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「アメツネ、くそっ……どうして回復しないんだよ!」
「無理だよ……カヤナ。ボクたちは死んでるから、生きているアメツネに魔術は効かないんだ」

 そういうことか。クラトは悟った――先ほどの光はイズサミとカヤナに向けられた攻撃で、アメツネは身を挺して二人を庇った。そして代わりに攻撃を受けたアメツネをカヤナたちは魔術で治療しようとしたが、死者は生者に対して影響を与えられないので、傷を回復してやることができないのだ。
 イズサミとカヤナは絶えず何か呪文のようなものを唱えていたが、アメツネの容態が変化することはなかった。

「アメツネ! お願いだ、目を覚ましてくれ……。くそ、どうして私たちを庇ったりしたんだ。お前ほどの魔術師が、なぜこんな目に遭っている。起きろ、アメツネ、お前は不死だろう!?」

 カヤナの手から回復魔術だと思われる白い光が溢れるが、アメツネに効果はないようだった。

「どうしてアメツネが攻撃を受けたんだろう。生きている者同士が戦わない限りは、そんなことありえないのに」

 一度魔術を使うのをやめ、イズサミが呟く。二人のやりとりを訊いて呆然としていたクラトは、気を取り直してようやく二人に話しかけた。

「何が……あったんだ。アメツネが……お前たちを庇ったのか」

 分かっていたが、念のため訊くと、イズサミはカヤナの手元を見つめながら頷いた。

「防御魔術を使ってくれたけど、防ぎきれなかったんだ。ボクたちはどうにか衝撃を免れて、アメツネは、身体を光に焼かれたあと地面にも叩き付けられて……」
「馬鹿か……馬鹿か、アメツネ、お前は! お前に訊きたいことがまだたくさんあるんだぞ、話したいことも!」
「でも……アメツネは、不死なんだよな?」

 青ざめて、クラトが問う。そのとき、アメツネの身体がぼんやりと発光し始めた。カヤナがハッとして手を引っ込める。淡い光はいくつもの帯状となり、アメツネを包み始めた。ぐるぐると、まるで繭玉を作られるような光景に、一体何が始まるのだと三人は立ち上がって数歩後ずさった。
 光は、アメツネの全身をすっかり包み込むと、その光量を弱めたり強めたりしながら、しだいに消えていった。光の中から再びアメツネの身体を見え始めたとき、クラトは声を上げた。

「な、治ってる……?」

 横たわるアメツネの身体は、何事もなかったかのように元通りになっていた。血も、傷跡もなく、服すらも焦げた跡が消えている。
 カヤナもまたその光景に驚いていたようだが、アメツネ……と呼びながら、魔術師の身体にすがりついた。胸元に頭を押しつけ、何度も彼の名を繰り返す。

「アメツネ、アメツネ……この馬鹿! 本当に……」
「……不死だからか」

 愕然と、クラトは呟いた。アメツネが死ねない身体を持つというのはこういうことなのか。どんなに身体が傷ついても、時間を巻き戻されたように元通りになって生き返る。きっと死ぬときの苦痛はあるだろうに、いつの間に不思議な光が彼を包み込んで、全てを元通りにしてくれるのだ。
 それは確かに、命短き生物たちから見たら、うらやましいことかもしれない。不死の力を求めた者たちがいたように。今回もカヤナを悲しませずに済んだのだから、彼がその呪いによって回復したのは喜ばしいことなのかもしれない。
 ――だが。

「お前はこれまで、どれだけ傷ついたんだ……」

 それは、もはや生き物ではない。
 カヤナの呼びかけに気が付いたアメツネが、うっすらと青い瞳をのぞかせた。イズサミとクラトもまた近くにしゃがみ込んで彼の様子を窺う。血にまみれてぐしゃぐしゃになっていた頭も、顔も、肌も、すべて綺麗になっていた。
 アメツネの懐にうずくまっているカヤナに気付くと、彼はうっすらと苦笑した。

「……そうか」

 自分の状況を把握して放たれた声音は、ひどく穏やかだった。

「私は、大丈夫だ、カヤナ」

 彼の言葉に、クラトは泣き出しそうになった。掠れた声で名を呼ぶと、アメツネはクラトに視線をやって哀しげに微笑した。
 アメツネは、カヤナに似ている。他人に優しさを与えるために自己犠牲を厭わない。そして誰を責めることもなく沈黙し、微笑んでいる。本当は、心が深く深く傷ついているのに。
 浮かんできた涙を腕で乱暴に拭い、クラトはアメツネに笑みを返した。

