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 暗い天井が見える。アメツネが現れないものだろうかと念じてみたが、気配はなかった。暗い空間に灯る魔術の光がぼんやりと石造りの壁と床を照らし、沈黙した四人の陰影を作っている。そろそろこの場所から出たいものだが、これだけ高度で強力な魔術で構成されている空間となると、カヤナの力では打ち壊せそうになかった。

「セツマ。ここから出たいんだが」

 命令のつもりで言う。丁度同じことを考えていたのかセツマも同意した。

「私もそう思っていたんですけど……カヤナ様たちは一体何をしていたんですか? ここに来る前」

 問われ、ここに来てようやくクラトを生き返らせるという目的を思い出したカヤナは「そうだ!」と叫んだ。急な大声にイズサミがびっくりしている。

「復活の薬! 不死の薬じゃなくて復活の薬だというのなら都合がいいぞ、クラト」
「え、ええ? だから……おれは別に生き返りたいなんて思ってないし」
「馬鹿、せっかく薬の正体が分かったのに使わないやつがあるか! セツマ、復活の薬はどこにあるんだ?」

 意気揚々と訊く。しかし、セツマは首を傾けて「さあ」と関心の無さそうな声を出した。

「魔術師殿なら知っているのでは?」
「ちっ……面倒なやつだ。どうしてどいつもこいつも話をややこしくしようとする」
「死んだ人を生き返らせるっていうのもややこしいと話だと思うんだけど」

 ぼそぼそとイズサミが呟いているがカヤナは無視し、立ち上がった。腰の剣の柄に手を当て、神殿のどこでもない場所に向かって声を張り上げる。

「おい、アメツネ! 私たちは薬が欲しいんだ。試練とやらを与えろ!」

 魔術師の返事を待ってみたが、声が反響するだけで何の音沙汰もない。苛々して地団駄を踏むと、今度はセツマが立ち上がった。

「魔術師殿。穏便に事を済ませましょう。あなたのすべきこととやらに私たちも協力しますので、この罪なき青年のために薬をお譲りください」

 セツマが進んでカヤナに協力しているのは、クラトが復活してバルハラからいなくなればライバルが一人減るという魂胆があるからだろう。当人は蘇生を拒否することを諦めたのか、あるいは疲労したのか、げんなりとした様子でセツマを眺めているだけだった。
 その後、何度か呼びかけてみたが応答はなく、むなしく響き渡る己の声を聞きながら、さてどうしたものかと溜息などついていたとき、ふと奇妙な光を見たような気がしてカヤナは顔を上げた。それは皆も同じようで、身動きを止め、息を潜めて周囲を警戒している。

「――来ます」

 セツマの声がした刹那、全員その場から飛び退いた。すると間もなく強く白い光が天井近くに現れ、一直線に皆がいた椅子の付近、廊下の中心を貫いた。
 光の柱が石畳を貫通した直後、ドオンとのものすごい音を立てて床が崩れた。カヤナとイズサミはそれぞれ翼を出して宙に浮き、セツマは飛べないクラトを引っつかんで魔術で身体を浮遊させる。
 崩壊した床の下に見えたのは、何もない白い空間だった。

「アメツネ!」

 この妙な場所の持ち主はお前だろうと、額に血管を浮かせてカヤナが怒鳴る。すると、先ほどと同じ光の第二波が、カヤナとイズサミをめがけて襲ってきた。
 イズサミが瞬時にカヤナの前に飛び込み、両手をかざして防御壁を作る。くっというイズサミの呻き声が聞こえてきて、カヤナも急いで隣に並び、同じく防御の術を発動させた。

「ものすごい力だな……!」
「跳ね返せない! カヤナ、もう少し耐えて!」

 強力な魔術を扱えるイズサミが言うのだから、カヤナ一人では到底塞ぎきれない攻撃なのだ。光の柱は強い圧力となって二人を後方に押しやっていたが、急にふっと軽くなると、今度はセツマに向かってその光が反転した。

「セツマ!」

 カヤナの呼びかけと同時に、今度はセツマが防御壁を作る。光の攻撃を防ぐセツマのすぐ斜め後ろに控えているクラトも剣を抜いたものの、今回の戦闘は物理的なものではないので役には立たないだろう。カヤナは、セツマがクラトを見放しはしないかとハラハラしていたが、セツマにも余裕がないようで、踏ん張っている足がずるずると後方に下がっている。セツマ一人では防ぎきれない可能性にカヤナは焦り、飛び立って彼の元へ行こうした。そのとき強い力でイズサミに腕を掴まれて引っ張られ、直後、カヤナがいた場所に光の柱が下から上へとすさまじい勢いで走っていった。
 カヤナも攻撃対象になっている――自分がアメツネに守られているとは思っていないが、一体何を考えているのだと額から汗が流れた。

