02





 どのくらい歩いたか分からないが、ひょんな所でセツマを見つけた。彼は地面に座り込み、ぼんやりと遠くを見つめ、考え事をしているようだった。
 広大なバルハラで運良く捜し人を見つけたカヤナは、その懐かしい後ろ姿に走り寄った。後ろからアメツネもついてくる。
 名を呼ぶと、セツマが振り返った。驚いて目を丸くし、慌てた様子で立ち上がる。

「カヤナ様……」
「この野郎っ」

 セツマの前まで走り込むと、カヤナは彼の頬を力一杯殴った。防御の姿勢を取らなかったセツマは、勢いよく後ろにひっくり返って地面に倒れ込む。
 頬を抑えてのろのろと起き上がる男を見下ろし、カヤナは仁王立ちになった。

「馬鹿者! お前は私の従者だろう、なのになぜ私や周りの者たちに迷惑をかけた!」
「……」
「お前が訳の分からん行動を取らなければ、こんなことにはならなかったというのに」

 ふん、と鼻息をついてセツマに手を差し伸べる。セツマはじっとカヤナを見上げていたが、カヤナの手には触れずに自分で立ち上がった。主のすぐ後ろに佇んでいる魔術師の男を一瞥してから、彼は悲しげに眉を下げた。

「ですが、私にはこの想いを止められないのです……」

 いじけている様子の従者に、カヤナは呆れて溜息をつく。

「あのなあ、セツマ。私はお前を愛さないと言ったはずだ。婚儀も契約にすぎん。なぜ分からんのだ。結婚はしたが、私はお前を好いてはいない」
「カヤナ……それくらいにしてあげなさい」

 慕っている夫に対して容赦ない言葉を放つ妻に、アメツネが同情して口を挟んだ。セツマは実に気に食わないといった様子で、自分よりも妻に近い位置にいる男をあからさまな態度で睨みつけた。

「ふん、貴様にそう言われる筋合いは無い。そもそも貴様があのとき我が妻を連れ去らなければ、私も不死になどならずに済んだのだ」

 殺気を漂わせるセツマを、今度はカヤナが睨めつける。

「いい加減にしろ、セツマ。私はお前のものではない」
「ですが私はあなただけのものです」
「それはお前が勝手に決めたことだ。なぜお前に愛されたからとて、おあいこにせねばならんのだ。お前が私のものであっても、私はお前のものではない。あの婚儀にも、私にとっては何の意味もないのだ」
「……カヤナ様は、私の愛を受け取ってくださらないのですか?」

 悔しげに拳を握りしめ、狂気じみた声を上げるセツマに、カヤナはやれやれとかぶりを振った。なぜこの男はこんなに面倒くさいのだと苛々しながらも、セツマにあまり過剰な仕打ちをすべきではないと考えつつ、セツマにそっと近づく。アメツネが後ろで動揺したようだが、大丈夫だと肩越しに手で合図する。

「愛を受け取って欲しいというのなら、受け取るさ。だが私は何も返さない。返せないからな」
「……」
「お前だってそうだろう、私以外の者に言い寄られたところで、その者に対してなんとも思わないはずだ。それと同じさ。私はお前に対し、恋愛としての愛は感じない」
「……悔しい……!」

 わなわなと拳を震わせ、セツマは叫んだ。

「なぜ私を愛して下さらないのです……! あんなにも長い時間、共に過ごしていたというのに!」
「いい加減にしろ! 時間と愛は比例しない。愛そうと思って愛せるものではないのだ」
「悔しい!!」

 セツマが前に出て飛びかかろうとするのが分かり、カヤナは瞬発的に身構えた。すると急に足元が軽くなる感じを覚え、不思議に思っているうちに、身体がふわんと宙に浮いた。驚いてアメツネを見やると、彼も宙に浮いて自分の側に凛然と控えていた。建物の二階分程度の高低差でセツマが下方に見える。彼は、魔術師が妻を遠ざけたことにいきり立っているようだった。

「貴様ぁ!」
「いい加減にしろ、従者よ。主に素直に仕えぬ者を従者とは言わぬ」
「カヤナ様は我が妻だ!」
「ええい、セツマ、しつこいぞっ」

 宙から見下ろしてセツマを叱るが、聞いていないようだった。殺気立って腰の剣を抜こうとしている。しかし、このバルハラには死の概念が無い。暴力は何の意味も為さない。
 気が立っている男を横目に、アメツネはカヤナの肩に触れると、彼の魔術店に瞬間移動した。いきなり賑やかな色の小瓶や魔術雑貨が並ぶ景色に変わり、足が地に着いたので、カヤナは目をぱちくりさせた。

「ここは……」
「少し、あの者の頭を冷やした方がいいだろう」

 嘆息混じりに言いつつ、アメツネはごちゃごちゃと物が置いてある店の椅子を引っ張り出して、そこに腰掛けた。呆然としていたカヤナも気を取り直し、適当な椅子を見つけて座る。

「やれやれ……すまんな、アメツネ」
「構わぬ……」

 組んだ足の膝に頬杖をつき、アメツネは大きく嘆息した。彼を目で追っていたカヤナは、普段より疲れている様子の彼を心配して声をかける。

「大丈夫か?」
「ん? ああ、いや……実際、魔術を使う機会は少ないからな。私も長年生きている身だ、身体にガタがきているのかもしれぬ」

 ふっと苦笑し、立ち上がると、テーブルの上にあった水差しからコップに水を注ぎ始める。飲むかと訊かれ、カヤナは頷いた。

「しかしアメツネ、お前、なぜ姿が元に戻らないんだ? ん? いや、元に戻ったままなんだ?」
「さあ……」

 首を傾げつつ、カヤナに水を入れたコップを手渡す。

「なぜだろうな。だが、何かがきっかけでまた戻るかもしれぬ。どんなに時間が経てども、私の罪は消えぬからな。醜い姿になろうがなるまいが、不死はそのままであろう。姿が変わった今もこうして生きているのだから」
「……そうだろうな……」

