルの不便さを痛感するのが、専らこういった点においてだったが、私たち二人(と加えて発明家プリシス)ですぐにどうにかなる文明の話ではないので、徐々にこの星の文明レベルが上がっていくことを期待して、即時入手可能な便利さはもはや諦めるしかないのだった。
心配をかけてしまった彼に、連絡できなくてごめんなさい、と、私は素直に謝った。おそらく夕飯まで作って待っていてくれただろうに。しかし、彼も十分エクスペルの融通の利かなさは理解しているので、私を咎めるようなことは決してしなかった。事故でないなら本当に良かったです、と安堵の息を漏らしつつ、彼は私から荷物を受け取ると、部屋の中に置き、なぜかすぐに玄関の方に戻ってきた。
「チサトさん。お祭は好きですか?」
急に問われ、私は目をぱちくりさせて彼を見上げた。彼は、いつもの柔らかな微笑を浮かべて、にこにこと私を見下ろしている。
「お祭?」
「ええ。今日は、マーズ村で小さなお祭があるそうですよ」
村の子ども会のイベントらしいです、と彼は言った。もし大きなイベントならばニュースとして私のところに入ってくるはずなので、村の中だけで催される本当に小さな祭なのだろう。彼が村のママさんたちから直接聞いた話によると、マーズ村の大人たちが、村の子どもたちやクロスやハーリーから来る観光客のためにいくつかの屋台を出したりするらしい。
もともとイベントが好きな私は、彼の話を聞いて、パッと目を輝かせた。
「そうなの? 行きたいわ」
「ならば、今から行きましょうか。夕方には屋台をたたむらしいので、今から行かないとちょっと間に合いそうにないんです。チサトさん、いらしたばかりですけど、また歩いて大丈夫ですか?」
「ええ、平気。私、体力には自信があるのよ」
私がフフンと得意げに言うと、彼は、それは頼もしいですね、と微笑んで、小屋の中へと戻っていった。私も先ほど彼に預けたバッグの中に財布やら貴重品やらが入っていたのに気付き、慌ててそれらを取り出しにかかる。
簡単に荷物を用意し、小屋のドアの鍵を閉めると、私たちは森の中を歩き始めた。今日は祭にふさわしい快晴で、木漏れ日がゆらゆらと地面に輪を描いており、風もほとんど無く、気持ちが良い気候だった。彼は道すがら森の中や木々の枝を見回し、周辺の動物たちの様子を観察していた。きっと森に出るとほとんど無意識に行ってしまう彼の日課なのだろう。
歩きながら、じっと木の枝の野鳥の家族を凝視している彼の横顔を見上げて、私はくすりと笑った。
「ノエルって、本当に動物学者なのね」
私の言葉に、彼はゆっくりとこちらに振り向き、え?と不思議そうな表情をした。
「え……ええ? まあ、肩書きは……」
「ふふっ、そういうことじゃなくてね」
足下の枯れ枝を軽く蹴って除けつつ、
「本当にそれに興味があって、そのために生きてるんだなって思ったの。私が情報と報道の世界に打ち込むようにね」
私が少しおどけた様子で言うと、そういうことか、と彼は納得した様子で頷いた。
「ああ、そうですね、きっと」
「私たち、他にも大切なものがあるから、依存しすぎないし、丁度いいのかもしれないわね」
私は何気なくそう言って、彼を見上げた。彼が、なぜか目をぱちくりさせた後、驚き顔のまま少し口元に笑みを浮かべて、
「……他に、も?」
と問い返してきたので、私は停止して、自分の言った言葉を頭の中で反芻した後、口に出したことの重大さに気付き、慌てて両手をぶんぶんと振った。
「あ、あ、あ、ほ、ほら、その、も、もちろんノエルのことだって他の仲間のことだって大事だし、た、対人関係も重要だけれど、仕事も無論人生の中で大きな部分を占めてるっていうか」
「……」
「あっ、ほ、ほら、その、みんながみんなお互いに依存しすぎていたら良くないから、こういう、熱心に打ち込めるような仕事や趣味があると独立できるっていうか、タフになれるっていうか、その、周りにあんまり心配かけずに済むっていうか」
「……ふふっ」
案の定、私の取り乱し方に可笑しさを覚えたらしい彼が、口元に手を当ててくすくすと笑い始める。私は尖った耳の先まで熱くなるのを感じ、取り繕うのをやめて、うつむき、ぷうと頬を膨らませた。
「……なによう」
「いえ。ただ、チサトさん可愛いなって」
