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 途端、カヤナの前にいるイズサミに殺気が宿った。

「なんだって……?」

 イズサミの、剣の柄を握る手が震えているのを目にして、カヤナは蒼白になった。クラトも危険を察知したらしく、カヤナの腕を後方に引っぱって下がらせてくる。しかしカヤナはそれを振り払ってイズサミの背中に手を伸ばした。

「駄目だイズサミ、あいつに手を出すな」
「愛してるって……?」

 声音に憎悪がこもっている。カヤナの位置からイズサミの表情は見えなかったが、ものすごい魔力が彼の全身から溢れ出ているのが分かり、このままでは争いになりかねないと彼の右腕を引っぱった。だが、イズサミはこちらを振り向かない。

「なあ、イズサミ、落ち着け。あいつと戦っても無駄なんだ。あいつには人の魂を左右できる力があるんだぞ」
「愛しているのに、どうして傷つけるの……?」

 かちゃりと剣の金属音をさせ、イズサミは再びアメツネに向かって剣をかざした。アメツネも戦闘態勢に入ったのか、ふわりと宙に浮き、少し上から三人の姿を見下ろす。

「どうしてカヤナにまとわりつくの? 君の願いは叶ったんでしょう?」

 声と共にイズサミの周囲に風が起こり、濃い青色の髪がぶわりと舞い上がった。近くにいたカヤナも強い風に煽られ、たまらずイズサミの腕を放してしまう。するとすかさずクラトに腕を引っ張られ、その反動で二、三歩下がった。またイズサミに触れようとしたが、距離が開いてしまって手が届かない。

「……イズサミ!」
「どうしてボクたちの邪魔をするの? ようやくカヤナと一緒になれたのに……君は、カヤナの何なの?」
「私には」

 急にバチバチと音がして、アメツネの周りに強い光を放つ電流のようなものが走った。建物内部が、紫色を帯びた光で不規則に照らされる。イズサミの風も起きているせいで、壁にある蝋燭が消え始めた。

「私には、唯一見ることのできない未来がある。それは、バルハラにいる死者の未来だ」
「死者には未来などないぞ、アメツネ!」

 咄嗟にカヤナが叫ぶが、二人の体勢は変わらなかった。怒りと憎しみをまとう風と激しい電流が対峙している。もし、イズサミが魂ごと消されたら――そう思うとカヤナの心は恐怖で満ちた。アメツネが本気を出せば、その程度のことなど容易いはずだ。
 愛は人を狂わせる。そればかりだ。イズサミも、セツマも、アメツネも皆、カヤナを愛したことで、なぜこんなにも歪んでしまうのだろう。たった女一人のことで歯車が噛み合わなくなるやり切れなさで胸が詰まり、カヤナは二人の姿を見ていられなくなって目を閉じた。イズサミと愛し合うことさえできればそれでいいのに、イズサミもそれを望んでくれたのに、どうして二人を二人のままにしてくれないのだろう。
 死者には未来などないのだ。死ぬことのできないアメツネと同じで、ただ一点の上の存在に過ぎない。

「アメツネ――お前は」

 うっすらと瞼を開くと、イズサミの風がアメツネを襲う光景が視界に飛び込んできた。目の前で展開される戦いに緊張や恐怖というよりも落胆を覚えて、カヤナは呟く。

「私が死しても、幸せになることを許してはくれないのか?」

 この風では、声など届かないだろう。風を避けたアメツネの放つすさまじい電流が、大蛇のようにイズサミを襲った。イズサミの姿が、あまりの光量のせいで見えなくなる。カヤナがイズサミを守るために走ろうとするが、腕を放そうとしないクラトに止められてしまった。
 ああ、アメツネよ。
 イズサミではなく私を消してくれ。
 愛する男に手を伸ばしたが、届かなかった。

「イズサミ――」

 目が眩んで何も見えなくなる。もはやカヤナからは気力が失われ、諦めと絶望感が全身を包んでいた。背後でクラトもまたイズサミの名を叫んでいるのが聞こえる。
 このまま全てが消え去ってしまうのだろうか。

「――!」

 そのとき、何を言ったのかは分からないが、イズサミが声を上げた。それは痛みや苦しみから発する声ではなく、驚嘆だった。刹那、まるで何かに吸いこまれるように光が消え、周囲が暗闇に包まれた。光のせいで目の奥がズキズキと痛み、しばらく何も見えなかったが、イズサミがぼんやりと光っている――いや、イズサミではなく、その隣にいる人物が光を発していた。見覚えのある、背の高い短髪の男。

「……セツマ?」

 カヤナは驚いて彼の名を呼んだ。背を向けたセツマはアメツネに向かって右手を伸ばしており、左手に光の玉を持っていた。イズサミも、背後にいるクラトも無傷で済んでいるのは、彼がアメツネの攻撃を防いだためだろう。

