09





「バルハラにいれば、いつか色んな人に会えるのかな?」

 イズサミ捜しに付き合い、カヤナの隣を歩いているクラトが不意にそんなことを言った。彼はバルハラに来てからアメツネとカヤナ以外の死者に会っていないため、その疑問が出てくるのも当然だった。
 バルハラの透明な床を踏みつつ、カヤナは答える。

「会えるさ。生きとし生けるものは皆死んでバルハラに来るんだ」
「なら、カヤナは復活前の死んでいる間、イズサミにここで逢えたんだろう?」

 死者の世界なんだから、とクラトが問う。彼の意見に、そういえばとカヤナは怪訝な顔をした。

「いや……あいつは別の空間にいたと言っていた。バルハラと同じく時の流れの無い不思議な場所に」
「行ったことがあるのか?」
「イズサミに連れられてな。お前が隊長に刺された時だよ、覚えてるだろ?」

 かつてカヤナがアキの身体に宿っていた頃、弟と対峙しなければならないことで動揺していたクラトが、オウバの喝を入れられていた際、丁度カヤナはイズサミに誘われた奇妙な空間にいた。そこからクラトとオウバが剣を交える状況が垣間見えたのだ。

「あの時は焦った」
「わ、悪かったな」

 前髪をくしゃりと握り、恥ずかしそうに視線を狼狽させる。クラトはいちいち反応が純真で可愛らしい。アメツネやセツマは余裕がありすぎるし、イズサミは謙虚さが無いので、クラトのこういった反応はカヤナには新鮮だった。
 どうしてこんないい男が自分のことを好きになったんだろうなあと心の中で残念に思いつつ、カヤナは続けた。

「イズサミは、その奇妙な空間で時機を待っていたのだという……ふむ。あいつもあいつなりに計画し行動していた節があるから、私には詳しいことは分からんのだが、何かしらの条件で死者がバルハラに来ないということもあり得るらしいな」
「そう、なんだ……。でも、何にせよ、ここで待っていれば仲間や友人にもいつかは会えるんだろ?」
「だろうな。だが、その時はどんな姿で来るか分からんぞ。お前はいつまでもうら若き容姿なのに、後から来た奴はよぼよぼに年老いているかもしれん」
「ああ……そっか。じゃあ、死ぬなら若い内かな?」

 馬鹿なことを言うなよと、カヤナは苦笑してクラトの腕をこつんと拳で突いた。クラトはいたずらっぽく笑い、くすぐったそうに小さく肩をすくめる。

「ごめん。やっぱり、長生きして悪いことはないもんな」
「ああ。お前も、もっと生きるべきだったよ。誰か良い娘を見つけた時に、私が縁結びの神さまにでもなる可能性だって無きにしろあらずだしな」
「それって複雑なんだけど……」

 溜息混じりで呟くクラトを見上げ、カヤナはくすくすと笑った。





 しばらく歩いていると、何者かの気配を感じてカヤナは立ち止まった。
 漂う空気が殺気を帯びている。この感じはおそらくあの男に違いない。
 カヤナに合わせて同じく歩みを止めたクラトも気配を感じ取ったようで、眉をひそめて周囲を見渡した。

「……誰かいるな」

 慎重な呟きに、カヤナは頷く。

「ああ。まったく、死者に成り果ててもこれだけの殺気を抱けるというのは才能だな」

 いつもの癖で剣を抜こうとしたが、もはやこのバルハラで剣を交えることは何の意味も為さないだろう。殺傷という力を失えば、剣などただの金属である。さっさと処分してしまうのがいいのかもしれないが、やはり剣士として自分の愛用の剣を失うのは恐ろしいという気持ちもあった。
 一方のクラトは左に鞘を固定してある剣の柄に手を置いて、カヤナの前を庇うようにして立っていた。