ごくごく当然のことのような彼の台詞に思いきり心臓が跳ねた私は、おそらく頬を真っ赤にしたままで、彼の顔をパッと見上げた。
「わ、私がぁ!? そんなこと言われたことないわ」
「え、そうなんですか? 僕は、チサトさん可愛いなと思うこと、けっこうあるんですけれど」
「そ……それは、きっと、あなたのいう“動物的に”でしょ?」
「とんでもない」
彼は、心外だとも言いたげに目を丸くした。
「一人の女性としてですよ」
「…………」
全く顔色を変えずに、それこそとんでもないことを言ってくる彼の態度に、私の思考回路はほぼ百パーセント停止しようとしていた。
(…………この人)
記事にするとすれば、天然のタラシ現る、という見出しになるであろう。
私が何も言い返すことができないことに気付いた彼は、私の顔を見て小さく微笑を浮かべると、ふと前方に視線を移した。
「それに、僕は。
あなたのことが心底大事だし、僕自身の仕事や研究も、むろん大事です。両立させようとするところは、あなたの考え方と同じですね」
言いつつ、にっこりと笑って、私の方にまた振り返る。
「チサトさんも、そう言いたかったのなら、僕は……
嬉しいのですが」
いつものように平然と――いや、どことなく気恥ずかしそうにも見えるだろうか?――告げてくる彼を見据え、爪の先まで真っ赤になったであろう私は、とうとう歩くことができなくなり、森の小道で立ち尽くした。私の歩みが止まったので、少し前まで進んだ彼も不思議そうな面持ちをして立ち止まり、私に身体を向き直す。
「……チサトさん?」
呼びかけられ、私は、震える両手で顔を覆った。
(…………なんて)
当てた手のひらから、自分の顔の熱がじわじわと伝わってくる。
(なんてストレートなの、この人!)
ある意味、彼の言った言葉は(私にとっての)世紀の大告白である。私の様子を心配したらしい彼が歩み寄ってくる気配にも耐えられず、私はそのまま地面にしゃがみ込んでしまった。チサトさん!?という彼の焦った声音が聞こえてきて、私はぶんぶんとかぶりを振った。
顔を覆って視界を暗くしたまま、心の中で絶叫する。
(本当に……本当に!?
本当に、この人は私のことが好きなの?
アシュトンが言った通り、私のことを、そういう対象として想っているの!?)
懐疑が徐々に真実へと向かっていることに気付いた途端、私の心は、これ以上ないと言うほど掻き乱された。おそらく、これもまた職業柄であろう――かつてこれほど真実が大好きな自分に後悔したことは無い。
(ああ、私。
だって、今)
そして、自分の中にある真実が目覚めようとしていることも、恥ずかしさで耐え難いことだった。
(嬉しいと――――思ったのよ)
視界の中に影ができ、彼が、私の前にしゃがみ込んできたのが分かった。以前、私がマーズ村の広場で泣きじゃくった時の情景がフラッシュバックし、彼に頭を撫でられる感触をじんわりと思い出す。
大丈夫ですか?という、間近からの心配そうな声音を聞いて、まさか心配などかけられないと思った私は懸命に「大丈夫よ」とこくこく頷いたが、顔を上げることはできなかった。もはや、彼の顔を見ていられなかったのだ。
(私……)
おそらく、抵抗のしようがないほどに、私は、彼を意識をしているのだろう。
(私も、きっと)
自覚するとあまりの混乱で叫び出したくなったが、それは、わずかに残っていた理性が抑えてくれた。
(きっと、彼のことを)
そろそろ“それ”を意識下に持ってこなければいけない時期なのだろうか。ぐるぐると考えていた時、不意に彼が私の左肩に触れた。その驚きで、びくん、と私の身体が震えたので、彼も同じく驚いて、パッと手を放したようだった。
「あ……すみません」
申し訳なさそうな彼の言葉が聞こえてきたので、私は、ハッとして顔から手を除けて彼を見やった。彼は私の前にしゃがみ込んで、私のことを不安げな様子で見つめている。
私は顔が紅潮しているのもおかまいなしに、必死に首を横に振った。
「ご、ごめんなさい。嫌だったんじゃないのよ」
私の弁解に、彼は私を見てきょとんと目を丸くした後、うっすらと、照れたように苦笑した。
「いえ……すみません、僕の方こそ。
その……大丈夫ですか?」
私の赤い頬をまじまじと見つめて、問うてくる。私はパッと下を向くと、平気よ、と明らかにどもりながら返事をした。
