福原へは、京の南から行く。京の東西を流れる鴨川と桂川が南へと伸びており、それらが合流して淀に流れ込んでいる。望美たちは川に沿いながら進み、今は、川が合流してしばらく行った所にいた。
 あでやかな京に比べ、外の道路は整備されておらず、掘り返されたりして荒れている場所が多い。馬が通れない場所や崩れやすい場所など、危険を避けるために回り道しながら進んでいたせいで、そうこうしているうちに、すっかり夜になってしまった。

「思ったより時間がかかってしまいましたね」

 松明で火をかざしている忠太郎が、左手に流れる川に目を向けながら呟いた。今歩いている道は民家や村があるような場所ではなく、延々と土で固めた道が続く人気のない場所である。

「明日の日が出ているうちには、俺の家に着くとは思いますが」
「うーん……」
「どうしました?」

 馬に乗れるといっても乗り慣れているわけではない望美は、尻と腰と痛みで唸っていた。
 忠太郎は、荷袋からごそごそと弁当箱を取り出し、それを望美に差し出した。

「少し遅くなってしまいましたが、どうぞ」
「これは?」
「握り飯です。朝、作っておきました」

 松明を持っているので、腕の内側と片方の手を巧みに使い、忠太郎は弁当箱を開けた。中には、真っ白い俵形の握り飯が六つほど入っている。しかし、どれも少々量が多すぎるようだ。

「忠さんが作ったの?」
「はい」
「忠さんのおにぎりって大きいんだよね」

 くすくすと笑いながら馬から下りて、望美は、近くの柳の木の下に座った。忠太郎から弁当箱を受け取り、飯のひとつを手にする。

「塩?」
「あ、味噌が入ってます」

 その単語を聞いた望美は、にやっと笑みを浮かべて忠太郎を見上げた。

「前に言ったやつ?」
「はい。味噌に、潰した梅干しと刻みねぎを混ぜたものです」
「それそれ、美味しいんだよね」

 いただきますと元気な声を上げて、白い飯にかぶりつく。
 この時代の飯には強飯(こわいい)と姫飯(ひめいい)というものがあり、強飯は粘り気が無く、おこわのように堅い。姫飯は、望美が自分の世界で食べていた飯と同じものである。
 他にも、弁当にする飯には長期間保存できる乾飯(かれいい)というものがあったが、今回、忠太郎が作ってくれたのは、姫飯で作った白くて柔らかい握り飯だった。
 分厚い飯からやっと味噌にたどり着き、ご機嫌な望美を見て、忠太郎は吹き出した。

「すみません、ちょっと飯が多かったですか」
「いいよ。お味噌もいっぱい入ってるみたいで美味しいし。でも、全部は食べられないなあ」
「無理しなくていいですよ」
「忠さんは食べないの?」
「おれはいいです」
「なんで?」
「乾飯があるので」
「食べようよ」
「それは望美さんの分ですから」
「残すのもったいないよ。早く食べないと傷んじゃうでしょ。せっかく忠さん作ってくれたんだし。はい、座って座って」

 尻を動かし、忠太郎のための空間を作る。忠太郎は戸惑っていたが、見上げてくる望美の視線に負けて、「恐れながら」と言って松明を地面に刺し、望美の隣に座った。
 望美が差し出した握り飯を受け取り、忠太郎も口にし始める。

「自分が作った屯食を食べるって、複雑ですね」
「あはは」
「あ、そういえば望美さん、前の話の続きをしてくださいよ」
「前の話って?」
「望美さんの住んでいる世界のこと」

 忠太郎は、望美がこの世界に来てから会話した初めての人間だ。というのは、実は、忠太郎こそ、望美が清良の庭に突如現れた瞬間を見た人間なのである。
 何もない場所からいきなり人間が現れたという超現象を目撃したので、忠太郎は、別の世界から来たということを初めから素直に信じてくれた。望美がずっと後の時代から来たということも、彼はあっさりと受け入れてしまった。
 忠太郎は望美よりも一回りほど年上だが、好奇心が旺盛で、子どものようにキラキラした目をしながら望美の話を聞く。邸で暇をしていると、彼がそそくさと寄ってきて、望美の世界の話をしてくれと頼んでくることがあった。邸の中で、最も親しい大事な話し相手だった。
 ぱくぱくと飯を食べながら、忠太郎は、いつもの興味津々な様子で訊いた。

「望美さんって、八百年くらい後の時代から来たんですよね」
「うん。大体」
「八百年後って、京や摂津ってどう呼ばれているんですか?」
「えっと……京は、京都って呼ばれてるよ。摂津は、たぶん大阪かな」
「おお、さか……おおさか、かあ。
 俺たちのいる京って、いろんな国に囲まれていますけど、どのくらいの国が他にあるんです?」
「国? 私の世界では、全部まとまってひとつの国になってるかな。日本って言ってね、ちょうどこんな形」

 指で宙に日本の形を描く。

「大体だけど」
「へえ、不思議な形をしてるんですね。その周りは海ですか?」
「うん」
「宋はどの辺にあるんですか?」
「そう……? あ、中国ね。中国は、日本の西かな」
「もしかして、望美さんの世界って、海がどのくらい広いのか、海の向こう側にはどんな国があるのか、もう分かってるんですか?」
「うん、まあ、地図や地球儀を見て、なんとなくは」
「ちきゅうぎって?」

 望美は握り飯を口にしながら、考えた。
 教えていいのだろうか。

「まあ、その……海の向こうには、私も行ったことがないんだ。とんでもなく広いから」
「でも、どうやって行くんですか? 海の向こう側に」
「船や飛行機かなあ」
「ひこうきって?」

 質問攻めである。
 自分の世界に関することは誰と話してもこうなってしまうので、毎回説明するのが大変だった。が、それで済むならいい。
 まだ「平家はどうなるか」を聞かれたことはないから。