「セツマって奴か?」
「おそらく。アメツネだったら余計にたちが悪いが。あいつは生者だし、何をしでかすか」

 カヤナが言い終わる前に、周囲に強い旋風が巻き起こった。服や髪がバサバサと四方八方にはためき、思わずカヤナは呻き声を上げて目を閉じた。カヤナ!というクラトの声が聞こえ、肩を包まれる。自分は彼にとって守られるに値する存在ではないのだがと思いつつも、自分のことを必死に庇おうとする彼の心を考えると、下手に抵抗はできなかった。
 しばらくして風が弱くなる。前方に重たいものが落ちる音がした。何だろうと目を開け、カヤナは驚愕した。そういえば、今巻き起こった風の感じには覚えがある。この風は――

「……セツマ!」

 音がした所に、濃い短髪に見覚えがある男がうつ伏せに倒れていた。ゾッとして走り寄ろうとすると、クラトが腕を引いてカヤナを止めた。

「カヤナ! あいつは!?」
「セツマだよ! 私の従者だ」

 腕を放させ、カヤナは倒れている男の前に駆け込み、その前にしゃがんだ。

「セツマ、セツマ!」

 外傷がないことを確認してから、ゆさゆさと身体を揺する。う、と短い呻きを上げ、セツマの眉間に皺が寄った。頬を手の甲でぺしんと叩くと細い目がうっすらと開かれた。

「……カヤナ、様?」
「セツマ! お前、どうしたんだ? 何があった」
「く……」

 起き上がろうとするが、腹が痛いらしく、両腕で抱え込むようにしてうずくまった。苦しそうな声を上げるセツマに、クラトも不安になったらしく側に寄ってくる。

「どうしたんだ?」
「……死者を苦しめられるのは……」

 身を起こすセツマを支えつつ、青ざめてカヤナは呟いた。

「生者しかいない……」
「生者? ……それって、まさか」
「そのまさかですよ……」

 クラトを遮り、どうにか立て膝を着いたセツマが弱々しい声を出した。外傷こそないものの、額からは汗が噴き出し、顔は苦痛に歪められている。らしくないセツマの姿に、カヤナはますます不安になった。

「アメツネ、といったか……あの男」
「馬鹿かお前っ! あいつは人間離れしているが、生者なんだぞっ。私たちと違い生きているんだ!」

 思わず声を張り上げて言う。セツマは、分かっていますよ、と不安定な呼吸をしながら地に尻を着き、疲れたように空を仰いだ。

「私が攻撃を仕掛けたのも悪かったのですが、あの男にも本気を出されたようでした」
「なんてことを……」

 どうしようもない落胆を覚え、カヤナはかぶりを振って俯いた。セツマも、アメツネがどれだけの術者なのか分かっているはずだ。セツマこそ二千年の間に得体の知れない力をその身に宿していたが、アメツネは時間をも包括している強力な魔術師である。一国を滅ぼすまでの能力を持っているし、他人にフトマのような特殊な力を与えることすらできる人間なのだ。世界で最強とうたわれても全く問題は無いだろう。

「くそっ……セツマ、大丈夫か、お前」
「ええ、なんとか、防御に徹しましたからね……」
「……生者は、死者を攻撃できるのか?」

 カヤナの背後から覗き込んでいたクラトが、不安そうな声で問うてくる。カヤナは振り返らないまま頷いた。

「ああ。私が復活したのも、それが目的だったからな。まあ、こいつが不死になっていたことで、それも意味が無かったのだが」
「……」

 口を閉じたセツマを睨みつけてから、カヤナはのろのろと立ち上がった。周囲には相変わらず同じ風景が続いているだけで、他の死者の気配は無いようだった。アメツネが近くに来ている――いや、おそらく自分たちを監視しているのは確実だろう――と思ったのだが、そもそもあいつには姿を現す勇気は無いはずだと肩を落とす。

