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「クラトの蘇生は可能だ。だが、蘇生そのものをクラトは望んでいない。生き返ることを望んでいない者に復活の薬を利用することはできない」
「どうして生き返りたくないの?」

 単純な問いに、クラトはイズサミを目を細めて見た。

「人間が生き返ったらおかしいだろ」
「でも、君が進んで薬を使ってくれれば、いろんなことがすんなりいくと思うんだけど」
「おれは、蘇生は望んでいない」

 蘇生“は”と強調して言ったことに、カヤナは眉をひそめた。

「……別に何か方法があるのか?」
「クラトは蘇生は望んでいないが、転生ならよいと言ってくれてな」

 転生? カヤナとイズサミが問い返す。アメツネはこくりと頷いた。

「通常、人間は死ぬとバルハラに来る。自我を持ってな。生まれてから死に、いつか魂が消滅するまで自分という存在は一定だ。そして消滅したら無に還り、それ以上は無い。つまり生まれる前と同じ、無という状況になるということだ。
 転生は、魔術の世界では禁忌の技とされている。生まれ変わるということであり、魂の在り方は変わらないが、身体や自我は違うものとなって再び世に生まれるという現象だ」
「うん……? なんだかよく分からないな。私やイズサミが蘇ったこととは違うのか?」
「そなたらに施されたのは、あくまで自我の残る蘇生術だ。身体も、生前のまま変わらない。転生というのは、つまり、クラトがクラトではない別の人間として別の時代に生まれるというということだ。そこにクラトの生前の記憶はない。むろんバルハラでの記憶もな。だが、その魂は共通している」

 つまり魂を使い回すのだという説明に、カヤナは混乱して唸りながら額を押さえた。イズサミも意味が分からないらしく、しきりに首を傾けたり目をぱちくりさせたりしている。

「えっと……それって、普通に生まれるのとはどう違うの?」
「あまり変わらないな。魂は生まれたときに初めて作られるものだが、生前の記憶が無ければ、自分の魂がいつ作られた魂かを知る術はない。クラトも転生した自分がクラトであったことは覚えていないからな」
「うーん……蘇生とは違うってことはなんとなく分かったけど」

 つまりクラトの魂を別の人間の身体に入れるということだよね?と言うイズサミに、アメツネは、よいまとめ方だと微笑した。初めて魔術師に持ち上げられたイズサミは、カヤナを見て、少し得意げに肩をすくめて見せた。
 しかし、クラトがなぜ転生などという方法を許可したのだろうか。あれだけカヤナやアメツネの説得を拒んでいた男なのに。カヤナの疑問に答えるように、クラトがおずおずと口を開いた。

「このバルハラに居場所がないのは本当なんだ。知り合いだっていないし、それに……カヤナとイズサミが一緒にいるのを感じ続けるのは、正直ちょっとつらくて。
 アメツネから転生のことを聞いて、お前たちがおれの転生を望んでいるなら、それでもいいんじゃないかって」

 バルハラの人間が転生するなんて普通はあり得ないわけだし……と、少し言いにくそうにしているクラトに、カヤナは身を乗り出した。

「クラト、お前、本当にいいのか」
「え?」
「だってお前、あれだけ蘇生は嫌だと言っていたじゃないか。もしそれが自分自身を投げ出すことになるのなら、無理にアメツネの話は呑んで欲しくないのだが」

 もちろん私にこんなことを言う資格はないがというカヤナの言い訳に、クラトは頬を掻いて薄く苦笑した。

「蘇生が嫌なのは本当さ。テロで死んだのに警備隊のみんなに今更“ただいま”なんて言えないし、これ以上、世界の理みたいのを歪めるのはどうかと思う。
 でも、転生は普通に生まれるのと変わらないっていうからさ。魂が共通してるってのが一体どういうことかよく分からないけど、記憶が無くなって赤ん坊になれば、結局おれは何も分からないままだから」

 とにかく現世に影響が出なければそれでいいと言うクラトに、カヤナは再度、本当に良いのかと問いかけたかったが、これ以上言うとこれまでの自分の態度に責任を持っていないことになるので、ぐっと押し止めた。そして今度はアメツネを見やる。

「アメツネ、本当にいいのか」
「ああ。クラトが条件を呑んでくれたからな。使用するのは、やはり私の魔術と復活の薬だ。転生など今までやったことがないが、なんとなく術の糸口は掴めている」
「そうか。でも、それではお前は……」

 アメツネは、そうだな……と悲しげに笑った。疑問を抱いたらしいイズサミが口を挟んでくる。

「アメツネがどうなるの?」
「……」
「ねえ。ちょっとカヤナ、もう黙らないでよ」

 口を尖らせるイズサミに、これ以上恋人に負の感情を抱かせたくないと、カヤナは諦めて説明し始めた。

「どちらかしかないんだ」
「え?」
「復活の薬の使い道さ。アメツネが自分を消滅させるためか、あるいはクラトを生き返らせる……いや、転生させるためかの二択なんだ。アメツネは己の消滅を望んでいるが、そのためには復活の薬が不可欠らしくてな。もしクラトの転生に薬を利用したら、アメツネの願いは叶わなくなる」
「あれ、復活の薬って一つしかないんだ?」

