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 いつの間に現れた魔術師はカヤナたちよりも少し上空にいて、紫色のローブをふわふわと浮かせながらセツマを見下ろしていた。カヤナはハッと青ざめ、アメツネを見上げて叫んだ。

「アメツネっ、さっきの風でクラトの身体はどうなった!?」

 消えた神殿の台座には、クラトの身体が二体寝かせられていたのだ。見回しても近くには見あたらないし、風で吹き飛ばされて傷だらけにでもなっていたら――

「心配するな、私が保護した」

 淡々とした返事が聞こえる。カヤナはホッしたが、今度はアメツネの纏う空気に戸惑いを覚え、注意深く彼を観察する。アメツネはセツマを睨むように見つめながら低い声で問うた。

「セツマ、何を考えている」
「おや、ばれてしまったようですね」

 やはり笑みは消さず、肩をすくめてセツマが言う。いったい何のことだとセツマに直接訊きたかったが、アメツネの周囲にピリピリとした緊張感があって口を出せない。イズサミも殺気を感じ取っているらしく、カヤナを庇うように前に出てきた。

「少し分けてもらおうと思ったんですけど」

 分けて、という言葉に、カヤナはピンと来た。思わずイズサミをどけてセツマに問いただす。

「セツマ、お前っ! 薬を使う気か!?」
「アメツネ殿が保管しているということで、部屋の中を漁っていたのですが、見つかりませんでしたね。それで苛々して部屋を吹っ飛ばしてしまったんですけど」
「いい加減にしろ!」

 ひょうひょうとしている従者に、たまらずカヤナは顔面蒼白になって叫んだ。

「どうして懲りない!? 我々はバルハラでおとなしくしておくべきなんだよ、秩序をかき乱すことはするなっ」
「その言葉はそのままアメツネ殿にお返しします。
 魔術師殿、私に復活の薬を恵んではいただけませんか? そうしたら私とあなたは互角にやり合えるではないですか」
「馬鹿かお前は!? アメツネと争ってどうする!」
「もう一度生き返って」

 セツマは微笑したまま、細い目の奥にある鋭い視線をカヤナに向けた。

「邪魔な者を滅したいんですよ、私は」

 セツマが言い切ると同時、浮遊していたアメツネが右手を大きく横に振った。彼が魔術を発動させるときに取る仕草だ。バルハラの風景が一転し、周囲が広大な草原になった。以前カヤナとイズサミがアメツネの魔術で連れてこられた空間のようで、地に足が着き、ようやく翼を仕舞える。もしかしたら魔術師はずっと翼の力を発動しなければならないカヤナとイズサミに気を遣ったのかもしれない。
 アメツネはゆらりと前に歩むと、右手に雷でできた球体を出現させた。彼が攻撃態勢に入っていることにカヤナはぎょっとする。

「アメツネ、ここで始める気か!?」
「セツマ。私は、もうお前の愚行を見逃すことはできない」
「アメツネやめろ、戦うな!」

 お前の力はこういう場面で使うべきではない! そう叫んだが、アメツネは振り返らなかった。代わりに左手を横に勢いよく振り、カヤナとイズサミの周囲に透明な防御壁のようなものを発動させた。
 本気で始める気だ――カヤナの全身から血の気が引いた。力を失って後方に倒れかけるのをイズサミが支えてくれる。

「どうしてボクたちまで巻き込むの」

 焦燥の混じったイズサミの声が聞こえる。

「セツマは生き返ってボクやクラトを消すつもりなのかな」
「……愚かな」

 悔しさと怒りでいっぱいになり、カヤナは奥歯を噛み締めた。自分を求めるがゆえの暴挙があまりにやり切れなくて涙が出てくる。アメツネたちの姿を見ていられなくなり、カヤナはイズサミの方に向き直ると、彼の懐に顔を押しつけた。カヤナ?と心配そうにイズサミが頭を撫でてくる。