「まったく、どいつもこいつも面倒くさいな! 私も含めてだが」

 地団駄を踏む。後ろにいたクラトが小さく苦笑した。

「そうかもしれないなあ……
 でも気になるな。強力な術者か……下手すると、ここにいる全員が襲われかねないんだろ? アメツネっていう男は何なんだ? 一体何をしたいんだ……」
「あいつも狂いつつあるのか」

 だんだんと判明していた、あまり意識したくない事実を口にして、カヤナは奥歯を噛み締めた。そう、恐れていたことが起こりつつあるのかもしれない。そもそも、アメツネが二千年前にカヤナ寄りに立った時点で問題があるのだ。助けてくれと言えば助けてくれたし、カヤナに関わる様々な者たちに運命を書き換えるような真似をした。強大な力を自分のために使う――それは、カヤナにとって恐ろしいことだった。セツマやイズサミが自分のせいで狂ったように、彼もまた自らの力を利用して周囲の者を傷つけ始めるのだとしたら。
 その時は、何が何でも自分が止めるしかない。できるかどうかは分からないが、カヤナという女の存在のせいで歯車が歪んでいくというのなら、自分など早々に消えた方がいいだろう。それは逃げかもしれない、彼らを苦しませて去ることに他ならないかもしれないが、そうでもしない限り永遠にこの状態は続く。アメツネが他の者たち、イズサミ、セツマ、クラトの他、カヤナに関わる者たちに干渉を始めてしまえば、バルハラに混乱を招くのは必至だ。

「……そこまで思慮のない男ではないと思いたいが」
「カヤナ様……あの男は、あなたの何なんです?」

 腹を押さえつつ、セツマも腰を上げる。立ち上がっても大丈夫なのかと一瞬セツマのことを心配したが、彼の顔に明らかな嫉妬の色を見て取ると、その気も失せた。

「お前な……もう絶対にアメツネには手を出すなよ。消されるぞ」
「私が滅ぼすべきはあの男だったということか」

 懲りない台詞がセツマの口から出てきて、カヤナは思わず彼の脚を蹴った。

「痛っ」
「いい加減にしろ! あいつは普通じゃないんだよ、お前が何をしようが絶対に勝てない。それに、そういう考え方をするな。私は嫌いだ」
「わ、分かってますよ……先ほどの攻撃で太刀打ちできないのは理解できましたからね」

 ああ痛い、と屈んで蹴られたふくらはぎを撫でている。愛嬌はあるんだが何故こいつはこんなに可愛くないのだろうと溜息をつき、カヤナはクラトに向き直った。

「クラトもだぞ。アメツネが現れても手を出すな、私が盾になる」
「た、盾になるって? そんなことさせられない」
「いいや、私が盾になる。あいつはおそらく私には手出ししない。半殺しくらいにはされるかもしれないが」
「……」

 クラトも、アメツネが敵に回ったらどれだけ厄介かということが徐々に分かってきたらしい。困惑したようにカヤナを見つめ、とんでもないな、と力無く呟いた。カヤナと同調して落胆できるのは、バルハラメンツの中ではクラトだけだ。
 セツマがカヤナとクラトが何をしていたかを訊くので、イズサミ捜しだと答えかけたが、すんでの所で留めた。セツマにイズサミのことを話すのはまずいだろう。この二人の接触は最も避けたい事項である。

「とりあえず、バルハラをあてもなく歩いていた。アメツネも消えたし」
「あの魔術師は部屋にいましたよ。優雅に茶を飲んでいたので、腹が立って思わず攻撃してしまいました」

 口調からすると全く反省していない。もう咎めることは諦め、クラトに向き直る。

「クラト。こいつにもできるだけ手を出すなよ。私よりも強力な剣技の使い手だ。殺生には何の意味もないが……なんていうか、面倒だ」
「はは」

 分かるよ、という同情の視線を送ってクラトが頷く。つくづく頭の回転が速く気も利く男なので、カヤナは嬉しいような悲しいような気分になった。