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 どこまでも続く、バルハラの虹色の空間に戻されたカヤナは、二人の大切な人間たちとの別れで滲んでいた涙を腕で拭い、隣にいる恋人を見上げた。

「これからどうする」

 イズサミはゆっくりとカヤナを振り返り、透きとおる淡黄色の視線を向けた。

「んー……本当はね、ボクはカヤナと二人で住める場所を見つけて、のんびり暮らしていけたらと思ってるんだ。できれば二人きりになれるところ。そしたら思う存分、カヤナと愛し合えるもの」

 あっさりと口に出すイズサミに、カヤナは頬を赤くした。愛を育んだせいで、バルハラに来てからイズサミが少し強引になったような気がする。それとも、もともとそういう男なのだろうか? 羞恥で逃げ出したくなり、むきになって繋がれた手を振って放そうとしたが、強い力で握り返されてしまう。口をとがらせて見上げると得意げに笑われ、たまらずカヤナは顔を隠すために彼の二の腕に額を押しつけた。

「お前、そんな奴だったか?」
「ふふ。照れたカヤナなんて、生前では見られなかったもの。すごく可愛くて、食べちゃいたいくらい」

 馬鹿!と繋がれていない方の手で彼の胸元を軽く叩く。そんな仕草もまたイズサミの気持ちを煽るようで、逆に腕を回され緩く抱かれてしまった。もしアメツネとクラトがこの場にいたら、こんな場面を見られたくなくて彼を突き飛ばしてしまっていただろう。だが今は誰の目もないので、カヤナはおとなしくしていた。むしろ愛おしげに回された彼の腕が嬉しいとさえ思うのだ。
 イズサミはカヤナのこめかみに何度か口付けたあと、再び口を開いた。

「カヤナはひとつの場所でじっとしていることが好きではないでしょ。だから、二人でバルハラを旅しようよ」
「旅?」
「そう。ボクたちの時代の人たちに会いに行ったり、バルハラに何があるのか探したり、いずれ二人で過ごせる場所を探したり」

 カヤナは顔を上げ、不安げな目をイズサミに向けた。

「皆に会いに行くのか……。でも、二人一緒にいたら……」

 自分たちは、当時の人間たちからすれば愛し合うことを良しとしなかった間柄の男女だ。確かにバルハラにきたら血縁関係など気にすることなど無いのかもしれないが、死後も生前の意識や考え方を保っているのだとすれば、タカマハラやヤスナの人々からは姉弟が愛し合うなんて、と後ろ指をさされるかもしれない。批判に負けるつもりなど毛頭ないが、できれば中傷は受けたくないのだ。
 カヤナの言葉の中に含まれる懸念を悟っているイズサミは、薄く苦笑した。

「多分、いい顔はされないよね」
「……」
「でも、別にいいじゃない。誰かから咎められたら、二人で逃げてしまえば」

 イズサミはカヤナの両手を取ると、自分の両手でそっと包み込んだ。穏やかで優しい無垢な目が、間近からカヤナを見つめる。

「二人で逃げよう、今度こそ」

 言葉に、カヤナの胸は震えた。
 ああ、そうだ。
 あの時の約束を守るべきときが今、訪れたのだ。
 あのときのカヤナは、彼の願いを叶えてやることが、自分の中にあった本当の望みを果たすことができなかった。それが、全ての発端だった。当時は、真に愛する男と手を取り合って逃げ出すことへの恐怖があったのだ。それは自らが果たすべき責務と、周囲からの批判を避けようとする弱さから生まれたものだった。一方的な拒絶が、愛する男の計り知れないほどの苦悩と狂気を生み出してしまった。
 当時、彼と二人で逃げ出していたとしたら、未来は一体どのようになっていたのだろうか。カヤナとイズサミは、どこかで幸福に暮らし、老いていったのだろうか。初めから運命が違えば、これまであった多くの人々の悲しみや傷の数は減っていたのだろうか――
 しかし、今ではもう、そう考えることは無意味なことだ。過去は過去だからこそ、現在を形成するのだから。
 カヤナは、迷いなく頷いた。

「ああ。逃げよう、イズサミ。今度こそ。
 二人で」

 カヤナの言葉に、イズサミは、本当に幸せそうな笑みを浮かべた。ようやく愛する人と共に幸福を感じることができるようになったカヤナもまた、泣きたくなるような温かな安堵の中で、彼に同じ微笑みを返した。