30





「クラト……くそっ、なんだっていうんだ」

 祭壇には、クラトの身体が二体横たわっていた。一つはアメツネが現世から持ち帰った彼の死体、もう一つは石畳の上で倒れてから目を覚まそうとしないバルハラでの彼の魂の器。二つとも、全く同じ顔で眠っている。
 カヤナは苛立ちを隠しきれず、神殿の中を行ったり来たりしていた。ときどき魔術師の名を叫んでは返事がないことに腹を立て、眠るクラトの身体の前に立てば申し訳なさで落ち込んでしまう。
 イズサミは広間の中央にある階段に腰掛けて、そんなカヤナの無意味な軌跡を目で追っているようだった。

「ねえカヤナ……ボク提案してもいい?」

 両膝に頬杖をつき、いいかげん待ちくたびれたのか溜息混じりに話しかけてくる。ちょうど彼の近くをドスドスと歩いていたカヤナが「なんだっ!?」とかなりの剣幕で振り向くと、彼は驚いたらしく両手のひらをこちらに向けた。

「お、怒らないでよ」
「怒ってない!」

 実際はクラトを弄んだ魔術師にカンカンなのだが、あの男に感情を乱されている事実を認めたくないのである。

「ちっ……魔術師め。いい加減はっきりした態度を示さんか! 説明しないと埒があかないだろう」
「あ、ねえ、クラトの身体をどうするつもりなの、あの人」

 イズサミの問いに、カヤナは一瞬口を噤んだが、イズサミにこれ以上隠し事をするのは嫌だったので正直に話すことにした。

「アメツネは、殺されたクラトの身体を持ち帰って蘇生しようとしたんだ。蘇生魔術と対価を使ってな」
「蘇生魔術? それって確か、ボクが復活のために施された魔術だよね」

 そういうわけ分かんないのやめてほしかったなあと口を尖らせているイズサミに、ある意味この男は物怖じしないなと感心する。確かにイズサミも気の毒だ、自分の意志で蘇ったと思っていたのに、実際はかき集められた遺体で強制的に蘇生させられたのだから。
 カヤナは息をつくと、イズサミの隣に腰掛けた。すかさずイズサミがカヤナの片手を握ってくる。

「蘇生させるためには対価が必要なんだ?」
「ああ。蘇生魔術を利用するための対価というのが、不死の薬、もとい復活の薬らしい」
「うん? なんで魔術が必要なの?」

 そのまま薬を飲んでもらえばいいじゃないというイズサミの意見はもっともだが、薬は本人の意志で使用しないと効果がない(というセツマの説だ)。

「クラトが自分から復活を願うとは思えん。イズサミがここに現れる前、私とアメツネはクラトを説得しにかかっていたのだよ。現世に再び戻れる方法があるならば、それを使わない手はないと。自分の遺体を見て、すぐにクラトも私たちの意図をくみ取ったらしく、ふざけるなと怒っていたがな」
「そりゃあそうでしょ。クラトはカヤナと一緒にいたいんだもん」

 当然のごとく放たれた言葉に、カヤナを眉を寄せた。クラトから告白された身だが、彼はイズサミやセツマのようにカヤナに始終くっついて回りたいと思うような男ではない。他の面々が強烈だから控えめに見えるだけなのかもしれないが。

「そうなのか? クラトは、死者の復活などという命を馬鹿にするようなことはよせと訴えていたんだが」
「まあ、それもあると思うけどね」
「しかし、あの剣幕では難しいだろうな……もしかしたら消えたアメツネが現在クラトと交渉しているのかもしれんが、実は私も詳しいことは聞いていないんだ。アメツネにここに連れてこられてクラトの死体を見せられて、何をたくらんでいるんだと詰め寄ったら、復活の薬と魔術を利用してクラトを生き返らせる方法を研究しているのだと説明された。私は、クラトを生き返らせることができるなら、それが一番いいと思ってな。かわいそうだろう、若いのに、散々私たちに巻き込まれたうえ、人員不足の戦争で死んで」
「んー……でもさあ」

