06





「私がどれだけイズサミを好きだったか知らないわけではないだろう。
 二年だ。二年も悩み、想い続け、私は苛まれ続けた」

 アメツネに連れて来られた、かつての懐かしい丘から街を見下ろし、カヤナは暗い声で呟いた。ここにはイズサミと共によく訪れ、二人で様々なことを語り合った思い出がある。記憶も朧げな幼い頃から、十五歳の彼から愛の告白を受ける頃まで。
 文化や街の様子は変わったが、丘の在り方は二千年後も変わりない。きっと大勢の人間が、この場所で街を見下ろし何かを語り合ってきたのだろう。その中には自分たちのような報われない恋人たちもいたのかもしれない。
 カヤナの心には何度も甦る。イズサミから告白を受けたとき、カヤナは冷静だったが、純粋に嬉しかった。今思えば愛が何かも知らない子どもである、その頃抱いていたものは真の愛ではなかったかもしれないが、それでもやはり彼に対する淡い恋慕と慈しみがあるのは確かだった。彼と一緒になれるのならば、それが一番良かったであろうし、自分もきっと幸福だった。家という隔たりさえなければ、そして出生の秘密が暴かれないままであったのならば、己の内に罪など感じず、イズサミといつまでも幸せな時を過ごしていけたのかもしれない。

「結果的に、私はイズサミを殺したがな」

 自虐的に、カヤナは吐き捨てた。やや斜め後ろに佇んでいるアメツネが身じろぐ気配があったが、言葉は無かった。

「セツマが私を殺したように」

 風で舞い上がり顔にかかる黒髪を掻き上げ、カヤナは弱々しく呟く。今発した自分の言葉に果てしない罪悪感を感じる。

「私も、愛しているからイズサミを殺したのかもしれない。殺したくなどなかったのに、心のどこかで、これで彼は楽になれるだろうと思ったのも事実だった。あいつに苦しい思いなどさせたくはなかった……」
「愛しているからか」

 アメツネの無感情な台詞に、カヤナは振り向かないまま頷いた。

「ああ。苦しむのは私だけで良いと思っていた。だが……彼を殺すことが、自分の苦しみを終わらせることであったのだとしたら、私はもうイズサミにどう謝っていいのか、彼に対してどうあるべきなのか分からない。愛し続けることが償いになるのならば、私は永久にイズサミを想う。
 しかし、イズサミがそれに気付かなければ意味がないのだ。私が愛しているということがあいつに分からない限り、あいつは今でも一人ぼっちのまま」

 アメツネに向き直ると、彼は何の感情もない表情でカヤナを見つめていた。彼の艶やかな茶髪もまた風に揺られ、長い前髪のせいで目元が鬱陶しそうだった。
 カヤナはしばらく沈黙していたが、目を伏せ、溜息と共にうなだれた。

「私もセツマと同じなのか……愛するからこそ傷つけ、悲しませる。私のように蘇り、復讐しようとしなかっただけ、イズサミはなんと強き者なのだろう……」
「カヤナ。
 そなたは一体どうしたいのだ」

 苛立ちの混じった声がして、カヤナは顔を上げた。アメツネの表情は先ほどと変わっていなかったが、空気がいつもよりピリピリとしている。自分のはっきりしない態度と迷いに対し、きっともどかしさを感じたのだろう。
 言い訳をしようと口を開いたが、言葉が見つからずに結局唇を閉じる。するとアメツネはすかさず言った。

「そなたの願いならば、どんなものでも叶えよう。対価もいらぬ。そなたが解放され心安らかになるのならば、それが一番良いと願っている私だ」
「違う……私は、私の願いは……お前に叶えてもらうものではないのだ。この私の心の迷いが全ての元凶。私が思い切ればいいだけのこと。イズサミを愛し、彼に愛され、彼が幸福な想いを抱いてくれれば、私は」
「それで、そなたの罪は消えるのか?」

 ぴしゃりとアメツネが遮った。カヤナは、え、と目を丸くする。目に映るアメツネの顔には怒りが混じっていた。それは初めてカヤナが見る彼の形相だった。いつもなら美しく感じられる、光るような青色の瞳がどこか陰りを帯びている。