「え、ええと、その、わ、私……」
果たして、先ほどの彼の言葉が嬉しかったのだと、言うべきなのだろうか? 彼はそうであることを求めているのだろうか? 沸騰している頭で私が悶々と考えているうちに、彼はゆっくりと立ち上がった。そして、チサトさん、と私の名を呼んでくる。
私がおそるおそる顔を上げると、彼は微笑を浮かべ、私の方に片手を差し出していた。
「……行きましょう?」
あまり遅くなるといけない、という意味だろう。私は慌てて頷き、そっと彼の手を取った。彼が力を込めて私を引っ張り上げてくれる。
立ち上がった後も、彼は、なぜか私の手を放そうとしなかった。握っているわけではないが、放そうと緩めているわけでもなかった。もしかして、と私が彼の指に自分の指を絡ませてみると、彼は、やや照れたように肩をすくめ、にこりと笑って私を見た。手を繋いで歩いてもいい、という合図らしい。
私は無性に嬉しくなって、小さく頷いて見せた。彼は、では行きましょうか、と小声で呟き、私の手を引いて少し前を歩き始めた。それ以降二人とも言葉少なになってしまったが、彼がしっかりと私の手を握ってくれているのが、私には気恥ずかしくて嬉しくて、仕方がなかった。
村に到着すると、村の中は想像以上ににぎわっていた。村の外からも観光客が訪れているようで、広場には、いつもの村で見られる数倍の人が、何かを食べたり飲んだりして祭を楽しんでいた。カラフルなボーダーカラーの屋根の屋台が十数軒並んでおり、子どもたちが射的や輪投げをしてきゃあきゃあと騒いでいる。他にも紋章術師が開いているアクセサリーやまじないの店などがあり、おそらく郊外からの訪問者はこれ目的でやって来るのだろうと思われた。
「思ったより大きな祭なんですね」
微笑を浮かべ、彼が、村の中を見回しつつ、嬉しそうに言った。
「そうね。普段ひっそりとしているだけ、イベントの時は豪勢なのかも」
私は、そろそろ彼と繋がれている手を放すべきかと考えていたが、彼が人目を気にする気配も指から力を抜く気配も無いので、このままでも良いのかしらと思い、手を繋いだまま村の中を歩き始めた。私としては、こういった人混みでいちゃつく人間は好かなかったのだが、案外当人たちも今の私のように気恥ずかしい気持ちで手を繋いだり腕を組んだりしているのかもしれない。別に私たちは恋人同士というわけではないが――おそらく友達以上恋人未満という関係なのだと思われるが――彼が私を拒んでいないという事実が純粋に嬉しくて、こういうのもいいかもしれないとぼんやりと思った。
歩きながら昼食になるものを探していると、向こうから、見覚えのある少女が、彼めがけて走ってきた。
「ノエルおにいちゃーん!!」
まだ四歳くらいと思われる、青緑色の髪を持つ、甲高い声の可愛らしい女の子である。彼に突進してくる――ということは、おそらく彼に抱きつこうとしているので、私は、彼の手をパッと放した。彼は、すぐにしゃがみ込んで両手を前に差し出すと、飛び込んできた少女を受け止め、立ち上がり、少女を抱っこした。
「久しぶり、メメ」
「おにいちゃんも、おまつりにきたの?」
一生懸命首に抱きつきながら、少女が問う。この少女は、確か、以前彼と共に世話をしていた小鳥を空に手放したメメという名のマーズ村の女の子だ。
彼は、メメの言葉に、そうだよ、と頷いた。
「メメはもう美味しい物を食べたり、お店で遊んだりした?」
「うん! さっき、ママにリンゴあめをかってもらったの」
「そう、それはよかったね」
「――こら、メメ!!」
少女の名を呼びながら、母親らしき女性が慌てた様子でやってくる。メメと同じ色の髪をした、まだ三十歳前と思われる美人な女性だった。彼女は彼と私の前に来ると、ごめんなさい、と息切れをしながら頭を下げてきた。
「ノエルさん、ごめんなさい。もう、この子ったら勝手にどこか行っちゃうんだから」
「いいえ、かまいませんよ。久々に顔を見られて嬉しいです」
にこり、と笑って彼が言う。そんな彼の落ち着いた態度に、母親もホッと胸をなで下ろしたようだった。彼にしがみついているメメを預かろうとすると、メメはいやいやと首を横に振り、余計に彼の首にぎゅうと抱きつく。彼の笑顔が幾分か苦しそうになるのを、私はくすくす笑って横から眺めていた。