 イズサミはカヤナから手を放すと後ろ手をつき、高い石造りの天井を見上げながら口を尖らせた。握られていた手が行き場を失ってしまい、カヤナは少し残念に思っている自分に驚きながら、イズサミを見やる。

「なんだ」
「もう、いいんじゃないかな」

 なにがと問うと、イズサミは溜息をついてカヤナを横目で見やった。

「最初の提案の話なんだけど、ボクたちって、もうセツマにもアメツネにもクラトにも関わらなくていいんじゃないかな」

 平然とした態度に、カヤナは少し不機嫌になる。

「どうして。あいつらがこのまま大人しくしてると思うか」
「いや、ボクもね、カヤナが大切にしたいものを大切にしたいと思っているよ。でも、ボクたちは死んで、バルハラに来て、ようやく現世のしがらみから解放されて、再会できたわけじゃない。ボクはそろそろカヤナと二人の時間が欲しいし、現にボクたちは人生が完結してるから、このバルハラで自由に生きていく権利があると思うんだ。セツマとかアメツネとか、まあクラトは気の毒だけど、どうしてボクたちに関わろうするのかなって。どうしてバルハラまで来て生前みたいに苦労しなきゃならないのかなって」

 尤もな言い分だ。カヤナもイズサミと同じことを希っているわけで、気持ちはよく分かるし、今度こそ愛する人と平穏に過ごしたいことに変わりはない。
 だが、イズサミは他の三人と生前ほとんど関わっていないから、彼らと関係を絶っても良いと口に出せるのだ。もともと孤独に生きてきたこともあってか、他人に対する思い入れがないのだろう。しかし一方のカヤナは彼らに関わりすぎてしまっていて、特にクラトをセツマとアメツネの影響が及ぶ範囲に置いておくのは不安で仕方がないことだった。

「でも、彼らには世話になっていて……」

 反論すると、イズサミは急に目をつり上げた。

「セツマやクラトが心配? じゃあ、いつまで彼らをカヤナに関わらせておくの? あいつらはカヤナのことが好きで、特にセツマなんてカヤナをボクから奪おうとしてるんだよ?」

 いつにない怒気を含んだ声に、カヤナは戸惑う。イズサミを怒らせるなど生前ほとんど無かったことだ。

「しかし……」
「クラトを生き返らせるのは、アメツネに任せればどうにでもなるんでしょ? ボクもうやだよ、セツマと戦うの。あいつ強いし、しつこいし、なんでまた剣を交えるようなことをしなきゃなんないの。何かがきっかけで狂戦士になるかもしれないから剣を握るのが恐いのに」
「……」
「そうやって」

 イズサミは立ち上がり、カヤナを見下ろして睨みつけた。

「カヤナは自分の都合が悪くなると黙るんだ。大切なことを言ってくれなくなるんだ。ボク、ちょっとそういうのつらいよ」

 吐き捨て、階段を下りて足早に遠ざかる。カヤナが慌てて腰を上げてイズサミの名前を呼ぶが、振り返らなかった。このままどこへ行くかも知れない、もしかしたらまた長いあいだ会えなくなり、下手すると狂戦士を呼び起こしてしまう不安に駆られて、急いで彼の後を追う。

「イズサミっ! お前の気持ちは分かる。お前の言うとおりだとは思う。けれど」
「けれど?」

 今度は立ち止まって振り返り、ぶつかりそうになったカヤナを冷たい瞳で見て、低い声で問うた。

「けれど、何」
「け、けれど……あいつらを放っておくわけには」
「ねえカヤナ。君さ、ボクとどうしたいの?」

 問われ、よく意味が分からずカヤナが首をかしげるのを眺めながら、イズサミは冷淡に言った。

「ボクは君と愛し合いたいって思うよ。生きているあいだ全然逢えなかったぶん、ずうっと一緒にいたいし、恋人らしいことをしたいし、君を抱きたいと思ってるし」
「だ、抱きたい?」