「イズサミを愛せば、そなたの罪は消えるのか?
 そなたは私と同じだ。誰にも救えぬほどの重たい罪を背負っている。数が違うだけで、被害者の痛みは同じだ。ならば私の罪は、私の殺してしまった人たちを全員生き返らせれば消えるのか? あの時のことを無かったことにすれば、私は救われるのか?」
「……」
「一度為したことの罪は永久に消えない」

 凄みをつけて、アメツネは吐き捨てた。彼の言い草に宿るその感情が、怒りなのか自虐なのか悲しみなのか、カヤナには判断が付かなかった。ただ、彼の闇に覆われた心の一面を見ているような気がして、カヤナは口を噤んだ。今、言葉を発するべきではないだろう。
 アメツネは、半ばカヤナを睨むような目をして続けた。

「人は、罪の上に立つ。多くの痛みを背負い、過去を踏み台にして時を過ごさねばならぬ。いくら私に過去や未来を垣間見る力があるとて、存在する限り私には私の時の流れがある。その時間は延々と経過し続けている……それまでの過去を全て包括しながら。
 そなたは甘い。イズサミへの愛で全てを払拭しようとしている。だが、そなたが巻き込んだ者どもは今や膨大な数だ。見ろ」

 アメツネが指を鳴らすと、周囲に光が溢れた。そのあまりの眩さに目を閉じているうちに、光が徐々に収まり、周囲の様子が露わになる。街を見下ろす丘は消え、見慣れたバルハラの幻想的な空間になっていた。かつての思い出の場所から引き戻されたらしい。
 周囲を見回していたその時、自分の近くに見知った顔がいるのを知り、カヤナの心臓は止まりかけた。
 光と共に出現した人間は、同じくカヤナの姿を認め、驚愕しているようだった。美しい白い制服を身に纏う、金髪の若い男である。

「…………ク、ラ、ト」

 カヤナが震える声で名を呼ぶと、クラトはこぼれ落ちそうなほど目を見開いて、口元に手を当てた。

「……カヤナ」
「お前……どうして、ここに……
 ま、まさか、アメツネ」

 アメツネに視線を戻すと、同じくバルハラに移動していた彼は、無の表情で淡々と言った。

「私が呼んだのではない」
「……嘘だろ」

 カヤナの顔が、悲痛に歪む。再びクラトに視線をやって両手をわななかせる。

「お前……!」
「ここは……お前がいるってことは、もしかしてバルハラなのか?」

 辺りを見回しながら、クラトが呆然とした様子で呟く。カヤナは反射的にその場から足を踏み出し、気が付いた時にはクラトの前にいた。
 クラトが見下ろしてくると同時、カヤナは彼の制服を両手で掴み、堰が外れたように声を荒げた。

「お前っ、死んだのか!?」
「し、死んだって? わ、分からない。たださっき、刺されて……」
「刺された!? 誰に!」
「また戦争が起きたんだ」

 まさか!と蒼白になってカヤナが叫ぶと、クラトは慌てたように首を横に振った。

「ち、違う、ヤスナじゃない。別の国なんだ……内部紛争が起きている南の国で、タカマハラとも貿易の関係で友好状態にあった。今回は物資支援でその国に赴いたんだが、その時にテロに巻き込まれて」
「テロだと!? お前、王立警備隊の人間だろう! なぜわざわざ戦地に赴く!?」
「王立警備隊から一人派遣せよという王からのお達しがあったんだ。軍部がこの前のヤスナとの闘いで人手不足になっていて」

 それで派遣されたのがたまたま自分だったと説明するクラトの前で、カヤナは力を失って崩れ落ちた。クラトの制服を緩く掴んだまま、深くうなだれる。クラトもカヤナに引っ張られて同じくその場にしゃがみ込んだ。