「こら、メメ、ノエルお兄ちゃんが苦しいでしょ?」
「や! メメ、おにいちゃんといっしょにいる!」
「駄目よ、メメ、ノエルお兄ちゃんはお姉ちゃんと一緒にお祭を見てるのよ?」
不意に言われ、私はきょとんとして母親の方を見た。私の視線に気付いた彼女は、ごめんなさいね、と苦笑して、
「せっかくのデートの最中なのに」
「え!?」
言われ、私は、わたわたと手を振った。
「そ、そんなんじゃないんです」
「えぇ? でも、さっきお二人で手を繋いでらしたでしょう?」
「え、あ、そ、それは……」
「あ、もしかして」
メメの母親は、ポン、と手を叩き、
「ご夫婦?」
「ちっ」
「違いますよ」
私が言い終わるよりも先に、彼が先に答えた。私が反射的にパッと彼を見やると、彼はいつもの穏和な笑みを浮かべて、抱っこしているメメの頭を撫でていた。
「彼女はチサト・マディソンさんと言います。たまにこの村にも取材に来ていると思いますが」
「ああ、そういう方がいらっしゃるというのは、聞いたことがあるわ」
「彼女には、僕もかなりお世話になってますが、僕も彼女も独身なんですよ」
「あら、だったら、チサトさんとは恋人同士なんでしょう?」
「さあ、どうなんでしょうね……」
ひょうひょうとして、彼が答える。私は彼の受け答えを隣で聞きながら、モヤモヤとした気持ちを抱いていた。
――なら、彼にとって、私は一体なんなのかしら?
私がじっと彼の顔を観察しているのに気が付いたメメの母親は、私の方にそそくさと近寄ってくると、私の肩をポンと叩き、耳元でこそこそと囁いた。
「――で。
チサトさんは、ノエルさんのことが好きなんでしょ?」
「……え!?」
顔が熱くなってくるのを感じつつ、私は母親の方を振り向く。
「そ、そんなこと……」
「あら、だって、今のは乙女の複雑な恋心を表してる表情よ? 本当は彼に恋人だって言われた方が嬉しかったくせに」
ふふっと得意そうに笑って言われ、私は内心、なんだか初対面で失礼な人ねぇ、と思いつつも、案外彼女が言っていることが図星のような気がしてきて、何も言い返すことができなかった。彼女は、頑張ってね、と私にわざとらしくも見えるウインクをすると、精一杯しがみついて飽きたらしい、彼から降りてきたメメの手を取った。
「今日は、紋章術師の方々がおまじないのお店をいくつか出してますわ。マーズ村には仕事や恋に効くおまじないがたくさんあるって有名ですから、寄ってみるといいかもしれませんよ?」
悪戯めいた調子でメメの母親が言うのを、彼は、はあ、とよく分かっていないで様子で受け答えした。私はすっかり赤くなりながら、彼の隣で、最近こういう話が多い気がするわ、と密かに溜息をついていた。
ばいばい、とメメに手を振って見送った彼は、さてこれからどうしましょうか、と私に振り返った。
「何か食べますか?」
「あ、そうね……何がいいかしら?」
「あっちで知り合いが出店をやっているみたいなので、ちょっと行ってみましょうか」
私たちは、今度は手を繋がないままで、村の中を歩き始めた。
昼食として露店のパスタやスープを適当に見繕って食べた後、私がアクセサリが欲しいということで、彼と共に順々に店を見て回っていると、突然、チサト、という声が後ろから聞こえてきた。私たちがびっくりして振り返ると、そこには見覚えのある懐かしい姿が二人。
「セリーヌ!」
いつにも増して露出度が高い派手な服と、宝石などの装飾品がじゃらじゃらと付いている黒いとんがり帽子を被ったセリーヌが、ヒールが高いために異様にセクシーな歩き方をしてこちらに近づいてきた。その後ろから、これもまた見覚えのある長身の男性もついて来ている。
「ディアスも!」
「久しぶりですわね」
セリーヌは私たちの前に来ると、私と彼の姿を、上から下までまじまじと目で追った。
「もう、チサトってば、すっかり綺麗になりましたわねぇ」
「え? そんなことないわよ」
「ノエルも久しぶりではありませんこと?」
嬉しそうに顔をほころばせ、セリーヌが私の隣にいる彼に言う。彼は、ええ、と親しみ深く頷いた。
「本当に。お元気でしたか?」
「ええ、元気ですわ。今は、彼と旅をしておりますのよ」
と、セリーヌは近くまで歩いてきていたディアスに振り返る。以前旅をしていた頃とあまり変わらない出で立ちをしているディアスは、口元に小さく笑みを浮かべると、高い位置から、私と彼を交互に見下ろした。