「心配したんだぞ。ここまで必死に階段を降りてきたから、疲れたよ」

 クラトの言葉に、アメツネはくすりと笑った。続いて顔を伏せているカヤナを見ると、彼は急に深刻そうな顔つきになった。

「カヤナ、聞いて欲しいことがある」

 問いに、カヤナがのろのろと顔を上げる。泣きはしないが、げっそりとしていて、憔悴しているようだった。

「……なんだ」

 力ない声で問い返す。アメツネはカヤナを真剣な目で見つめ、言った。

「セツマの魂が消滅した」

 彼の一言に、クラトは顔をこわばらせた。カヤナとイズサミも、アメツネを見たまま固まっている。
 アメツネは目を伏せ、静かに説明し始めた。

「先ほどの攻撃は、私の魔術を利用したセツマの攻撃だ。どうやら彼は先の戦いで私の魔術を蓄えていたらしい。生きている私自身の魔術であれば、死者の身体を害することも可能だからだ。彼からは魔力を奪い取っていたはずと私が油断したのがいけなかった。あの男は、初めから私ではなく、そなたたちを狙っていたのだ。
 だが、死者にとっては捨て身の攻撃だったらしい。途方もない力を持つ魔術を無理に利用したせいで、制御しきれず、彼の魂があの光の柱の中で崩壊するのが分かった」

 カヤナが、震える両手を自分の頬に当てた。目を見開き、眉をきつく寄せ、ゆっくりとうなだれる。異変に気が付いたイズサミが咄嗟に背後からカヤナを抱き、頭を引き寄せた。カヤナ、しっかり、と音声にはしないが唇が動くのが見えた。

「彼の魂を救い上げようとしたが、遅かった。私も自分の魔術を防ぐので精一杯だったからな。
 もう、どこにもセツマの気配がないのだ……」

 魔術師は落胆した様子で、そう断言した。途端カヤナが呻き声を上げ始め、イズサミがより力を込めて彼女を抱きしめた。

「セ、ツマ」

 力を入れた指で頬を引っ掻くおそれがあり、イズサミは彼女の身体を無理矢理自分に向けて正面から抱きしめ直した。また勝手に消えていきそうな恋人を必死に繋ぎ止めるかのように、イズサミも彼女の首元に顔を埋めて、苦しげにカヤナを呼ぶ。

「落ち着いて、カヤナ」
「セツマ、が」

 ショックは大きかったようで、彼女は従者の名を何度か繰り返したあと、イズサミの肩口に顔を押しつけて苦しげな呼吸をし始めた。落ち着かせるために、イズサミが何度も何度も彼女の背中や頭を撫でてやる。
 そして、カヤナは、わあわあと子どものように声を上げて泣き始めた。その尋常でない泣き方に、クラトもかける言葉を失ってしまう。どうして良いか分からず、アメツネを見やると、彼は沈黙し、悲しげ視線を彼女に投げていた。
 不意に、アメツネはクラトを見た。

「クラト。そなたの転生の約束は必ず守る」

 はっきりと言われ、クラトは眉をひそめて彼を見つめ返した。

「アメツネ……でも、セツマの魂が消えてしまったのなら、お前の願いは……」
「私は、もうよいのだ」
「よ、よくないだろ! お前の願いの方がよっぽど大切だ。いいよ、おれの転生なんて。アメツネ、復活の薬はお前のために使ってくれ」
「クラト。そなたの転生が私の願いだ。私の魔術も、薬も、そなたのために使う」

 アメツネに宣告される。その青い瞳が宿す誠実さに、たまらず唇を噛みしめてクラトはうつむいた。また、この男は自分を犠牲にしようとしている。いくら周りが止めようとしても無理なのだろう。この尊ぶべき真摯な姿勢は、アメツネという男の生来の気質だった。魔力や不死など関係無しに、彼は、ずっと昔から、こういう男だったのだ。

「アメツネ……」
「クラト。魔術を使いすぎて、私は少し疲れている。転生の準備をしたいが、その前に休養を取らねばならぬ」

 だから自室でしばらく休ませてくれというアメツネに、クラトはこくこくと頷いた。

「も、もちろんだ」
「イズサミ。私の店を拡張する。そこでカヤナを休ませてほしい。そなたたちも疲れているだろう」

 泣きわめく恋人を抱き留めているイズサミもアメツネを見て、真面目な顔つきでこくりと頷いた。