「カヤナ、大丈夫だよ。ボクにも君を守れる力はあるから」
「……」
「ボクたちは今度こそずっと一緒にいるんだから」

 背後からすさまじい音が聞こえ始める。雷鳴と、防御壁に風が激突する音と、セツマの雄叫び。爆音がするたび、イズサミが守るようにカヤナをぎゅうと抱きしめる。彼らの攻撃の影響が何もないのは、アメツネが魔術で防御壁を張ってくれているためだろう。これだけの攻撃と同時に防御魔術を使用しているアメツネの途方もない魔力にカヤナは呆れた。
 もう馬鹿馬鹿しいと思った。たった一人の女を求めて、邪魔なものを消すために、死を冒涜するような真似をしている。セツマという存在がある限り、カヤナとイズサミは完全な幸せを得ることはできないだろう。死後も延々と一人の男につきまとわれるのだ――しかし、だからといって、いくら横暴な人間であったとしてもセツマを失うのは悲しい。
 だが。

「……セツマ」

 もはや、そんなことは言っていられない気がした。
 カヤナの心に、冷静な怒りがわき上がる。神話時代からのセツマの行動を追っていけば、とてもではないが許せる行いはしていない。好きな女の恋人を奪い、二つの家で暗躍し、他人を陥れ、人を殺し、妻を殺し、不死の力を手に入れ、媒体として後世の人間の身体を乗っ取り、あげくの果てにバルハラや魔術師の空間で大暴れをしているのだ。もっとも許し難いのはイズサミと争い合ったことで、セツマはヤスナの王子が利用されていると知っていながら剣を握らせ、純真無垢なイズサミを陥れようと悪事に荷担した。信頼できる人間として慕っていたのに、カヤナを惨い方法で裏切った非情な男なのだ。
 赦してはいけない。
 赦したくても、赦してはいけないのだ。
 慈悲や罪悪感を振り切り、魔術の火花を散らしているアメツネを振り返った。空中で激しい攻防戦を繰り広げている男たちを見据え、カヤナは身体の中で魔術を構成した。魔術師に意識を集中させる。

(アメツネ)

 上手くいくかは分からなかったが、口を動かさずに彼の名前を強く念じた。カヤナの身体から、作り出された複雑な魔術がアメツネに向かって放たれていく。イズサミもカヤナの魔力を感じ取っているらしく、何かをしようとしていることに気付くとカヤナの両肩をそっと支えた。
 しばらくしてアメツネがこちらを振り返る。

(何だ)

 返事だ。カヤナは術の継続に努める。

(アメツネ、頼みがある)

 そのときセツマのすさまじい攻撃があり、辺りがまばゆい光に包まれた。目を伏せてしまい、アメツネが視界に入らなくなったことで魔術が解けてしまう。
 光が収まり、空中を飛び交う二人の姿が見えるようになると、舌打ちしながらカヤナは再び魔術を組み立てた。

(アメツネ、頼む。セツマを抑えろ)

 アメツネに言葉を送る。手のひらから雷鳴を轟かせつつ、会話文を受け取った彼が同じく魔術を利用してカヤナに答えた。

(何だと?)
(セツマを抑えろ。お前の本気を使え)

 カヤナの頼みに、アメツネが少し戸惑ったのが分かった。

(よいのか?)
(ああ。奴を止めろ)
(……分かった)