「……久しぶり、だな」
「久しぶりね、ディアス」
「セリーヌさんと旅をしてらしたんですね」
彼が問うと、ディアスはこくりと頷いた。
「付き合わされているだけだがな……」
「ま、ひどい。きちんと報酬の山分けはしておりますわ」
「相変わらずトレジャーハントなのね」
あなたらしいわ、と肩をすくめて言ってやると、セリーヌは豊かな胸をふんぞり返して、
「だって、本業ですものね? 紋章術師としてのキャリアを生かしたお仕事ですもの。ラクして稼ぐ、これ醍醐味ですわ」
などと得意げに言ってくる。私と彼とディアスは、はいはい、と言いたげに小さく苦笑した。
「ところで、どうしてセリーヌはここに? 村のお祭だから戻ってきたの?」
「ええ、そうですわ。このお祭があるのは毎年のことですから、時期を見計らって戻ってきますの」
「そうなんだ。今まではどこにいたの?」
「クロスのギルド仕事を彼と一緒に片づけてましたわ」
細い中指で側に立っていたディアスの腕を指し示し、セリーヌは、このお帽子も稼いだお金で購入しましたのよ、と自慢げに言った。聞いた私と彼は、目だけで、派手よね、という合図をし、それに気が付いたディアスも、だろう?と目で合図してきた。
私たちのアイコンタクトには気付かず、セリーヌは、不意に少し前屈みになって、にやにやとした笑みを浮かべた。
「でも、わたくし、安心しましたわ。チサトとノエルって、既にそういう関係でしたのね」
私と彼を見比べ、楽しげに言ってくる。私と彼は、同時に首をかしげた。
『え?』
「え?って。
だって、さっき、あなた方、仲良く手を繋いで歩いていたじゃないですの」
おそらく、手を繋いで村に降りてきた時のことを言っているのだろう。私は慌てて、そんなんじゃないのよ、と言い返す。
「別に、私と彼は……」
「あら? わたくし、てっきりあなたたちはすっかり出来上がっていたのかと思っていましたわ。
だって、ノエルは、ネーデの時からチサトのことを好いてらしたみたいだから」
セリーヌの言葉に、私は驚愕して彼の方を振り返った。大パニック寸前の心境であっても、セリーヌの台詞に対する彼の反応が気になるという余計な意識は、きちんと働いているらしい。
だが、当の本人は焦ることも動揺することもなく、やや困ったように笑って、指先で頬を掻いていた。
「はあ……」
「あらら? 違いました?」
「セリーヌ」
ふと、幾分低い声で名を呼びながら、ディアスがセリーヌのとんがり帽子をひょいと取り上げた。
「あん、なんですのっ?」
「下世話だ、他人のことに口出しするんじゃない」
「あら、わたくし、単に気になっただけですわ。ノエルとチサトってとっても良い組み合わせですもの、恋人のような関係になっていたら、わたくし、心から祝福いたしますのよ?」
「本人たちの問題だ」
帽子を被せてやり、ディアスは大げさな溜息をついた。セリーヌはぶつくさ言いながら、ずれた帽子を両手で直している。
先ほどからこういった話が多く、なんだか居たたまれなくなってしまった私は、先ほどからドクドクと打って落ち着かない心臓をどうにかするために、ちょっと飲み物を買ってくると適当なことを言って、三人の元から離れた。
人混みに紛れてどうにか彼らに見えなくなるところまで来て、溜息をつく。
(なんだか、疲れたわ)
人生上、体術や仕事に打ち込むことが多く、あまり恋愛沙汰には関与してなかった私である。免疫のない話題ばかりがこう連続してくると、さすがに疲弊してしまう。体力には自信があっても、精神力はそうはいかない。
実際に喉が渇いていたので、飲み物を売っているお店を探しに、私は気を取り直して歩き始めた。昼過ぎで未だ多い人の村の中でうろうろしていると、ふと目の引かれる露店があって、私は立ち止まった。そこは、セリーヌたちと出会う前に探していた、アクセサリーを売っている店だった。先客の若い女性二人がきゃあきゃあ言いつつ、店員から話を聞いている。
「え、じゃあこれが、片思い用?」
まだ十代半ばだと思われる可愛らしい女の子が、露店に並んでいるピアスを指差しながら尋ねた。店員である、紋章術師風の格好をした若い女性は、ええそうよ、と笑みを浮かべて頷いた。
