37





 なかなか二人が戻ってこないことが心配になり、クラトは我慢できずに図書館の中を捜し始めた。背の高い分厚い本棚が邪魔をしてかなり迷ったが、ふと壁際にあった半円形のバルコニーに青い髪と長い黒髪が見えて、そっとそちらに近づく。
 イズサミは、カヤナを懐に抱きしめて、髪を片手でゆっくりと撫でていた。顔を押しつけて小さくなっているカヤナは、きっと泣いているのだろう。その頭に顔を寄せて、子どもをあやすように恋人を抱いているイズサミが、とても大人びて見えた。
 それはそうだよなと、クラトは泣いているカヤナを見つめて溜息をついた。彼女が嘆き悲しむ気持ちは分かる。幼少時から共に過ごし、愛するがゆえにカヤナを殺したセツマのことを、はい消してくださいと簡単に切り捨てられるはずもない。カヤナは気は強いが根が優しい女性なのだ。自己犠牲のきらいもあるし、何でも一人で抱え込み、周囲を巻き込まないためにどこかへと消えていってしまう。
 そんな彼女を引き留められるのがイズサミという男だったのだろう。お似合いという言葉とは違うだろうが、彼はカヤナの心理をよく理解していて、彼女が危ういときにはしっかりと支えてやれる。クラトは、抱き合う二人の姿を見ても――確かに心は痛むのだが――もはや安堵を覚えていた。イズサミならカヤナを必ず守ってくれるという確信を、今なら持てる。愛する女性の前では誰よりも強くなれる男であれば、彼女のことを任せても大丈夫だろう。
 不意に、イズサミがクラトに気が付いた。カヤナを一瞥し、目で「大丈夫だよ」と合図してくる。それに応えるために微笑すると、イズサミはうなだれるカヤナの手を取って、図書館に戻るために歩み始めた。
 そのときだった。
 二人のいるバルコニーが白く、明るくなった。どうやら頭上から強い光で照らされたようだ。二人も疑問に思ったらしく、空を見上げた刹那、すさまじい光量が視界を覆った。
 あまりの目映さに目を閉じたクラトの耳に、轟音が届く。音は、バルコニーのある方からしていた。何かが強い力でぶつかってきて建物の壁が破壊され、ガラガラと崩れ落ちる音だった。
 まさか――クラトの全身が粟立つ。状況を確認するために目を開けたいが、どうしても瞼が上がらない。それどころか眼球が焼けないように両手で顔を覆い、うずくまるしかなかった。その間にも、石壁が崩壊していく恐ろしい音が聞こえる。
 光が収まり始めたとき、クラトは無理矢理に目を開けた。先ほどより明るさはましだが、目の奥が痛くなってくる。前へと駆け出しながら、どうにか目を慣れさせたとき、クラトは眼前にある光景を見て唖然とした。
 バルコニーが、無くなっていた。カヤナとイズサミがいた場所は粉々に破壊され、跡形もなかった。その被害は図書館の床にまで及び、床がえぐれていびつな楕円を描いていた。
 頭が真っ白になって立ちつくしていたクラトだが、二人の気配が無いことにハッとすると、崩壊した床の縁に駆け寄った。風が吹いているので、落ちないように四つんばいになって下を覗き込む。
 えぐれた場所からは、下の階ではなく地上が見えていた。非常に高い塔の上に図書館があることをクラトは今初めて知ったのだが、この塔が自立しているのが不思議なほどに、上空から貫かれた光によって、下の階層は一番下まで床が広さの半分ほど消えていた。塔は、広大な森の中にあるようだが、光はどうやら直線に降ったらしく、まるで巨大な爆弾が落とされたかのように、塔の基礎周辺は土埃で何も見えなくなっていた。
 必死に視線を動かしてみたが、この図書館にも、下の階にも、空中にも、二人の姿は見あたらない。

「カ、ヤナ……カヤナ。イズ、サミ」

 震える声で、二人の名を呼ぶ。

「……カヤナっ、イズサミ! 返事をしろ!!」

 腹の底から絶叫してみたが、応答はなかった。嘘だろう、だってこんな――今にも気を失ってしまいそうな強い絶望感が襲ってくる。土埃は延々と舞い上がり、この先しばらくは落ち着きそうにない。この場から彼らの姿を見つけることは諦め、クラトは立ち上がると図書館を走り始めた。先ほど二人を捜していたときに見つけた、下の階へと続く階段があったのだ。幸い階段のある場所は無事で、クラトは全速力で駆け下り始めた。
 自分も魔術か翼があるなりして飛べれば、一瞬で下の様子を見に行けるのに。何段も何段も階段を蹴り飛ばしながら、自分の無力さを悔しく思った。この塔の高さでは、すぐには地上に降りられない。いつまでも続く階段に激しく息切れし、同じ事を繰り返して覚束なくなってくる足取りを奮い立たせながら、クラトは下に降り続けた。各階に何があるのかも、煙が充満しているせいでよく分からなかった。
 しばらくして、階段の小さな窓から見える景色が、森の風景を帯び始めた。もうすぐだ。全身から汗を吹き出し、時々手すりに手を掛けて前屈みになりつつ、疲労で震えている脚で段を踏みしめる。
 そうして、ようやく地上に着いた。荒い呼吸を繰り返し、よろよろと土の上を歩む。塔の周囲一体は、光がぶつかったせいで土が剥き出しになって盛り上がり、木は根を天に向けて何本もひっくり返っていた。焦げた跡はないので、熱を持った衝撃ではなかったらしいが、ここまで全てが破壊し尽くされていると、先ほど降りてきた塔はあれだけ崩壊していてどうして倒れなかったのだろうと、クラトはもう訳が分からなくなった。
 ふと声がした。少し離れた場所に、人の姿があった。土埃のせいで未だ視界は遮られていたが、長い黒髪が見え、それがカヤナだと分かり、クラトはとっさに走り出した。

「カヤナっ」

 地面にしゃがみ込んでいるカヤナはこちらを見ず、必死に何かを呼びかけているようだった。近くにはイズサミもいて、同じく座り込んでカヤナと同じところを見つめている。ひとまず二人が無事だったことに、クラトは脱力するような安堵感を覚えた。
 疲弊もあり、ほとんど力を失うような形で二人の前に座り込むと、脚もとに人が倒れていた。

「アメツネ、アメツネ!」

 カヤナがゾッとするような声で彼の名を繰り返している。地面に伏せていたのは、身体の縦左半分が無くなっている魔術師だった。頭からは血を流し、裂けた断面が炭になったように真っ黒になって消え失せている。クラトが戦場で見てきた、武器で与えられるような普通の怪我ではない。アメツネには意識がなく、かろうじて残っている右半分の目はかたく閉ざされていた。