45





 私はあなたを愛していただろう、生まれたときから。
 私はあなたを愛していただろう、共に過ごすあいだ。
 私はあなたを愛していただろう、命尽きる瞬間も。
 私はあなたを愛し続けるだろう、死してもなお。

 あなたがたとえ声を失って、目が見えなくなって、両手足すら失って、
 精神だけの存在になったとしても、私はあなたを愛し続けるだろう、あなたが私を愛してくれるのであれば。
 いいや。
 たとえあなたが私を愛さなくても、私はあなたを愛し続けるだろう。
 永久に愛し続けるだろう。
 無に還っても。





「……そろそろ、行くかな」

 ふとしたカヤナの呟きに、アメツネとクラトの二人は神妙な面持ちになった。イズサミとカヤナは並んで二人に向き合い、もう絶対に放さないといったふうに、しっかりと互いの手を繋いでいる。
 この花畑の噎せ返るような甘い香りが、ここは幻の世界にしか過ぎないとカヤナをはやし立てたのだろうか。アメツネは、男二人の寂しげな表情を目にして苦笑しているカヤナをじいと見つめた。
 困ったように、彼女は軽く肩をすくめた。

「本当のところは、お前たちと別れるのは寂しいんだぞ。アメツネにもクラトにも本当に世話になったし、魔術探しを手伝ってやりたいものだが、私たちの存在がお前たちの負担になるのは望んでいないからな……」

 結局、彼女が誰よりも愛する男と二人で寄り添っているのを見続けるのは、片思いをしている男二人にとっては堪えるところがあるのだ。本当は、アメツネもクラトも、彼女のそばにいること望んでいるのだが、それは恋人たちの幸せの妨げになる。カヤナを想う二人の男の存在もまた、イズサミの負担になるだろう。
 人が人を想うというのは、言葉だけ聞けば美しいものだが、中にある感情は本当に複雑だ。アメツネも、永く生き続けている点を除けば単なる人間にすぎず、どうして人というのはこれほど難しい生き物なのだろうと切なくなる。難しいからこそ、愛の深淵にある尊さを感じることができるのかもしれないが。

「とりあえず、カヤナのことはボクに任せてくれていいよ」

 イズサミが生意気に言うのを聞いて、クラトは片眉を上げながら口を尖らせた。

「あーあ、ずいぶん勇ましくなったよな、イズサミ」
「だって、カヤナがそばにいる限り、ボクは強くなれるんだもの。バルハラで二人でいることが永遠に続くのであれば、ボクは強いままでしょ。だから、ずっとカヤナのことを守れるんだよ」
「む、私だってお前と同じくらい強いぞ」

 横にいる男を見上げ、カヤナも口を尖らせている。負けん気の強さはこの先バルハラでも顕在なのだろう。もしかしたらイズサミにもカヤナの負けず嫌いが移ってきたのかもしれない。
 アメツネも花畑の中を歩み出て、イズサミに向き直った。

「イズサミ。そなたは長い歴史の中、他人が経験するよりも多く苦しみ続けた。その分だけ、久遠の楽園にて、彼女と幸せを共有して欲しい」

 過去と未来を知る魔術師の言葉に、イズサミは急に真面目な顔つきになる。淡黄色の美しい瞳が、真っ直ぐにアメツネを見据えた。

「君も、ね」
「うん?」
「君も、幸せになるんだよ。君が消えたいと願うことを簡単に否定することはできないけれど、もしかしたらクラトと魔術を研究している間に、楽しいことが見つかるかもしれないでしょう」
「そうだぞ、アメツネ」

 イズサミの隣にいるカヤナもまた翡翠のように深い色をした緑の視線をアメツネに投げた。

「お前は、私たちより遥かに長く苦しみ続けている。犯した罪は消えるものではないが、お前が世界を幸福に導くために為したことが、その罪を徐々に浄化させているのは確かなんだ。
 お前は、私たちを救ってくれた。それも何度も。今ここにお前が生きて存在してくれることが、私は嬉しいよ。お前に出会えたこと、お前が私たちを見つけてくれたことが、本当に嬉しい」
「……」
「だから、自分から楽しみや幸福を遠ざけるな」

 許せイズサミ、と言いながら、カヤナはイズサミの手を解いて歩み出て、なぜかこちらに近づいてきた。アメツネのすぐ目の前に立ち、少し屈めと命令してくる。困惑しながらも腰を屈めると、額に軽く口付けをしてきた。「ええっ」とクラトが意味もなく横で慌てている。
 アメツネが姿勢を元に戻すと、彼女は目元を柔らかく笑ませた。

「私は、お前のことが大好きだよ」

 真っ直ぐなカヤナの言葉に、アメツネの胸は詰まった。それは、イズサミに抱く恋愛とは違う愛なのだろうけれど、確実に彼女の中に存在している、アメツネという男に向けられた温かな気持ちなのだろう。
 アメツネも微笑み、こくりと頷いた。

「ありがとう」

 彼女は自分に生きることそのものの希望を与えてくれた。それ以上、いったい何を望めばいいというのだろう。
 カヤナはクラトにも同じく額に口付けをし、少し背伸びをしてクラトの金髪をわしゃわしゃと撫でた。

「な、何するんだよ」
「知っているか? お前の髪は陽に当たるとやわらかく光って、とても綺麗なんだぞ」
「そうなのか? カヤナの黒髪も綺麗だけどな」
「クラト。お前の強さに、私は何度も救われた。
 ソルファルタン、お前は私の太陽だった」

 そう言って微笑んだ彼女を、クラトは泣きそうな顔をして見つめた。

「カヤナ……
 おれ、お前のこと、忘れないよ。転生しても、きっと、どこかで覚えてると思う。だってこんなに……」

 好きなんだから、と、声には出ないが、唇が動くのが見えた。カヤナもまた泣くのをこらえるように唇をきゅっと締め、少し無理に笑って、うんと力強く頷いた。
 そして彼女はイズサミの横に戻り、彼とまた手を繋ぐと、アメツネを見やった。

「クラトを頼む、アメツネ。彼の魂の未来に、我々以上の幸福があるように」
「ああ」
「バルハラに戻してくれ。いいよな、イズサミ」
「いいよ」

 イズサミが承諾するのを聞いたアメツネは無言で頷いて、右手を上げ、パチンと指を鳴らした。魔術が発動し、彼らの身体が光の粒子に包まれて、見えなくなる。
 クラトが、思わずといった様子で片手を突き出し、一歩前に歩んだ。

「カヤナ……カヤナ! イズサミと、いつまでも幸せにな。アメツネのことも忘れるなよ……!」

 愛する人との永遠の別れ。こんなときでも他人を思い遣る青年の心に、アメツネは少し泣きそうになる。
 遠ざかってしまって返事は聞こえなかったが、光の合間から、カヤナとイズサミの微笑みが見えたような気がした。光は一瞬だけ強く輝き、ゆっくりと冷え、消えていった。転送はうまくいったようだ。
 バルハラにいる死者の未来は、アメツネには分からない。彼ら二人がこれからどこへ向かい、何をするのかは、もはや知る由はなく、知る必要もなかった。
 二人を見送り、涙に濡れていたのか指先で目元を拭っているクラトが呟いた。

「額に口付けをされたときに、さ」

 うん?とアメツネが続きを促すと、彼は清々しい表情になって、晴れ渡る青い空を見上げた。
 クラトは言った。
 額にされた口付けが、まるで、世を総べる女神から与えられた祝福のようであった、と。