「あなたも人のことは言えませんね」

 余裕のある笑みを浮かべ、右手を下ろしながら、セツマはアメツネに言った。かろうじて光に照らされている魔術師は、攻撃を無駄にした男を憎悪の目で見ている。

「私もまた愛する人を傷つけた愚かな男――かもしれません。だが、私はカヤナ様と共に同じ時代を生きた人間だ。全く無関係のあなたが我々の人生と死に関わり合う謂われは無い。お前はもう私たちの前から消えるべきです」
「……私には、すべきことがあるのだ」

 怒りをどうにか抑えている調子で、アメツネは低く呟いた。セツマの左隣に並んでいるイズサミが、再三、剣を向ける。

「君のすべきことにカヤナが関係しているの?」
「もし、カヤナがそれを望むならな」

 意味不明な言葉で返され、カヤナは前に歩み出た。大丈夫か、というクラトの慌てる声が聞こえたが、それには無言で頷くことで返事をする。

「私が望む? 私には、お前に対し望んでいることなど何も無いぞ」

 するとアメツネはよく分からない微笑を浮かべ、恒例のようにふっと姿を消した。






「セツマ。お前、今までどこにいたんだ」

 神殿内部の、並んでいる木製の長椅子の上で、両手を腹の上で組み、カヤナは寝そべっていた。セツマの魔術によって内部はある程度照らされていたが、高い天井には光が届かないためほとんど見えず、頭上には暗闇が広がっている。
 セツマはカヤナの一つ後ろの椅子に座っており、イズサミは横になるカヤナの隣に腰掛けている。クラトは興味深そうに神殿内を歩き回っていて、時おりカツンカツンと彼の靴の音が響き渡った。

「さあ……あの男に、見知らぬ場所に飛ばされていましたからね。時には白い空間、時には何も見えない闇の中に」
「よく出られたな」
「力業で空間を破るんですよ。所詮は魔術ですから」

 一体いつお前はそんな強力な魔術を手に入れたのだと呆れて問う。セツマはいけしゃあしゃあと「努力の賜物です」と答えた。二人の会話を聞いていたイズサミはいうと、それはすごいねと感情の読めない声で反応していた。セツマと接触した時、イズサミがどうなってしまうかカヤナは心配だったが、先ほど助けられた恩があるためか、恋敵として噛みつくようなことはしなかった。

「この妙な神殿も魔術で作られています。大した男だ、こんなくだらないことに、普通の魔術師が一生かけても蓄えられない力など使わなくてもいいのに」
「ここは不死の薬を手に入れようとする輩を足止めするために作った試練の間、らしい……
 そうだ、セツマ。お前が不死の薬を手に入れようとしたとき、ここに来たはずだろ?」
「来ましたよ。約二千年前の話ですが」

 平然とセツマは言った。

「薬も簡単に手に入りました」
「簡単に手に入った?」

 おうむ返しに訊いたのは、神殿の中を見終わって三人の元にそろそろと戻ってきたクラトだった。セツマは彼を細い目で見て、いたずらっぽく笑んだまま頷いた。

「ええ」
「アメツネは、不死の薬が乱用されないように試練の間を作ったって言ってたんだけど」
「試練というのはよく分かりませんが、この空間に誘われて、薬を探していた時に声がしたのは覚えています。汝、禁忌の薬を求めるか、だったかな。よく覚えてませんが」
「ちょっと待て」

 カヤナはむくりと起きあがり、

「そもそもの疑問なんだが、どうしてお前は不死になっていたんだ? 私が復活することをお前は知っていたのか?」

 セツマを半ば睨めつけて訊くと、彼は再びなんということはない口調で答えた。

「ええ、まあ」
「ええ、まあ、ってなぜだ? なぜ、お前が私にかけられた魔術のことを知っている!?」
「カヤナ様が連れ去られた後、タカマハラは色々と大変だったんですよ」

 よいしょと立ち上がり、クラトの立つ神殿中央を通る廊下まで行くと、そこでセツマは暗い天井を見上げた。近くで浮かんでいる魔術の光が、彼の薄く笑んだ横顔をぼんやりと照らし出す。

「連れ去られたカヤナ様の行方を追うも、あの傷ではおそらく生きてはいまいと思った私は、カヤナ様を死んだことにし、別の飛翔の者、つまりカヤナ様の血族を王に奉り上げました。私はカヤナ様のいない国などに興味はなかったので、タカマハラは賢い者たちに任せ、カヤナ様を復活させるための方法を探し始めたのです」
「お前……自分で殺しておきながらよく言うよな」

 半眼でカヤナが咎めるが、セツマは聞いていないふりをして続けた。

「多くの文献をあたり、死者を復活させる方法に突き当たりました。それは、バルハラにあるという復活の薬でした」

 セツマの言葉に、三人は顔を見合わせた。