「攻撃はあるのに、アメツネの気配がない」

 自分たちを包んでいる白い空間を見回しながら、イズサミが焦燥の滲んだ声で言う。確かにその通りだった。魔術師の影も形もないのに攻撃だけがあり、彼の殺気さえ感じられないのだ。これでは、どこを攻撃して良いのか判断がつかないし、どの方向から来るかも分からない攻撃をずっと防御し続けるしかない。カヤナは苛々して再び叫んだ。

「アメツネ、いい加減に攻撃をやめろっ! 私たちを滅ぼして、お前に一体なんの意味がある!」
「やれやれ」

 急に背後から口を塞がれた。
 悲鳴を上げる間もなくカヤナは後ろに現れた男に持ち上げられ、ふわりと宙に舞い上がった。

「カヤナ!!!」

 イズサミの絶叫がこだまし、続いてセツマの声が聞こえた。

「カヤナ様! アメツネ、貴様ァ!!」
「平穏無事なバルハラの秩序を乱すのは好ましくないな」

 嗤っている声が耳元で聞こえる。カヤナは懸命に男の手を引き剥がそうとするが、かなり強い力で押さえ込まれていて、肌に爪が食い込んでもアメツネは解放しようとしなかった。
 クラトもこちらを見上げ、カヤナの名を懸命に叫んでいる。下方にいる男たち三人の姿を面白がるように、アメツネは続けた。

「不死の薬を手に入れたところで意味などないさ。死者は死者らしく大人しくしているがよい」
「アメツネ! カヤナを放せ!!」

 クラトがいつにない怒号を上げる。

「おれは不死の薬なんてどうでもいいんだっ。おれが邪魔なら、おれの魂など消してしまえばいい。カヤナとイズサミの邪魔をするな、お前だって男なら分かるだろう!? セツマの魂だって消せばいいんだ、いい加減、カヤナとイズサミを自由にしてやれよ!!」
「なっ、なんで私まで消されなければならないんです?」

 あなたには関係ないでしょうと口を尖らせるセツマを、クラトが空気を読めといった呆れた様子で見ている。こういう時でも自分の立ち位置はしっかり守りたい男だ。口を塞がれながらカヤナもまた半眼で従者を睨んでしまった。
 アメツネはふふっと楽しそうな笑い声を上げ、

「バルハラにある薬が欲しいのだろう? ならば試練を受けるがよい。もっとも、この力の差では、そなたたちの魂が消し飛ぶ方が早いがな」

 などと馬鹿にした口調で言うので、カヤナの頭の中で何かがぶちんと音を立てて切れた。火事場の馬鹿力で腕の中から這い出し、振り向きざま腰の剣を抜いて、アメツネの首もとに突きつける。
 冷たい目で魔術師を見据える。視線の先の男は余裕の表情を浮かべながらカヤナを見つめ返した。

「私を殺すか? 切っても焼いても死なぬ身体を」

 長い前髪の合間から覗く男の瞳は、暗い光を宿している。

「散々試したのだ、死ぬために。首を吊ったり身体を傷つけたりして。だが、どうしても私は死ねぬ。傷も瞬く間に完治し、残るのは痛みでも後遺症でもなく深い絶望だけ。殺せるものなら殺してみろ。もっとも、死者は生者を殺すことなどかなわぬがな」
「アメツネ」

 どこか虚ろな面持ちでいる男を眺め、剣を首もとにあてがったまま、カヤナは悲痛な眼差しを向けた。

「お前が私を愛するのは自由だ。好きにするがいい、愛するのも、憎むのも、悲しむのも、なんだって好きにするがいい。お前の心はお前だけのものだ。
 だが、愛を利用して周囲を傷つけようとするな」

 アメツネの表情からふっと笑みが消える。余裕がなくなるというよりは、冷めている表情だ。きっと今まで何度も自分にそう言い聞かせて、葛藤し、己との戦いに疲弊してきたのだろう。
 こんなにも美しい容姿で、慈悲深い心を持った男が、悲しい運命の中にあることをカヤナは気の毒に思った。

