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 あてがないよりはあった方がいい、たとえそのあてが推測であっても――とバルハラを歩き始めたカヤナとイズサミ、クラトの三人だったが、バルハラにあるという不死の薬がどこに存在しているのかも不明なのだから、あるかどうか分からない蘇生の薬を探すのはもっと厄介かもしれない。しかし、そもそも死者の国バルハラに不死の薬があるということ自体がおかしいのではないか。死者のために蘇生の薬があるというならまだしも。

「アメツネの仕業だったといったら、それはそれで納得できるな……」

 カヤナの呟きに、右斜め後ろからついてくるクラトが怪訝そうに応える(一歩おいて歩いているのは、カヤナの左隣にいるイズサミに遠慮があるためらしい)。

「そんな……アメツネは、バルハラすら左右できるっていうのか?」
「さあ。予測だから何とも言えんが、気が遠くなる時間を生きていて、しかも死者と生者の世界を行き来できるくらいなんだから、バルハラに店を構えるくらいなんてことはないんじゃないか」
「神さまにでもなったつもりなのかなあ」

 頭おかしいんじゃないのとイズサミが口を尖らせる。イズサミ自身も二千年の間に神格化した男だが、ろくなことがなかったせいで神という呼称に対して不信感を抱いているのだろう。カヤナにもそれは同情できた。

「神か。あながち間違いではないな」
「バルハラもアメツネが作ったとかさ」

 イズサミの案に、カヤナは苦笑いを浮かべる。

「いや、それは無いだろう……。死者の国を作れるとしても、そのようなことをする意味が分からん。もともと死者への罪悪感で満たされていた男なんだから」

 罪悪感?と二人が同時に問い返してきたため、カヤナは頷いて続けた。

「あいつは大昔に一国を滅ぼしたと言っていた。とんでもない人数の民を魔術兵器で一瞬で無にしたらしい」
「へえ、そうなんだ」
「そうなんだって……平然と言うけどな、イズサミ」

 一国を滅ぼしたんだぞとクラトが咎めるが、イズサミはひょうひょうと言ってのけた。

「だって、ボクたちにもそのくらいの力はあるし」
「そ、それはそうかもしれないけど」
「まあまあ……物騒なことを考えるなよイズサミ。で、大量殺戮の原因を作り出した自分自身を長年憎んでいたようだ。死者たちに対して後ろめたさがあるのに、死者を冒涜するようなことをあいつができるとは思えない」
「今、冒涜されてる気がしないでもないけど」

 口を尖らせてイズサミが毒づく。いちいちアメツネが干渉してくる現状を考慮してしまえば、彼の言いたいことは分からないでもない。
 たとえば鎮魂のためにアメツネがバルハラを作ったとすれば、それはそれで納得いくが、虹色の風景が続くだけのいささか中途半端な死者の国ではある。死者の行く末を操作すること自体が冒涜する行為だと分からない男ではないはずだ。過去の話を聞く限り、最強の魔術師といっても、あくまで善人寄りの人間だったのだから。

「まあ、なんだ……とにかく、死者を脅かすようなことができるほどの男ではないさ。事情が気の毒だし。ただ、不死の薬云々に関しては、あいつが関与していてもおかしくはないな。そのくらいの薬は作り出せそうな男だ」
「でも、アメツネが死者の安らぎを求めるなら、わざわざバルハラに薬を置かなくたっていいんじゃないか?」

 そんなことをしては生者と死者が混在するせいでバルハラが乱されるだろうというクラトの言い分だった。確かに、生者の求める不死の薬が、永劫の安らぎの象徴であるバルハラにあるのは合点がいかない。生者がバルハラで騒ぎを起こす可能性もあるのだ。それでは、アメツネが懺悔し続けている死者たちの安らぎの場所ではなくなってしまう。

「それもそうだ……なら、もともとここにあるものなのかもな。どんな薬だかは知れないが、物騒だから見つけたら処分しよう。そんなものがあるせいでセツマがあんなことになっていたんだから」
「あんなことって?」

 イズサミに速攻で聞き返され、カヤナはしまったと思う。イズサミは、セツマに関してほとんどの情報を知らない。カヤナとの確執のせいで従者が不死になっていたという一連の出来事を話すのは骨が折れるし、そもそもセツマの話題はイズサミにとって相当な毒である。
 カヤナが口をぱくぱくさせていると、すかさず空気を読んでクラトが口を挟んだ。

