衝撃的な台詞を聞いた望美の時が止まる。

「……なんで?」

 様々な考えが頭の中を駆けめぐったが、やはり理由が分からず、首をかしげることしかできなかった。

「え、いないって……六波羅にいないって、どういう……」

 唇が震え始める。清良は、冷めた表情で望美を見つめて、平然と言った。

「先月の初め――三井寺攻めが終わってすぐに、平家一門は、みんな福原に移ったんだ。天皇と共にね」
「……聞いてないよ?」
「……」
「聞いてない」

 驚きや怒りが混じり合い、わけが分からなくなった望美は、とうとう声を張り上げた。

「なんで……!? みんなって、知盛や重衡さんたち、みんな? 待って、福原って……」
「福原は、京から西に行ったところの摂津にある。そこに清盛公の別荘があるんだ。彼のお気に入りの場所だとかなんとか」
「清盛さんがそうしたの?」
「だろうね」
「どうして!?」
「知らない」

 清良は、何食わぬ顔で、ひょいと肩をすくめた。

「都遷りなんて、平家も歴史に残るようなことをしでかしてくれるよ。前回の遷都は、確か桓武天皇の時以来。四百年近く前だ。
 桓武天皇は平家の先祖。せっかく祖が平安京を作り出したのに、一体なぜ位を上り詰めたからといって天皇でもない人間が遷都なんかできるんだろうね」
「……」
「京にいても反対勢力が押しかけてくるだけだから、危険な土地はさっさと捨てて、新天地に行こうとしたのかな。あるいは、福原は海に近いから、清盛公の好きな異国との交流を果たそうと……
 ……
 ま、平家の人間も散々反対したことには変わりないだろうね」
「ちょっと待って。どうして……どうして黙ってたの!?」

 目をつり上げて、望美は拳を握り締めた。前から知っていたのに、わざと教えなかった口ぶりだ。しばらく邸にこもっていたからといって、なぜそんな大事なことを言ってくれなかったのだろう。
 清良は、すっと目を細め、望美を睨みつけてきた。

「言ってたら、どうなっていたの? 教えてたら、望美はどうしたの? 一緒に行きたいって言って聞かなかったでしょ」
「それは……それは、そうだよ。だって、私は」
「平家の味方だから? 平家の側にいたい? だから福原まで一緒に行くの? もしそれが許可されたとしても、ろくに遷都の整備をしていない福原の一体どこに望美が住む場所があったっていうの? 誰かに世話を頼んだの? 知盛殿や重衡殿? まさか、そんなことはできないよね。
 ただでさえ、彼らは都から離れたことのない人ばかりだ。平氏一門は、そういう方針なんだか分からないけれど、一族ひとまとまりで行動する節がある。ここ何十年もの間、都は主上たちの権力争いに巻き込まれてぼろぼろの状態なところを再建中だったんだから、一族の誰もが止めたがったろうに、今をときめく清盛公には誰も逆らえなかったのさ。
 僕だって、御所の場所が変わるなんて聞いたときにはてんやわんやだったよ。でも邸や侍女たちを放っておくことなんてできないし、どうせ遷都なんか上手くいかないだろうと思って、この都に留まっているだけだ」
「……」
「それに」

 清良は、少しうつむき、

「望美には、行ってはいけない理由があったんだから」

 と、低い声で言った。憮然とした態度でいる清良の正面に向き合い、望美は、顔を覗き込んだ。

「何? 理由って、なんなの」

 苛立った望美の口調に憤慨したらしい清良の目が、刃物のように鋭く突きつけられた。いつもは静かで親しみのある声が、荒くなる。

「重衡殿に頼まれたんだよ。重衡殿が行幸の前にこの邸にいらしてね。望美には、福原遷都のことを言わずにいるか、望美が行きたいと言い出しても必ず止めてくれってね」

 望美は、愕然として目を見開いた。

「重衡さん?」
「戦で倒れた望美を連れて行くわけにはいかない、と理由を説明していたけれど。
 実際には、慌ただしい平家の中に望美がいると邪魔なんだよ。分かるでしょ? どうして知盛殿が望美を戦場に連れていったと思う? 異国から来た珍しい人間として、都でそこそこ有名になった君を珍しいもの好きの平家は面白がっていたけれど、結局、単純な興味しかなくて、剣術を教える知盛殿たちもだんだん望美のことが疎ましくなって、だからこそ戦に駆り出して、凄惨な現場を見せて自分たちから遠ざかってもらいたい魂胆があったんだよ」

 痛烈な言葉に、望美は怒りと悲しみを覚えてうつむいた。身体から血の気が引いていき、背中が冷たくなる。

「……」
「さっきも言ったとおり、平家には余裕があるわけじゃないんだ。身寄もなくどこの生まれかも分からない望美をどうしていいか分からないし、福原について来ても右往左往するだけだろうから、僕の所に残して世話をしてあげた方がいいと重衡殿が言ったんだ。輔子殿も、知盛殿も、皆同じ事を考えてるってさ」
「……邪魔……」

 喉から出た声は、情けないほど掠れていた。
 分かっている。戦に出て、戦いもせず、敵にやられそうになって、誰かに守られるばかりで、おまけに人間の生首を見て倒れたとなれば、邪魔と言われるのも当然だろう。武門の一族である彼らからすれば、安全な世界でのうのうと生きてきた望美は、いくら剣を習ったとしても所詮は赤の他人、高貴な血すら認められない役立たずなのだ。

 姫君
 もう、清良殿のもとにお戻りなさい

 重衡のこの言葉の意味は、「もう平家とは関わるな」ということだったのだ。

(なら、どうして私に剣を教えたの?)

