19





「ここは正当な試練の場なのだよ」

 淡々とした様子でアメツネは言った。カヤナは眉をひそめる。

「試練だと?」
「オルタの門が開くとき、バルハラには薬を求める生者たちがやってくる。だが、薬は世の理を破壊する危険な代物だ。そんなものを容易に入手されては困ると、私が予防線を張るために試練の間を作ったのさ」
「つ……作っただと?」

 こんな大きな建物をバルハラに?とクラトが問い返す。石畳の質感も音の反響の仕方も、現実にある建物と何ら変わりない。
 アメツネはうっすら笑み、高い位置にある天井を見上げた。

「薬を手に入れにくくすることが必要だと思ってな」
「そんなの、薬そのものを無くせばいいじゃない」

 イズサミがすかさず口を出す。同じことを言おうとしたカヤナも、斜め後ろで頷いた。

「そうだ。薬が危険な代物だと分かっているなら、お前はどうしてそれを処分しなかった? 今も不死の薬は存在してるんだろ? こんな試練の間とやらをわざわざ作らなくてもいいではないか」
「……」

 アメツネは珍しく無表情になり、言葉に詰まったように唇を閉じた。意味深長な彼の仕草に、カヤナが更に突っ込む。

「それとも、不死の薬に関しては干渉できないのか?」
「……まあ、そんなところだ」
「ふん……で? ここでは一体何をするんだ? 薬を手に入れるための試練があるんだろ」

 周囲を見る限り、化け物や兵器のようなものはない。静まり返った巨大な石の空間があるだけだ。一応カヤナも何かあった時のために剣の柄に手をかけていたが、もはや自分は死者であり、不死の薬が欲しいわけではない。目的は、クラトを生き返らせるための手段だ。

「そういえば、セツマはどうした?」

 お前と戦っていたはずだろうとカヤナが問うと、アメツネは気を取り直したように再びうっすらと笑みを浮かべ、

「さあ……どこかの空間にいるのではないのかな」

 平然と言ってのける。彼の態度に、さすがにカヤナも嫌悪の感情を抱き始めた。

「アメツネ、お前、死者に干渉するのやめろ。それがお前にとって、どれだけの罪になるか分からないはずがないだろう」

 凄みをつけて睨みつけるが、アメツネは依然、不敵に笑ったままだった。

「ほう。復活の魔術を私にかけさせたそなたが言うか」
「その時の私は、お前の過去なんぞ知らなかったからな。
 いいか、アメツネ、お前はまだ生きているんだ。バルハラに来てはならない存在なんだ。いくらお前自身が時間という概念を無くしたとしても、それはお前だけの話であって、他の者たちの時は正常に流れている。なぜ、お前は私たちに関わろうとする? 私がそんなに気になるか? 二千年前、とある国に生まれただけのただの女に、どうしてそれほどまでに執着する」

 二千年前のみならず復活した後にも、アメツネはカヤナに接触を試みた。カヤナのみならず、カヤナを取り巻く他の人物たちにも干渉していたことだろう。それは単なる傍観だったのだろうか? それとも――

「お前は、お前の都合の良いように歴史を動かしたいだけなんじゃないのか?」

 軽蔑を込めて吐き捨てると、アメツネは急に殺気を帯びた。暗い瞳をし、カヤナを睨めつけてくる。彼の不穏な空気を察したイズサミがカヤナの前で剣を抜き、切っ先をアメツネに向けた。剣を手にしたときカヤナはイズサミが狂戦士になるのではないかとどきりとしたが、特に黒い翼が生える様子もなく、いつもの彼の後ろ姿だった。おそらく狂戦士はカヤナとの最終決戦で最愛の人を刺し殺したことにより消えてしまったのだろう。今やカヤナはイズサミのものとなった。彼の久遠の願いは果たされたのだ。

「カヤナを傷つけようとするなら、ボクは容赦しないよ」

 イズサミもまた鋭い空気を纏い始める。暴力沙汰になるのではないかとカヤナは焦ったが、このまま戦いを避けていても埒があかないのかもしれない。しかしアメツネと争ったところで勝ち目がないのは目に見えている。
 隣のクラトに剣を抜くなと耳打ちしてから、カヤナは言った。

「アメツネ。私たちはお前と争いたいのではない。ただ関わりたくないだけだ」
「希望も、未来も、終わりすらない……」

 遮るようにアメツネが低い声を出した。それはカヤナが初めて聞くアメツネの絶望に満ちた声音だった。表情に影を落とし、カヤナたちというよりも何か別のものを恨む様子で床を睨んでいる。

「誰にも理解できない苦しみを永遠に抱え続ける。その恐ろしい苦痛から逃れたいと願うことだけが、私の生きる希望だった。死ねぬ身体がもたらすものが狂気であると、カヤナ、そなたも分からぬではないだろう」
「……」
「時を失うとは」

 彼は朧気な目つきをして暗く笑み、

「変えられぬ過去と未来を見るということだった。時の狭間を自由に行き来できるようになり、私は幾多もの運命の流れを垣間見た」

 床からゆっくりと視線を移し、彼は、冷たいというよりは虚無の瞳でカヤナを見つめた。

「私は、誰かの時を操作するために時間魔術を手に入れたわけではない。あの者たちを……私が殺してしまった者たちを救いたいがゆえに、この魔術を編み出したのだ」

 そうだろうなと、カヤナはアメツネを見つめ返しながら悲しい気持ちになった。自責の念に苛まれ続けることがどれだけの苦しみを伴うか、愛する人を殺したカヤナには痛いほど分かってしまう。しかもアメツネには死を奪われたせいで“永遠に”という言葉が付くのだ。死なない限り、人は、自分自身から逃れることはできない。