「薬ってどこにあるんだろうな。そう簡単には見つけられないのかな」
「う、うん? そうだな、どこにあるんだろうな……」

 よくやったとクラトに振り向き目で合図する。クラトはうつむき加減で薄く苦笑するだけだった。
 セツマは、このバルハラで不死の薬を手に入れたことがある。一体どのようにして入手したのか聞いてみたいところだが、できれば今は彼に会いたくなかった。イズサミもいるし、接触するとおそろしく面倒なことになるのは必至だからだ。
 完全に自分は板挟み状態になっているなとうんざりしつつ、カヤナが、

「こう、アメツネの店のように、望めばスッと現れるという仕組みでもあればな……」

 などと適当に呟いたとき、急に足下から地が無くなった。ガラガラと透明な床が不規則に崩れ始めたのだ。

「カヤナ!」

 カヤナの少し離れたところにクラトがいて、虹色の空間を勢いよく落ちながらカヤナに必死に手を伸ばしている。身体をあおられながら慌てて掴むと、クラトは落下しながらも安心した表情になった。こんな危機的状況であっても、彼の顔を見たカヤナの心は切なく軋む。
 そういえばあいつはどうしたと思った矢先、頭上からイズサミの声がした。

「カヤナ、飛んで!」

 彼の叫びを耳にして、そうだ、そういえば自分は飛べるのだったと、言われたとおりにカヤナは背中から翼を出した。突風にぶつかった黒い羽がぶわりと舞う。大きな翼で羽ばたくが、クラトの重みがあるせいで落下が止まらない。カヤナと手を繋いだままのクラトが宙づりの体勢になってしまった。

「カヤナ! 手を放せ!」
「放すか阿呆!」

 これもきっとアメツネの仕業なんだぞとイライラして叫ぶ。すると、イズサミが勢いよく滑空してきて、クラトの手を掴んでいるのとは逆のカヤナの腕を持った。二人分の飛翔の力のおかげで、空中で落下が止まる。
 そのうち、周囲の風景が虹色の空から石造りの神殿らしき場所に変わった。先ほどイズサミといた場所とさほど変わらない、天井が高く、長い廊下と、教会にありそうな長椅子が並んでいる整然とした建物だった。内部はかなり暗く、壁に無数に立てられている小さな蝋燭の明かりが屋内を照らしている程度で、どこか不気味な雰囲気がある。
 神殿の祭壇前の床に降り立つと、カヤナは翼を仕舞い、その場に疲れたように座り込んだ。

「なんだっていうんだ……一体」



 脱力感にうなだれ、顔を覆う。すぐそばに立っているイズサミも翼を収納し、ぐるりと内部を見回して興味深そうに言った。

「これもアメツネって奴の仕業みたいだよ。力を感じるもの。全部魔術で作られているみたい」
「全部が? とんでもないやつだな……」

 しゃがみ込み、確かめているのか石畳の床を手のひらで撫でつつ、クラトも同じく呆れ果てた様子で呟いた。
 これでは、どこにいたとしても全てがアメツネの思うつぼだ。支配されている己のざまが腹立たしく、カヤナは拳で床をガンと殴った。

「ええい、何の茶番だこれはっ」
「――茶番ではないさ」

 突然、背後から声がした。三人が振り返ると、長椅子の並んでいる広間の真ん中の通路に男が佇んでいる。案の定、それはローブを身に纏った、あの高潔な魔術師だった。カヤナの頭に瞬時に血が上る。

「アメツネっ、この性悪め!」
「こいつがアメツネ?」

 殺気を纏い、イズサミがカヤナをかばうように前に回り込んだ。クラトも剣の鞘に手をかけ、カヤナの斜め前に歩み出る。カヤナは焦った。これではアメツネと一戦交えようとしているふうにしか見えない。自分だけなら良いが、イズサミとクラトがアメツネに絡むのはまずい。イズサミが力を発揮すれば、この神殿もろとも吹っ飛ばされるだろうし、クラトの方は確実にアメツネに力の点で劣っているため太刀打ちできないだろう。
 カヤナが会わせたくないと願うと接触しようとしてくる。カヤナの心理が分からない男でもないだろうに、彼は一体何を考えているのか。