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 なあ、アメツネ
 幸せになれよ





 ふと言葉が聞こえた気がして、アメツネは顔を上げた。広げた本を持ち、佇んだまま、魔術の道具が陳列されている部屋の中を見回す。だが、その声の主がいるはずはなかった。すでに青年は、この魔術の店から、死者の国バルハラから解き放たれている。
 彼の魂を見送ったのはいつのことだったろうか。つい最近のような気もするし、遠い昔だったような気もする。彼の声を聞かなくなって久しいので、その響いてきた言葉が懐かしかった。幻聴だったとしても、青年の明るさと優しさを思い出して、アメツネは顔をほころばせた。
 静かな部屋だ。魔術師の他には誰もおらず、外に広がる白い空間にも生き物の気配はない。
 この部屋にカヤナやクラトたちがいた間は、とても賑やかだった。研究の休憩時に呼び寄せる、ただの話し相手に過ぎなかったが、いつも孤独だった自分の心を温かくしてくれた。特にクラトは、カヤナとイズサミとの別れの後、アメツネが魔術研究をしている傍らで身の回りのことを色々と手伝ってくれた。転生の魔術の予備実験を繰り返し、本人に施しても問題ないと確信できたとき、喜べばいいものを青年は悲しげな顔をしてアメツネに言った。
 寂しくなるな。
 それは、青年自身のことでもあり、部屋に取り残される魔術師の気持ちを表した言葉でもあった。そうだな、寂しくなるなとアメツネも微笑んで、クラトの身体、復活の薬、そして自分の魔術を使い、別の時間軸の、先の未来の世界に魂を転生させたのだった。
 新しい生命に宿ったクラトの魂は、それまでクラトだったという青年自身のことを覚えてはいない。
 カヤナのことも、イズサミのことも、セツマのことも、アメツネのことも、警備隊の仲間たちのことも、弟のことも、タカマハラのことも覚えていない。
 本を閉じ、様々な呪術品が載っているテーブルに置くと、アメツネは陳列棚の前に歩んだ。自分の背よりも高い、一体何を並べていたか自身も忘れてしまうほどあらゆるものが並んでいる棚の中に、ぼんやりと光る青い小瓶がある。
 無表情で、魔術師はそれを見つめた。瓶の中には小さな光がゆっくりと上下して漂っている。
 アメツネは、ぽつりと呟いた。

「その孤独なる牢獄で、眠りに就き続けるのがよいか……」

 ふと、泣き叫んでいたカヤナのことを思い出す。あれだけ大切だったのに、どうして裏切ったのだと深く嘆いた女性のことを思えば、永遠に続く懺悔の時こそ、彼に相応しいのだろうが。

「その魂に終止符を打つか」

 瓶から視線を外して窓際に行き、何もない真っ白な空間を眺める。

 幸せになれよ

 カヤナと、イズサミと、クラトに言われた言葉を反芻する。

「幸せになれ、か……私の幸せとは、いったいなんなのであろうな。
 いつか闇と同化して無に還ることか、それとも……」

 問いに返事をする者はいない。
 決めるのは、魔術師自身だった。