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 一瞬だけ間があって、自分のしていることに気付くと、クラトは思い切り身体を起こした。反動でベッドが跳ねて、カヤナの目がうっすらと開く。
 
(おれは)

 口を手で覆い、クラトは自分の行為に驚愕して震えた。瞬く間に顔に血が上り、全身が熱くなって汗が噴き出す。

(おれはなんてことを)

 この現場に他の三人の男たちがいたら、今頃頭を吹っ飛ばされているに違いない。
 カヤナは少しのあいだ天井を見つめ、クラトの存在を認めると、目を大きく見開いて勢いよく起き上がった。

「クラトっ!? お、お前、なぜ」
「えっ? あ、え、ええと」

 真っ赤になっている顔を見られないように伏せつつ、クラトは視線を右往左往させた。

「お……おれにも、よく」
「蘇生したのか!?」

 急によく分からないことを言われ、蘇生?と首をかしげる。

「なんの話だ? 別におれは何もされてないけど……」

 そのときクラトはハッとした。アメツネに連れ去られたカヤナは、おそらく彼の自室と思しきこの場所にいて、しかもベッドの上で寝ていたのだ。思考を回路に載せてたどり着いた疑惑に、カヤナの両肩を掴み、焦りを覚えて訊く。

「カヤナっ、あいつに何もされてないよな!?」
「え? アメツネのことか?」
「何もされてないよな!?」

 つい先ほど彼女の寝込みを襲った自分が言える立場ではないのだが、それでも二重に尋ねると、カヤナもクラトの言いたいことを悟ったらしく、あ、ああ、と戸惑いがちに頷いた。

「特に何も。部屋で話していただけだ」
「怪我とかないか? あいつ、カヤナまで攻撃し始めたからな……」

 念のため周囲を確かめるが、魔術師の姿はない。自分がカヤナにしてしまった行為を見られなかったのが幸いだ――とはいっても、あの魔術師であるから、もしかしたらどこからか見られているのかもしれないが、それはさすがに悪趣味だと非難できるだろう。死者にもプライベートはある。
 しかし、どうしてここに呼ばれたのだろうか。どちらかというとこちらを敵視しているアメツネの部屋なのに……と不思議に思っていると、カヤナが自分を見つめていることに気付き、クラトは頬を赤くしたまま目を瞬かせた。

「な、何だ?」

 もしかして先ほどの口づけがばれたのだろうか。

「……いや。何でもない」

 ゆるくかぶりを振り、珍しくカヤナが暗い表情で俯いた。そのまま黙り込んでしまったので、気になって下からそっと彼女の顔を覗き込む。

「どうした?」

 もし口づけのせいで彼女が落ち込んでいるならば、謝らなければ。本音を言えば、自分でも知らないうちにそうしてしまっていたのだが、好きでもない男に口づけをされるなど、誇り高いカヤナにとっては屈辱のはずだろう。
 だが、彼女はどうやらそのことで落ち込んでいるわけではないらしかった。

「カヤナ? どうしたんだ……」

 考えてみれば、彼女の顔色が悪い。具合がよくないのかと、触れはしないが頬の辺りに手を差し伸べた。

「何かあったのか?」
「……いや。なあ、イズサミはどうした?」

 彼女の態度からすると魔術師と何かあったらしいが(彼女は嘘をつくのが下手だ)、言いたくないようなので、仕方がないとクラトは気を取り直した。

「イズサミはセツマと戦ってる、と思う」

 カヤナの身体がびくりと震える。

「戦っている……!? あの二人がか?」
「ああ。お前とアメツネが去った後、三人で暗闇の中に取り残されて、二人が喧嘩し始めたんだ。話を聞いてくれないし、おれには止められなくて……」
「イズサミとセツマが戦っているというのか!?」

 クラトを遮り、声を張り上げる。真っ青になって震える手で口を塞ぎ、止めなければ……と言いながらカヤナはベッドから立ち上がろうとした――しかし。

「カヤナ!?」

 後ろによろけて、再びベッドの上に倒れ込んでしまう。どこか弱々しい姿が心配になり、背中に腕を差し込んで懐に抱えた。

「どうしたんだ、カヤナ? 具合が悪いのか?」
「いや……すまない、大丈夫だ。それよりイズサミとセツマを止めないと」
「馬鹿、こんな身体じゃ無理だよ。なあ……アメツネに本当に何もされてないよな?」

 何もされていないと言っただろうと青白い顔で言い、腕の中から無理に這い出そうとしたので、クラトはたまらずカヤナの身体をぎゅうと抱きしめた。クラト?という困ったような呼びかけが聞こえたが、応えなかった。
 細い。いくら剣を握り魔術を扱う武人だとしても、やはり彼女の身体は男である自分よりもずっと華奢で、力を入れれば折れてしまいそうだった。その事実が少し悲しく、そしてとても愛おしかった。

「カヤナ……お願いだ」

 この行為を否定されることがこわくて、彼女の姿をできるだけ見なくて済むように、目を閉じた。

「もう悲しむな。苦しむな。おれはもう、お前が泣いたりつらそうにしているところを見たくないんだ」

 言葉に、カヤナが口を噤む気配がある。身動きせず、暴れて逃げ出さないことに、クラトは少し安心した。

「独りで抱え込もうとするな。独りで行こうとするな。お前だけじゃどうにもできないときだってあるだろう。苦しんで傷ついて、取り返しがつかなくなったらどうするんだ」
「……私はもう死んでいる。傷つくなんて」
「心は」

 咄嗟に声を上げる。

「心は死んだって傷つくんだ! お前だけじゃない、みんな心は傷つくんだ。おれだって……
 ……カヤナ」

 長い黒髪に指を絡ませ、頭を自分の胸に押しつけるようにして、クラトは強くカヤナを抱きしめた。苦しげな呻きが聞こえたが、かまわなかった。
 自分の腕の中に愛する女性がいるという事実がたまらなく嬉しくて、切なかった。どうやっても自分のものにはならない、世界で一番守りたい気高く儚い女性を、本当はこうやって、いつだって抱きしめていたい、近くにいたい、大好きだと伝えて、相手にもそう返してもらいたい、同じくらいの好きという気持ちを二人で共有したいのに。

「カヤナ、おれは」

 それは叶わない。

「お前のことが本当に好きなんだ」

 ならば、この想いはどこへ行くというのだろう。優しくて時に激しい、行き場を失ったこの愛おしいという想いは。

「お前が誰かのせいで傷つくのを見るのは、もう嫌なんだ」

 たとえ愛されなくとも、愛し続けてしまうのは、なぜなのだろう。