望美は、馬に乗っていた。
 馬が走るのは、林道である。舗装はされていないが、普段から通行人が踏み荒らしているせいか、きれいな道になっていた。周りには針葉樹が多く、空気が水滴を含んでいるせいで、青々としているはずの葉の色は、いくらか白ばんで見える。葉の間から覗く空は、遠くの方は晴れているのに、自分たちのいる場所だけ曇っていて、湿度が高く、外にいるだけで髪の毛が額に張りつく。
 望美は乗馬などしたことがなく、この世界に来たばかりのときは馬に触れることさえ初めてだったが、どうやら動物に好かれる体質らしく、馬と会ってすぐに仲良くなり、乗り始めて三日で大体の馬術は覚えられた。
 望美の乗る馬は、清良のものだ。名を都波(となみ)という、青毛の雄馬である。性格が穏やかで大人しいので、彼を戦闘に出すのは不安だと邸の者から言われたが、望美を乗せた都波は、力強い足取りで前に走る馬の後を追っていた。最初は、戦場に戯れる相当数の馬に足がすくんでいた彼だったが、周りの気迫に感化されたようで、なにやら吹っ切れたように土埃を上げながら硬い土を蹴っていた。その振動のせいで腰と尻が痛かったが、それよりも、都波がこんなに地面を蹴飛ばすと脚が折れるのではないかということの方が心配だった。
 望美の脚や胴には、昨晩、知盛から預かった脛当と胸当が装備されていた。防具というのだから重いのだろうと思っていたが、重衡から望美の体型を聞いた具足師の配慮があってか、剣を持ってなんとか走れるくらいの重量だった。長い髪は、知盛に言われたとおり、一つに束ねて着物の中に入れている。
 周りにいる全員が男だ。初め、望美は、戦場に出る人は皆が防具を装備するのかと思ったのだが、そうではないらしい。位の高い人間は立派な色とりどりの鎧を着ていたが、身分の低い男、または直接戦うことのできない男は、金属とめぼしき物さえ身に着けない。そういう者たちは、身分の高い人間の馬のそばにいて、手綱を手伝ったり、槍を持ったり、荷物を持ったりして控えている。望美が、「あの人たちは戦わないの?」と尋ねたところ、忠度が「人手が足りなくなったときや主が危機に瀕したときは武器を持って戦う」と教えてくれた。しかし、たとえ戦ったとしても、防具をつけていないので、大抵は殺されてしまうのだろうと望美は思った。
 望美の馬は、知盛と重衡の馬の後ろを走っていた。ふたりとも、赤色の立派な鎧を着ていた。肩手には弓が握られており、背中寄りにある腰の箙(えびら)に、矢が数本しまってある。
 弓について、望美はきちんと習ったことがなかった。清良が弓を得意としていたので、彼の弓を借りて試してはいたのだが、どうも自分には合わないらしい。弓には、手順が多いのだ。ただ矢を引いて放てば目標を射抜けるというわけではないらしい。弦を顔くらいまで引くことはできるのだが、本来ならば肩まで引かなければならないという。それが、なかなか難しい。練習しているうちに、全身筋肉痛になって、まともに訓練ができなかった。剣の稽古も加えていたので、尚更だった。
 この時代の武人は、太刀よりもまず弓の方が重要らしい。周りの騎兵は皆、弓矢を持っていた。

(ちゃんと練習すればよかったな)

 今更ながら後悔する。幼なじみの譲が弓道部だったが、望美は彼の部活動を遠目に見ていただけだった。やりたいとも思わなかった。





 陣を張った場所から宇治川までは、それほど遠くはないのに、望美には、馬に乗っている時間がとても長く感じられた。皆が無言で馬を走らせているので、その緊張が望美にも伝わってしまい、そわそわして落ち着かなかったのである。「勝つ戦である」と知盛が陣内で声を張り上げたが、やはり、実際の戦地の手前まで来ると、その顔色がだんだんと冴えないものになった。
 別の所から攻めるために途中で別れた行盛も、その様子が顕著だったが、昨夜に知盛から言われたことを強く意識しているらしく、兵にあれこれ指示をする姿は、望美が思っていたより、ずっと頼もしいものだった。
 しばらくして、先陣にいた騎兵が、馬を走らせて戻ってきた。

「御大将!」

 その叫び声と形相が必死であるのを見て、知盛は先に馬を走らせて、その騎兵の元へ向かった。周りの兵士が知盛に合わせて、馬の足取りをゆるめる。

「どうした」
「敵の軍勢は千程度、宇治川の平等院側にかまえておりました。しかし……」
「しかし?」
「宇治橋が破壊されています。先頭を行くおよそ二百騎が後ろの勢いに押され、宇治川に落ちました」
「……橋板を剥がしたな、頼政め」

 知盛は舌を鳴らすと、自分の後ろに続く兵たちに振り返り、大声を上げた。

「聞け! 宇治橋が敵によって破壊されている。相手は対岸、おそらく弓を使っての戦となろう。宇治川に着いたら甲を脱ぎ、敵より先に弓を引け!」

 おおおおお……という鬨の声が湧き起こる。地鳴りにも似たその音に、望美の鼓膜がびりびりと震えた。

(うそ、弓……?)

 弓を持っていない望美は顔面蒼白になる。だが、こちらの心境など、誰一人気にかけてはいないようだった。

「流された者はどうした。這い上がったか」
「それが、梅雨のため、川が水かさを増して氾濫しています。とても渡れたものでは」
「先にいるのは忠清殿だな。とりあえず俺たちも合流せねばならん。行くぞ!」

 知盛の言葉を合図に、馬が駆けた。数千を凌ぐ馬の足音は、ものすごい轟音だった。
 望美は、追い立てられるようにその後に続いた。

(恐いよ)

 まだ人の血も見ていないのに、泣きたくなった。