「あの時、私が魔術兵器を渡さなければ、兵器など作らなければ、ニライ王に接触しなければ、ニライに寄らなければ……。永遠に繰り返される後悔から、私はどうにかして逃れたいと思った。そもそも私自身が魔術など扱わなければ、私さえいなければと、自己否定までしていた。だが、もし過去の者たちを救える希望があるのならば、魔術まで否定してはならぬと思ったのだ。
 私は店で永い間、時間を司る方法を研究し、とうとう時間魔術を生み出した。遥か遠い過去へと赴き、ニライで魔術兵器を研究する私を見つけ、過去のアメツネ・リアダがニライを滅ぼすと私自身に伝えようとした。
 しかし、できなかった。時間の行き来ができても、時間に干渉することまでは不可能だった。私は再度、狂ったように研究し始めた。そして、今度は、過去や未来の中で、その時代の人々を時間の概念のない亜空間に引っ張り込む方法を見つけ出した。
 私は早速、過去の自分を店に呼び出すことを試みた。しかし、他の者たちを亜空間まで呼び寄せることができても、私を呼び出すことだけは、なぜかできない。ならばとニライ国の他の者たちと接触し、なんとかしてアメツネ・リアダをニライ国から追放しろと耳打ちした。
 私は何度も実験した。だが」
「結局、民は皆、死んだんだな」

 カヤナが言うと、アメツネは遠くの方を見やり、そうだ、と声ではなく唇を動かすことで返答した。

「気付いたのだ。私は、私が原因となって死んだものたちの運命を変えることができないということに」
「そうか……矛盾するんだな」

 苦々しげにカヤナは呟く。

「国を滅ぼしたアメツネが存在していることが、そのニライ国滅亡の結果だとすれば、ニライ国を救おうとしているアメツネが存在することなんてありえないわけだ」
「どうやらそうらしい。私は、私の関わる因果に干渉できないことを知った。過去の私は、歴史をどう操作してもニライ国を滅ぼした。私が存在すること自体がいけないのならばと、自分を生んだ両親の運命すら変えようとしたが、それもできなかった。必ず私は生まれ、生き、魔術を得てニライ国を滅ぼす。そう……過去を変えようとする未来の私が存在する限り、私自身を否定しても無駄なのだ。そして、その事実は、死ぬことのできぬ私に深い絶望をもたらした」
「気持ちは分かるよ」

 カヤナの隣にいるクラトが、気の毒そうな面持ちでアメツネに言う。

「でも、アメツネ、お前はどうして同じ過ちを繰り返すんだ? お前は一度、魔術兵器を生み出した罪を知ったのに、どうして今度は時間を操る魔術なんて作ってしまったんだ……」

 その言葉に、アメツネは悲しげに眉間に皺を寄せ、目を伏せた。それは狂気ではなく、正常さからくる悲嘆の表情だった。
 アメツネは決して狂ってしまってなどいない。彼は、イズサミやセツマよりもずっと強く誠実な精神を持っている。誰かを傷つけるよりは自分が傷ついた方がいいという考え方をせざるをえない男なのだ。それが仇となっているからこそ、何千年経った今でも、まともに自分を責めることができるのではないか。
 それは途方もない痛みであろうと、アメツネに心底同情した。カヤナも、どちらかというとアメツネ寄りの人間だった。どんなにつらくても苦しくても、正常な精神を捨てることができない。誰かのせいにすることができない。だが――

「お前は過ちを犯した。いくら強大な魔術の力を持っているとしても、歴史を改変しようなどと気を起こして実行してはいけなかった。
 アメツネ。お前は私に言っただろう? 人は過去によって道を作り出すのだと。過去を土台にして今を生きると。お前は、過去を改変しようとして失敗したところで終わらなければいけなかったんだ。それなのに、どうして私に復活の魔術などかけた? 私の願いなど一蹴すれば良かったのに。なぜお前は他人の人生に干渉しようとする」
「希望を」

 彼は、ひどく透きとおった無垢な青い瞳でカヤナを見た。それこそ狂気の入り混じった目だった。

「希望を見たかった」

 彼の一言に、三人は押し黙った。アメツネという男の運命を思えば、他人に己の希望の昇華を求めることが罪だとしても、容易にそれを否定してしまうことはできなかった。
 死ねたら、彼の苦しみはとうの昔に終わっていたのだろう。しかし彼は死を奪われたことで自分自身から逃れられなくなってしまった。それは永遠の責め苦を意味する。人は終わりがあるから目的に向かって生きていけるのに、目的のない生を宿されたことによって、アメツネの時は停止してしまった。だが、アメツネの心は生き続けている。過去と未来という線の上ではなく、ただ一つの点の上で。

「そなたの中に、私は希望を見たかった。あの悲惨な運命を上書きできる強さを、そなたに与えたかった」
「……ボクは感謝してるよ」

 不意に、イズサミが口を開く。剣の切っ先はいつの間に下ろされていた。

「だって、君のおかげでカヤナに逢えたんだもの。カヤナが復活して、ボクも復活したから、ボクはカヤナと死んで、バルハラで逢うことができた」
「そう。私の目的は達成された。そなたらが再び愛し合うことによって……」

 しかし、アメツネの口調は、願いが成就された時のそれではなかった。訝しく思い、カヤナは目を細めて問う。

「なら、どうして今もなお私たちに接触する?」

 すると、アメツネは無表情で、しかしはっきりと言った。

「そなたを愛したからだ」