「なあ、アメツネ。お前は、たぶんここにいる他の誰よりも優しく、まっとうで、正常な心を持っている。私には分かるよ、狂いたくても狂えないと深く嘆いている、お前の心が。お前が犯した罪ゆえの罪悪感はあまりに大きく、私は理解したくてもできないが、それでも分かるんだ、傷ついて忘れたくて、自分なんて壊れてしまえばいいと願ってしまうことが。自分自身を責め続けなければならないことのつらさが。お前が醜い老人の姿になったのは、お前自身が己を許すことができなかったからなんだろう。
 ――でも、今」

 カヤナは、剣を持つ右手とは反対の左手で、アメツネの白い頬を撫でた。彼の表情は無のまま変わらないが、少し動揺したのが空気で感じ取れる。
 彼は、本当は。

「お前が老人の姿に戻ることはない。そうだろう? なあ、アメツネ、心のどこかで、お前は、お前自身を赦そうとしているのではないか? お前の中で、何かが変化しようとしているのではないか? それが良い兆候だというのならば、私はお前が救われるために協力をしてやりたいのだ。お前にはとても世話になったし、助けられてきたからな。今度は私がお前を助ける番だ」

 アメツネは“力を持つ者”を他人のために演じているだけなのだ。
 それはアメツネの、彼が殺してしまった者たちへの長い長い贖罪だったのかもしれない。カヤナだけではなく、彼はその有り余る力をもって、多くの人々の運命を見守りながら助けてきたのだろう。下手すれば世界すら手に入れられる強大な力なのに、常世から隔離された場所に身を隠し、最低限必要なときだけに己の能力を利用してきたことが、まさしく彼の生来の謙虚さや正しさを表しているではないか。
 その力を真に使いたい目的が、アメツネにはあるはず。力の行き先を誤ってはいけない。たとえ、それが愛のためであっても。

「アメツネ」

 彼は、うつむいていた。長い前髪のせいで、彼の表情は見えない。
 不意に背後に気配を感じ、振り返る。翼で舞い上がったイズサミが、カヤナのすぐ斜め後ろに立って、アメツネを険しい目つきで見つめていた。カヤナの片腕を離さないのは、まだ魔術師のことを警戒しているためだろう。

「アメツネ、君さ」

 それは少し苛立っているような口調だった。

「なんとなくなんだけど、不死の薬を使って何かしようとしているよね」

 アメツネは顔を伏せたまま答えなかったが、イズサミはかまわず続けた。

「君は、バルハラにある不死の薬の存在を昔から知っていて、セツマにそれを利用される未来を分かっていながら、不死の薬を処分しなかった。人の命を左右する危険な薬を放置しておくなんて、ちょっと変な感じがするんだ」

 上手く言えないんだけど、とイズサミは言葉を探しているらしかった。カヤナも、イズサミの言いたいところはなんとなく分かっているが、あえて口出しはしない。

「つまり……だから君は、何かのために薬を必要としているんじゃないかって思うんだ。君が殺してしまった人たちのためか、あるいは別の目的のためか、それが何なのかは君をよく知らないボクには分からないんだけど」

 続いて、セツマが勢いよくカヤナの近くまで飛んできた。すると下方から「置き去りかよ!」というクラトの文句が聞こえ、ちっと舌打ちするとセツマは一度降り、今度はクラトをぶら下げて戻ってきた。つっけんどんだが意外に親切な男だ。
 気を取り直したセツマは、いつもの笑みを浮かべて話し始めた。

「イズサミ様の言いたいことは分かります。
 アメツネ殿、私には、あなたが不可解に思えてならないのです。カヤナ様を守ろうとすれば攻撃し、私たちを殺せるほどの力があるのに、殺さずにいつも姿を消す。意図が読めないというよりは、あなた自身、何をしたいのかを分かっていないように思えます。薬があなたにとって何の意味を持つのかは、イズサミ様と同様に私には把握しかねますが、生きている者が死者に接触することは、本来あってはならないこと。このように我々に執着するのはなぜなのです?」
「……なんとなく分かった」

 セツマの隣に浮いているクラトが呟いたので、アメツネ以外は彼を見た。クラトは注目されたことに戸惑ったのか三人の顔をそれぞれ一瞥し、アメツネに視線を向けると、半ば確信を持った様子で、

「アメツネ。あんた、死のうとしてるだろ」

 言った。