 イズサミの問いに、アメツネはそうだと頷いた。復活の薬がこの世に二つ同時に存在することはないことが、アメツネの観察結果で判明しているらしい。薬が利用されて無くなると、新しい薬が生成されるようだが、新しいものがいつ、どのような形で、どこに現れるのかは定かではなく、今現在アメツネが所有している薬も、魔術を駆使して時空の狭間を行き来し、バルハラで偶然見つけたものだった。彼は所持していた薬の半分を不死を求めたセツマに差し出し、残りを研究用として引き続き手元に残していた。
 一体どうしてそのような物騒なものが勝手にできるのか、何者が作っているのかは、もはや世界の仕組みを超越した事項なので、考えるだけ無駄だと魔術師は言った。彼に分からなければ他の三人が分かるはずもない。

「それで、アメツネはクラトの転生を望んだってわけだ」
「ふーん……でもいいの? アメツネ。君、もう生きるの嫌なんでしょ?」
「……」

 アメツネは微笑したまま机を見つめて黙り込んだ。謎の態度にイズサミとカヤナは互いに顔を見合わせたが、クラトは何やら事情を知っているらしく、アメツネに「いいかな?」と前置いて、魔術師が小さく頷くのを確認すると、二人に説明し始めた。

「実は、別に方法があるらしいんだ。アメツネの望みを叶えるための」
「そうなのか!? つまり、クラトに使う薬の代用になるものがあるわけか」
「ああ……でも、それは……」

 急にクラトはどもり、カヤナたちを見ていられなくなったように目を伏せた。希望の秘密を握っている二人が共に黙り混んでしまったので、これでは会話が進まないとカヤナは急かす。

「それは何なんだ? もう見つかってるのか?」
「……」
「なあ、答えろよ。もし協力できるなら私たちも手伝いたいんだ」
「それは」

 クラトは決心したように顔を上げ、

「セツマの魂なんだ」

 言った。
 カヤナの心臓がどくんと打つ。

「……え?」

 唖然としていると、アメツネもまた意を決したように話し始めた。
 転生も、消滅も、しようとしていることは本来禁忌とされていることであり、禁忌を犯すためには魔術以外にもそれ相応の対価が必要になる。かつてヤスナの魔術師たちがイズサミを復活させる際に利用したものは、罪人数人分の生きた心臓だった。すなわち蘇生魔術を施すためには、生命を脅かすレベルの対価を要する。転生魔術については、アメツネは知識としては知っているが、この世界が生まれてから実証はされていない。やってみようとした魔術師は何人もいたが、相応しい対価を手に入れることができずに、みな失敗している。
 アメツネが所持している復活の薬は、バルハラにしか存在し得ない、この世にただ一つの危険な代物だ。未だかつて薬を用いて転生魔術を実験した者はいない。薬そのものを手に入れることができなかったためだ。現時点では仮説に過ぎないが、復活の薬については古の時代からアメツネの研究対象で、ある程度のめどは立っているため成功の兆しが見えている。クラトも、あくまで可能性の話であることは了承してくれた。
 一方、アメツネの消滅についても同じ事が言える。バルハラにいる死者を滅するために生者が討ちに行くことはあれど、この世の理に反する不死の人間が消滅するためにもまた、それ相応の対価が必要になる。アメツネは自分の魔術と復活の薬を利用して消滅魔術を研究しており、この魔術もまた上手くいけば成功する可能性が高いが、復活の薬をクラトの転生のために使ってしまえば、対価を無くした消滅魔術は成り立たなくなる。

「二千年間も生き、熟成した魔術を宿したセツマの魂は、この対価に匹敵する力を持つ。やはり仮説にはすぎないのだが、魔術と組み合わせれば禁忌を破る効果が得られるのではないかと考えている」
「ちょっと待て」

 冷静に続けられていた説明の合間に、カヤナはたまらなくなって椅子から立ち上がり、声を上げた。

「アメツネに訊きたい。お前がセツマに薬を渡したのは、二千年後にその効果を手に入れるためではなかろうな」

 怒りとも憎悪ともつかない感情にまかせて言ってしまうと、アメツネもさすがに気を悪くしたらしく、目を細めてカヤナを睨んだ。

「……私はそこまで非道だと思われているのか」
「カヤナ、それは言い過ぎじゃないかな」

 イズサミに袖を引っ張られ、カヤナは自分の放った言葉に嫌悪を覚えてうなだれた。

「……すまない。だが……すまない、少し考えさせてくれ」

 カヤナは立ち上がり、図書館の中をどこへ向かうでもなく歩き始めた。