「相手が振り向いてくれますようにっていうおまじないをかけてあるのよ」
「本当? じゃあ見た目も可愛いし、これにしようかな」
「え、待って待って、両思いの人用のもある?」
初めに質問した少女の隣にいた、同じくらいの年齢だと思われる少女が、白い頬を赤らめながら問う。
「ええ、あります。末永く長くいられますように、というおまじないをかけてあるわ……たとえば、これね」
「わあ、可愛いピアス。私、これにしようかな」
彼女たちが興味を示したピアスは、華奢で、小さな宝石が一つだけついているシンプルなものだった。他の品物も見てみると、この店には(セリーヌには申し訳ないが)セリーヌの付けるようなド派手な宝石はなく、フォーマルな服装に合うごくごくシンプルなネックレスやピアス、指輪などが並んでいた。
これなら出勤にも使えそうだ。私がまじまじと眺めていると、少女たちの会計を終えた店員が、私に話しかけてきた。
「どうですか? 何か気に入ったものはございますか?」
「あ、ええ……どれもとってもシンプルで素敵ね。全て手作りなんですか?」
「ええ、私、細工師なの。紋章術も少し使えるから、少しおまじないをかけてお店に出しているのよ」
「へえ……」
「何かお願い事などはありますか?」
問われて、私は、うーんと首を傾けた。特に悩みは無いし、私自身、(セリーヌとアシュトンには申し訳ないが)あまり占いやまじないといった類のものは信じないタイプだった。
「そうねぇ……出勤にも使える、あまり目立たないアクセサリが欲しいんだけど」
「あ、たとえば、これなんかは華奢で装飾も少ないから、とっても人気があるんですよ。フォーマルにもカジュアルにも使えるし」
結婚指輪のようにシンプルな銀色や金色一色の細い指輪を取り上げ、私は再び唸った。
「でも私、指輪ってすぐに失くしちゃうのよ」
「ああ、そうですねぇ……」
確かに、外すとどこかへ行ってしまいますからね、と店員は苦笑し、ならばこちらはどうか、とピアスのコーナーを指差した。先ほど少女たちが眺めていた、片思いや両思い用のおまじないとやらが施してあるピアスである。
「お客様、ピアスの穴が空いてらしているようだから」
「そうね、ピアスならいいかも。って言っても、ピアスもよく失くしちゃうんだけど」
「両耳でも片耳でも可愛らしいから、シンプルなダイヤのピアスなんてどうでしょう?」
指差した先のダイヤのピアスというのを見たが、値段が私の一ヶ月分の給料に届きそうだったので、私は苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「ちょっと手が出ないわ」
「そうですか? んんー、同じ色合いなら、クリスタル製もございますよ。これは、一万フォルですけど」
「一万……」
手が出ないことはないが、容易に手を届かせてはいけない値段でもある。店員に渡されたものを見ると、確かに、綺麗に磨かれたクリスタルがシルバーの土台に埋め込まれていて、常に耳に付けていられる素敵な代物だったが、失くした時が恐い。
やはり失くしものをしやすい自分には、細かい装飾品は向いていないのだろうか。諦めかかった時、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、そこには彼が立っていて、大丈夫ですか?と心配そうな声音で訊いてきた。飲み物を探すと言って去っていったくせに、私が飲み物らしき物を何も買っていないことを気に掛けたのだろう。
「ノエル……セリーヌたちは?」
「ご実家の手伝いがあるとかで、ディアスさんとお二人で行かれましたよ」
「そう」
「何を見ていらっしゃるんですか?」
問われて、私は素直に手に持っていた売り物のピアスを彼に見せた。
「これ。ピアス可愛いなあと思ったんだけど、私、すぐ失くしちゃうのよ、こういうの」
「ピアスですか。そういえばチサトさん、ピアスをよくしていますよね」
私の耳を見つめて、言う。その日は、両耳に金色の輪のピアスと、ルビーの四角い小さなピアスを留めていた。
彼に耳を見られていることになんだか照れてしまい、私は店の方に向き直ると、持っていたピアスを店員に返した。それを見た彼が、不思議そうに問うてくる。
「あれ……返してしまって良いのですか?」
「うん。安いわけじゃないし、失くした時にがっかりするような気がして」