 望美の中にも怒りはあった。こんな仕打ちをするのならば、平家は、なぜ好奇心だけで望美との関わりを受け入れたのだろうと。
 望美が清良のもとに召喚されて以来、初めこそ彼の邸で大人しくしていたが、元の世界に戻りたい気持ちが何より強く、家人と共に徐々に都に出て、帰るための手段を探すことにした。
 そのうち、望美の珍しい色の髪と異国から来たと偽っていた言動が都の噂となり、噂を人づてに聞いた"珍しいもの好き"の平家が望美に接触を図ってきたのだった。殿上人となっている平氏と身分差がある清良は、まさかとは思ったようだが、申し出を断れるわけもなく、望美は六波羅の平家に呼ばれ、まずは女房や舎人、好奇心旺盛な子どもの話し相手にと、知盛の子、知章と話をするようになった。その中で、召喚された際に近くに落ちていた白い剣の話をすると、武器に興味のある知盛と重衡がその剣を見たいといい、そこから一門と望美の繋がりが少しずつ増えていった。
 平氏一族も内裏に務める多忙な身、なかなか会うことはできなかったが、暇を持て余している望美の都合を知ってか、彼らも退屈なときに望美を召しては、世をつくる参考にと、珍しい畏国の話を聞きたがったのだった。この時代の作法など全く分からない望美に対し、平家のみならず都の人々は様々なことを親切に教えてくれた。望美もまた、大昔の京都と思わしき世界を見知っていくことは楽しく、帰る方法を探すことも忘れてしまうほどだった。
 望美は、この世界に落とされて、何をしていいのか分からず、しかし自分の近くに落ちていた白い剣は何か意味のあるべきものだと感じて、できるならば自分の世話をしてくれた清良と、その周りの人々と、自分を受け入れてくれた平家の人々を守りたいと思った。
 帰る手段がいつまても見つからないのならば、この場所で生き、せめてそばにあった剣を使えるようになって、一生懸命生きている人々を守ってあげたいと思った。


(守り、たいと……)

 平家は。
 平家は、死んでしまうのだ。
 望美の世界の平家物語は、平家が滅亡して終わってしまうのだ。
 望美の目の前で笑っている平家一門は、みんな死ぬのだ。

「……死なせない。
 死なせない……絶対に」

 さかのぼった歴史は、変えてはならない。
 だが、変えなければ、彼らは死ぬ。

「死なせたくない」

 致命的なのは、望美がそれほど詳しく平家のことを知らなかったことだった。その事実は、望美を落胆させる原因になった。向こうの世界できちんと歴史を理解していて頭に入っていたのなら、自分が先導して歴史を変えることもできただろうが、平家に特化して学んでいたわけではないし、そもそも平家物語に特別興味があったわけでもない。
 本当は、何も変えることはできず、自分がこちらの世界に呼ばれたことに理由などないのかもしれないが。

「一緒に戦うことはできる」

 唸るように言いながら、望美は、目の前の清良を睨むように見据えた。清良も同じような顔で見つめ返していたが、その瞳には少しばかり動揺の色が見て取れた。

「……ねえ、望美。どうしてそこまで平家に関わろうとするの? 途方もない権力を持つ一族に関われば、戦乱に巻き込まれるのは必至だ。
 死ぬんだよ? 戦っていうのは、死ぬところなんだよ?」
「分かってる」
「自分の知らない場所で、独り無惨に討ち死にするかもしれない。血の繋がりを持っていない人間がここにいる意味は、望美が死んだら、すぐに無くなっちゃうんだ」
「いいよ」

 望美の放った言葉に、迷いはなかった。

「じっとしていても答えなんて見つからないんだもの」

 望美の言葉に、清良は衝撃を受けたようだった。

「……望美」
「私、福原に行く。平家の人たちと一緒にいる」

 清良は非常にゆっくりとした動作で、顔をうつむかせた。

「そう……」

 短く言うと、清良は立ち上がった。さっと身を翻して望美に背を向けると、あまり抑揚のない調子で、

「僕は、この邸からは出られない。道を知る者に頼んで、望美を福原まで送ってもらおう……」

 消え入りそうに言い、邸の奥へと歩んでいった。

「あ……ありがとう!」

 望美が慌てて礼を言ったが、清良は振り返りもせず、返事もしなかった。