 予期せぬ言葉に、思わず問い返す。するとイズサミは嫌悪を覚えたように顔を歪めた。

「……カヤナは、ボクと愛し合いたいと思ってないの?」

 それは、怒りと落胆が混じった口調だった。

「もしかして、まだ姉弟ってこと……」

 言い切る前に、イズサミは耐えられなくなったように顔を背け、再びきびすを返して歩き始めた。一連の流れで二人の絆が断絶された気がして、カヤナの目の前がふっと暗くなる。
 イズサミの言葉を否定できなかった自分がいることに、カヤナは絶望した。確かにそうだ、未だに二人の間にある血の繋がりを気にしてしまって、普通の恋人たちがするような反応ができない。何も知らなかった以前の自分には戻れない。手を繋がれたら素直に嬉しいと言えばいいのに、そう顔に出すなり口に出すなりすればいいのに、戸惑いと罪悪感を抱いて、いつも沈黙してしまう。繊細なイズサミが、それに気が付いていないはずはないのに。
 カヤナは走った。地に足が着いていないような覚束なさを必死に消し去ろうとしながら、一生懸命に前に踏み出して、遠ざかるイズサミの背中に手を伸ばした。イズサミを手放してはいけない、もう二度と突き放してはいけない。異母姉弟だから繋がれないというのは生前の話なのだ、もし彼と離れてしまえば、それにつけ込む輩が出てくるだろう。以前のように全てが歪み始めてしまう――
 そのときだった。
 すさまじい威力の風がイズサミのいる方向から吹いてきて、カヤナの身体が宙に浮いた。前方にいるイズサミも同じく吹き飛ばされ、翼を出す間もなく神殿の天井に叩き付けられそうになる。
 その瞬間、辺りを囲っていた神殿が消え、バルハラの虹色の風景が眼下に広がった。しかし、身体はまだ惰性で空を飛んだままだ。突風が届かなくなると、今度は下に向かう重力が襲い、落下し始めた。

「カヤナっ、翼!」

 イズサミの声にハッとし、背中から翼の力を発動させる。呆然としている中、ばさばさと羽ばたいて、視界の左端にいたイズサミを見やった。

「イズサミ! 無事か!?」
「うん、カヤナも大丈夫?」

 翼を翻し、さっと近くに飛んでくる。カヤナは驚愕で動悸がする胸を手で押さえつつ、こくこくと頷いた。

「ああ……」
「一体なんなの? さっきの風」

 神殿があったと思しき場所は、すでにただの虹色の風景になっている。上下左右見渡してみても、同じ景色が延々と広がっているだけだ。
 また空間転移をさせられたのだろう。先ほどの強風はアメツネの仕業だろうか。彼の姿が近くに無いだろうかと探していると、ふと見知った男の姿が遠くに見えて、カヤナは安堵と怒りの息をついた。

「セツマか……! あいつ、どうやら風の技が得意らしいな」
「本当だ。てっきりアメツネかと思ったのに」

 セツマはカヤナたちと同じく浮遊しており、こちらの姿に気が付くと、魔術の力を利用して勢いよく飛んできた。嫌味としか思えない、にこやかな笑みを浮かべ、少し離れた場所に止まると、悪びれた様子もなく口を開いた。

「申し訳ありません、カヤナ様、イズサミ様。アメツネ殿の部屋を探っていて、ちょっと腹が立ったので、魔術を使用したらこのようなことに」
「貴様!」

 もしあのまま神殿の壁に激突していたらどうするんだと怒鳴ると、セツマは「私たちはもう死んでるんですけどね」と皮肉で返してきた。

「神殿を消したのは私ではありませんよ。あの建築魔術は精巧すぎて私にも破れませんから、アメツネ殿でしょう」
「お前、アメツネの部屋で何をしていたんだ?」

 問うたと同時、近くに人の気配がしたため、そちらを振り返った。生命を失った影なる自分たちとは少し違う、重厚な威圧感を持つ人間の気配だ。

「アメツネ……」