「なら、僕が買って差し上げましょうか?」
平然と言われ、私は驚いて目を丸くした。
「え!? あ、ごめんなさい、そういうつもりで言ったんじゃないのよ」
「いえ、単に、僕も何かあなたにプレゼントをしたくて。ほら、いつも小屋に差し入れを持ってきて下さるから」
「そんな。そんなつもりで差し入れてるわけではないし」
「もちろん分かっていますよ。でも、僕は普段お金をあまり使わない人間ですから、こういう時に使わないと」
おいくらですかと店員に尋ねている彼の腕を、私は慌てて後ろから引っ張る。
「そんな、ノエル。悪いわ」
「いいんですよ、お気になさらず」
「……あの」
不意に、私たちの様子を見ていた店員が、おずおずと口を開いた。
「なんだったら、お二人で二つを分け合って耳に付けてみてはどうでしょう?」
店員の提案に、私たちは顔を見合わせた。彼が苦笑しながら店員にお金を渡し、告げる。
「残念ながら、僕はピアスの穴を開けていないので」
「あ、それだったら今、お開けできますよ」
店員曰く、冷却系の紋章術で痛みも無く簡単に開けられるということだが、私がピアスを欲しいからといって彼の耳に穴を開ける必要は無い。そこまでするならピアスは要らないと言おうとすると、何やら考え込んでいた彼は、ふと顔を上げて、
「なら、お願いしようかな?」
などと、とりわけ躊躇いもせずに言い出した。私は純粋に驚いて思わず声を上げる。
「ノ、ノエル!?」
「半分ずつ分け合う、ということでしょう? もしチサトさんが値段を気にされるのなら、五千フォルのプレゼントということにすればいいんですよ」
「いいわよ! そこまでしてくれなくて」
「こういうことってしたことがないのですが、チサトさんがいいのなら、僕は別に穴を空けるくらいかまわないのですが」
「で、でも、簡単に言うけどね、あなた、大事な耳に穴を開けるのよ? 穴を開けた後だって色々とケアしなきゃいけなくて面倒なんだから。いいわよ、本当に。こっちが申し訳なくなっちゃうじゃない」
「そうですか?」
ならばとりあえずピアスを一式頂きましょうと彼が寂しげな顔をしたので、心に痛みを覚えて私は戸惑った。
嫌なわけではないのだ、決して、彼を拒んでいるわけではない――
「……ノエル」
彼も、全く好意がなかったら、私にこんなことを言ってくれるわけがない。
“こんなことを簡単に言える男性ではない”。
「や、やっぱり……お揃いにしたい」
彼の腕をくいくいと引っ張り、私は彼に言った。あまりに小声で耳に届かなかったかもしれないと思ったが、彼は振り返り、いいんですか?と表情をほころばせた。端から見るとほとんど顔色の変化が分からない彼だが、私には、なんとなく彼の喜怒哀楽の違いが分かってきたような気がする。私がこくりと頷くと、やはり二人で分け合いますと彼は店員に告げた。店員は、そうこなくてはと言いたそうに笑むと、とりあえず彼の金と引き替えに包み終えたピアスを私に渡し、彼に、店の中まで来るよう誘導した。露店の店員側には、耳に穴を開けてと頼んできた人を座らせるためだろうか、椅子があり、彼をそこに座らせると、店員は彼の耳に手をかざそうとした。
「あ、ところで、どちらにお開けします?」
店員に問われて、彼は、店の客側から様子を見ていた私の方に振り返った。
「チサトさんは、どちらの耳にピアスをすることが多いですか?」
「どちらのって……あまり決まっていないけど、ペアでないものをするとしたら、左耳が多いかしら?」
ならば僕は右耳にお願いしますと、何やら訳の分からない理屈で決め、彼は店員の方に右半身を向けた。店員は言われるがままに彼の右耳に手をかざし、少し冷たく感じますよと前置きして、何やら呪紋を唱えた。店員の手から青白い細い光が放たれると同時、彼の身体がぴくりと動いた(大抵のネーディアンは耳が敏感なのである)。店員は穴が開いたかどうかを確認すると、ピアスの穴がきちんと出来上がるまで刺しておくファーストピアスを施した。
彼が、穴の開いた耳たぶを軽く撫でつつ、中からのっそりと出てくる。
「少しひやっとしました」
彼の可愛らしい言葉に、くすくすと笑う。作業を終えた店員が、カウンター越しに彼に言った。