 返事をすると同時に、アメツネは勢いよく後方に飛んだ。かなり遠く離れた場所で、珍しく両手で構えの姿勢を取るのが見える。直後、周囲の空気が濃縮され、魔術師一点に集まった。風景が電気色を帯び、バチバチと音を立てる光の筋がアメツネの手のひらに集合する。
 カヤナはセツマに視線を移した。彼は魔術師が本気を出そうとしているのを悟ったのか笑みを消し、同じく両手をかざして何かを唱えた。彼の周りに薄い色をした膜が出現する。防御態勢に入ったのだ。
 耐えきれないだろう。
 カヤナは確信した。いくらセツマでも無理だ、アメツネほどの力を持つ魔術師の攻撃を防ぐのは。
 セツマに対する申し訳なさが沸き起こる。今、自分は、あれだけ信頼していた男を見限ろうとしている。もしかしたら魂ごと消滅させられてしまうかもしれない。このバルハラでさえ、もう二度と会えなくなるかもしれない。
 存在が無に還るという恐ろしさにカヤナは立ちすくんだが、彼のことを赦してはいけないのだという自戒が慈悲を抑え込んだ。全体を見なければならない。個人の気持ちで動くから、色んなものの道筋が歪んでいってしまうのだ、今までのように。
 セツマの周囲に、何重にも防御壁が張られている。彼自身も分かっているのだろう、防ぎきるのがほぼ不可能な攻撃だということを。
 アメツネを中心として周囲が白みを帯び始める。
 そのとき、魔術を発動させたままセツマがこちらを見た。唇が動く。

 カヤナサマ ヲ マモレ

 カヤナは目を見開いた。途端、同じくセツマの唇の動きを読んでいたらしいイズサミが、カヤナを抱きすくめて防御の魔術を唱えた。すでにアメツネが用意している防御壁があるが、安全のためだろう。

「……セツマ!」

 思わず声が出た。刹那、轟音と共にアメツネのいる方向から光の柱が走り、セツマを貫いた。

「――セツマ!!」

 自分を守ろうとする腕から這い出て彼の元へ行こうとしたが、イズサミに強い力で拒まれて、それもままならなかった。
 横から走る光の柱の中に黒い影がある。かろうじて人の形をしているが、電流が大蛇のように激しくうねり、何がどうなっているのか分からない。強すぎる魔力に抵抗している二人の防御壁がバリバリと音を立て、イズサミが呻きながら繰り返し補強の魔術を唱える。セツマの安否は気遣われるが、今守らなければならないのはイズサミと自分の身だ。発動している魔術をカヤナも横から補助した。
 そのうち光が徐々に収まっていき、辺りが再び見覚えのある虹色の風景に戻る。必死に見渡してみたが、セツマの姿はどこにもなかった。

「……
 セツマ」

 目の前が暗くなる感じがし、魔術を解きながらイズサミの肩口に額を押しつけて、うなだれる。イズサミがすかさずカヤナの頭を愛撫した。

「……アメツネ。セツマは?」

 イズサミの声が聞こえ、カヤナはハッとして顔を上げた。アメツネがいつの間に二人の近くに飛んできて、ふわりと透明な床に降り立った。あれほどの威力の魔術を使用したというのに、彼は息切れ一つせずにいる。

「セツマは封じた」
「封じた?」

 カヤナが聞き返す。アメツネは真顔で頷き、

「消滅はしていない。だが、私の魔術でどうにでもなるところにいる」

 いわば眠りについたような感じだと説明してくる。冷酷にも感じられる淡泊な魔術師にカヤナは苛立ったが、セツマを止めてくれと頼んだのは自分自身で、文句などつけられる立場ではなかった。魂の消滅までさせなかったのは魔術師の配慮なのかもしれない。
 自分はいつも決心を鈍らせてくよくよしている……自己嫌悪に陥りつつ、イズサミから身体を離した。パッと手を握られる。見上げると、心配というよりは少し怒っているイズサミの顔があった。

「ボクから離れちゃだめ」

 目を離すと一人でどこかにいっちゃうんだから。
 イズサミ自身もバルハラや魔術師に翻弄されることにうんざりしてきているのだろう。カヤナも落胆を覚えながら力なく頷き、アメツネを見やった。

「セツマは今どこにいるんだ」
「私の店に送った。しかし魂の器は消滅しているから、陳列棚の小瓶に意識だけ封入している」

 わけが分からんとカヤナは頭を抱えた。