 確かにお前の罪は消えないな、とカヤナはコップに口を付けながら呟いた。確かに消えることなどないのだろう、彼が背負うはカヤナの想像を絶するほど重たい罪なのだから。一体どれだけの命を失わせたのか、その悲しみと苦痛がどれだけのものなのか、カヤナには分からない。分かりたいとも思わない。
 アメツネは再び先ほどの椅子に腰掛け、遠い目をしてちまちまと水を飲んでいる。

「……救われたいなどとは、もう思わぬ……昔は何度も悔いたが、悔いたところで無意味だと、もう嫌と言うほど思い知らされた」
「そうか」
「あの者も、私ほどではないが、二千年の間にそれなりの罪を背負っている。それでも今や死に絶えているのだから、良い方ではないか」
「そういう考え方なのか?」

 目をしばたたかせ、カヤナはアメツネを見た。

「死んでいるのも不死でいるのも変わらないだろう?」
「……」
「死に続けるのも、生き続けることも、どちらも残酷なことだ。そもそも私には不思議だがな、私は死んでいてお前は生きているのに、なぜ今このようにして話をしていられるのか。死者と生者など、ありえん接触だろう。つまり、私もお前も大して変わらぬ存在だということだ」
「……」
「死しても罪は拭われん」

 カヤナは立ち上がり、コップを持ったままアメツネに近づいた。椅子に座ってうつむいている男を見下ろし、最後の水を飲み干して、小さく溜息をつく。

「らしくないな。私と接触して“人間味”とやらを思い出したか? アメツネよ」
「そうかもしれぬ」

 アメツネは急に立ち上がると、カヤナの頬に片手を添えた。見つめてくる真摯な瞳に、カヤナは戸惑いと恐怖を覚えて固まる。彼の青い目に捕らわれたように身体がこわばっている。この者の瞳には魔術が宿っているのではないだろうかと、美しい青の視線を受け止めてぼんやりと思う。
 彼は苦しげな様子でわずかに眉間に皺を寄せると、そのまま頬から手を離し、薄く微笑した。

「死しても罪は拭われぬ、か……そなたの言う通りだ。私は、生きていても死んでいても、多くの人を殺めた罪人に過ぎない」
「……そうだな。お前がお前自身を許しても、殺された者たちはお前を憎んでいるかもしれないな」
「カヤナ。そなたはイズサミと幸せになるべきだ」

 カヤナから離れ、アメツネはまだ水の入っているコップをテーブルに置きに行くと、カヤナに背中を向けたままで呟いた。

「考えてみれば、私にはそなたを守る資格すらない。私とそなたは、接触すべきではないのだ」
「お前なあ……今更すぎるぞ」

 空になったコップを置くついでにアメツネに歩み寄り、彼の背中をさすさすと撫でてやる。

「ではこうしよう、アメツネ。お前はこれから、かつて私の愚かしい願いを叶えたという罪を償うために、私の側で私を守るのだ」

 アメツネは驚いたように振り返り、カヤナを見下ろした。

「何?」
「それがいいだろう。私もお前も叶わぬ愛を抱いている。前も言ったように、互いに愛する者は違うが、想いの形は変わらない。そして私は多くの人々を傷つけた罪を、バルハラで死に続けながら償わなければならん。私とお前は似ているのだ。似ている者同士が共にいた方が心強いだろうよ」

 怪訝そうに考え込んでいたが、アメツネはじきに呆れた様子でかぶりを振った。

「……よく意味が分からぬな。ならばセツマと共にいるのが妥当だと思うが?」
「セツマと一緒にいたら、私はうかうかとイズサミを愛せん。もうセツマの色恋沙汰に巻き込まれるのはごめんだ」
「当事者なんだがな、そなたは」

 苦笑いを浮かべ、分かった、とアメツネは降参のポーズを取る。

「良いだろう。安心してそなたがイズサミを愛せるように、私はそなたを守り続けるとしよう」
「よしよし、聞き分けのいい男だな」

 ふざけ半分に手を伸ばしてアメツネの髪をわしゃわしゃ撫でてやると、彼はじっとカヤナを見つめ、不意にカヤナの額に口づけをした。一瞬のでき事だったが、驚いてカヤナは後方に跳びはねる。その反動で、棚にある薬品の瓶がカシャカシャと揺れた。

「何をする!」

 額を押さえ、真っ赤になっているカヤナを、アメツネは面白がるように笑った。

「はは……聞き分けがよい、か。カヤナよ、そなたはもう少し人の心について学ぶべきだ。私とて、好きでそなたにイズサミを愛させているわけではないのだから」
「……」
「だが気にするな。私はセツマと違い、そなただけのために存在しているわけではない。他の者に望まれた時には、私はそなたの側から消える。その程度の関係でいるのが我々には丁度良いであろう」

 軽く頬を膨らませているカヤナを一瞥し、アメツネはふふんと笑うと、魔術でカヤナをバルハラへと送り届けた。彼女のいなくなった見慣れた自分の部屋で、アメツネはふうと息をつく。

「数千年という私の流れの中に、お前は波紋を作るのだろうか……?」

 呟き、部屋の奥にある寝室へと向かう。いくら不死と言えども、衣食住はするのだ。なんだか疲れてしまった、少し寝ようと力無い独り言を漏らし、アメツネはベッドの上に倒れ込んだ。