「本番の金属を刺すまでは、きちんと穴ができるまで待っていて下さいね。紋章術で開けた場合は、今日の夜にはできるようになりますよ」
「あら、随分便利なのね」
「治癒の術を使えば、もしかしたら今すぐにできるかもしれませんが」
加減が分からないので、下手するとせっかくできた穴を全て塞いでしまうかもしれないと彼は苦笑した。私は、そうね、ちゃんと夜までで待ちましょうと頷き、店員にさよならを言って、その場を彼と離れた。
私は、手の上に載っかっている、可愛らしい赤の花柄の包み紙で包装されたピアスを見つめた。考えてみれば、これは、彼に初めてもらうプレゼントだ。
「ありがとう、ノエル。大事にするわ」
思わず笑みをこぼし、隣に並んで歩く彼を見上げて礼を言うと、彼もまた微笑んで、かぶりを振った。
「いいえ。これからどうします?」
「もう一通り見て回った感じよね」
「ええ。本当はセリーヌさんたちともお茶でも一緒にしながら話したかったんですが、ちょっと忙しそうでしたから」
「そうねぇ……まあ、なんだかんだで二人仲良くやっているようだし、元気そうだったから良かったわね。
そろそろ小屋に帰る?」
私の提案に、彼もこくりと頷いた。
私たちは、彼の小屋へ行くために使うマーズ村裏手の森の入り口まで歩いた。民家も少なくなるこのやや暗い場所には、小さな井戸や菜園があるだけで、祭に遊びに来た人も村人もほとんど見あたらなかった。周囲に人がいないことをいいことに、私は試しに、少し前を歩く彼の右手に自分の左手を触れてみた。少し指先で掴むと、彼もまた指を動かし、私の手をそっと掴んできた。
頬が温かくなる感じを覚えつつ、私が彼を上目遣いで見やると、彼は、私を見つめ返し、にこりと微笑んだ。嬉しげで優しい、とても落ち着いた笑みだった。私は自分の中に安堵のようなものが生まれたような気がした――思い返してみると、彼の日だまりのような笑顔を見るたびに、私の心は落ち着き、安らぎ、優しくなっていくようだった。
(私は)
今なら、素直に思える。
(私は、きっと、この人のことが好きなのね)
けれど、口には出さない。口に出す必要は無いのだ。
互いに指を絡ませた私と彼は、ふふと笑い合い、手を繋いだまま、小屋への長い道のりを他愛もない話をしながら歩いた。今日の夕飯はどうの、これからの仕事はどうの、セリーヌとディアスの旅の様子はどうの。歩きながらも彼が相変わらず動物観察のために森の中を見回しているのには呆れてしまったが、この距離感こそが、私はどうしようもなく好きなのだと思った。他にも大切なものがあるという彼、そして私。私たちは、互いのことを深く愛せる関係になるかもしれない。そして一方で、仕事にもまた同じだけの愛情を注げる人間になるだろう。
互いに同じ考え方を持っていて、それを同時に為せるのだから、これ以上幸福なことは無いような気がした。私たちは全く違う性格に見えて、もしかしたら最高に相性がいい二人なのかもしれないと、彼の横顔を見上げてひっそりと思う。
余談だが、小屋に戻って夜に二人でピアスを付けるため、包装を開封して付属の説明書を読んでみたら、“結婚後も末永く幸せに”というまじないの言葉が書いてあって、私は吹き出してしまった。何事かと思った彼が私の手に持っている紙を読もうとしたので、私は慌てて彼から遠ざけた。まだ駄目よ、駄目! 私が真っ赤になりながら叫ぶと、彼はきょとんとして私を見つめていたが、何やら思い立ったことがあるらしく、じきにくすくすと笑い始めた。私が、もう、あなたってそればっかり、ずるいわ、と口を尖らせると、彼は、なんのことでしょう?ととぼけて見せた。
もしかしたら、こういうところも正反対で、だからこそ相性がいいとかいう話になるんじゃないでしょうね? そう考えると、なんだか悔しくてたまらなくなったが、それもまた二人の掛け合いの楽しみになるのだろうか。ポジティヴに考えることにして、彼の右耳に片方のピアスを付けてあげた。彼は最初、金属の異物に違和感を感じていたようだが、私の左耳につけた同じピアスを見ると、満足げな顔をしていた。
あなたの、分かりにくいこの微妙な表情の変化を私がきちんと読み取っているということ、あなたは、果たして分かっているのかしらね?
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