「カ、カヤナ!?」
「……なんと愚かな……!」

 涙混じりに悲鳴を上げる。溢れてきた涙が、何色とも言えぬ不思議な彩色の床の上にこぼれ落ちるのを見つめ、カヤナはただ震えていた。クラトが背中を撫でてくるのがひどくつらくて、思わず身体をよじらせるとクラトはハッとしたように手を遠ざけた。

「ご、ごめん、カヤナ」
「結局、全ての発端は私ではないか……!」

 タカマハラがヤスナとの闘いで戦力を失ったのは、一部の戦の原因を作り出した自分自身にもある。罪悪感に苛まれ、カヤナは両手で頭を抱えて自身の髪を握り潰した。涙が次々に落ちていく。苦しみで胸が張り裂けそうになる。

「すまない、クラト……!」
「カヤナ? なんで謝るんだ……おい、大丈夫か?」
「――悲しみや憎悪は連鎖する」

 近くで低い声がして、カヤナは息を呑む。それは、見知った男の聞き慣れない冷たい声だった。声音のあまりの冷徹さに、彼がどれだけ永い時を重たい罪と共に過ごしてきたか分かるような気がして、カヤナはぞっとした。

「もちろん、そなたの願いを叶えた私にもまた罪がある」
「……あんたは誰だ?」

 カヤナの側から眉をひそめ、クラトが敵意混じりにアメツネを見上げる。アメツネが答える前に、カヤナは頭を上げて側に佇む男を睨みつけた。

「……もし私の心の安寧を願うならば、クラトを生き返らせることも可能だな?」
「私を利用するのか?」

 クッとアメツネは笑った。いつもの穏和な姿からは想像もつかない不気味な笑みだった。

「私はそなたの便利屋だな?」

 かつて聞いたことのある言葉も、今は冗談交じりには聞こえない。カヤナは押し黙った。
 カヤナとアメツネの間に流れる緊張感を感じ取ったのか、クラトがカヤナの両肩に手を置いて守るように引き寄せる。

「おれが死んだことにカヤナは関係ない」
「心臓に魔術剣を喰らったらしいな。ほとんど即死だったようだ」
「あんたは何者なんだっ」

 声を荒げ、クラトが言う。今にも飛びかかりそうな勢いに、カヤナは、待て、と腕を伸ばした。

「この男はアメツネという。最強の魔術師だ、絶対に手を出すな」
「ま、魔術師だって?」
「我々は死んでいるから彼に手を出しても意味などないんだがな……それよりもクラト。お前の死には私にも責任がある。どうにかしてお前を生き返らせる方法を探すよ」
「は!? ちょっ、ちょっと待て、生き返らせるって? 意味が分からない……それより、ここはバルハラなんだよな?」
「ああ……」
「ということは、カヤナも死んだんだよな? もともと死んでいたから、この言い方はちょっと変かもしれないけど」
「そうだ。私は二度死んだ」

 カヤナが立ち上がると、クラトものろのろと腰を上げた。それでもカヤナを魔術師から守るように立つので、アメツネに対するクラトの敵意は消えていないようだった。
 カヤナは頭を抱えた。生前――というのは可笑しいが、復活している間、クラトから愛を告白されたことがある。セツマやアメツネ、イズサミと同じように、彼もまた自分を好いていた人間なのだ。自分がバルハラにいる間、人々の生きる地上がどれだけの時を過ごしていたのかは知れないし、時間の経過と共にクラトの気持ちがどうなったのかも分からないが、少なくともイズサミとアメツネはクラトが自分を好いていたことを知っている。厄介なことになりそうだった。

「ああ……なんという……」
「大丈夫か、カヤナ」

 クラトに心配そうに覗き込まれ、カヤナは力無く笑った。

「……ああ」
「カヤナ……お前は、何も気にすることはないんだからな? おれは、おれの不注意で死んだんだから。
 それより、アメツネと言ったか?」

 アメツネのいた方を振り向いた直後、クラトが「あれっ」という困惑した声を出した。
 カヤナは、そちらを見ずともクラトの疑問の意味を悟っていた。どうせ、アメツネの姿は既に見えなくなっており、彼は自分の部屋に逃亡したのだ。