「知盛叔父上……あの」

 地面を見つめて口を閉じていた行盛が、ふと不安げに知盛を見た。知盛が視線をやると、彼は居たたまれなさそうな表情になり、小さな声で言った。

「あの、僕、今回の戦が初陣なのですが、皆、僕についてきてくれるでしょうか?」

 握られている拳が、わずかに震えている。

「戦を経験したことのない僕に武将が務まるのか不安で、もうここのところずっと緊張していて……」
「不安か」

 重衡を退けさせ、岩にあぐらをかいて(忠度がいるのに、と重衡が散々注意したのだが)座っていた知盛が、無表情で問い返す。

「は、はい」
「皆、不安なんですよ」

 兄の近くに佇んでいた重衡が、穏やかな笑みを絶やさないまま言った。

「我々は、死に行くのですから」
「……」
「武将である者が不安を抱いていれば、それに続く者たちも共に不安を感じて総崩れになるのです」
「はい……」
「決して、迷いがあってはならない」

 続けた知盛の声は低く、厳かで、黙って聞いている望美の身体にも震えが走った。知盛と重衡の目が、深い闇夜の中で鋭く光っている。

「迷いは、戦に出る前に潰せ。判断を迫られても、武将は決して戸惑いを見せるな。敵になめられるより味方になめられる方が数倍恐ろしいんだ」
「はい」
「どんなに惨い死を見ても臆するな。戦では、必ず人が死ぬ。知り合いの者が、明日になれば消えているかもしれん。ひたすら狂気が渦巻いている戦場で、戦う者が、特に指揮をする者が、その狂気に呑まれてはならない」
「はい」
「死ぬ勇気を持て」

 知盛の強い言葉が、望美の中に響き渡った。

(死ぬ勇気……)

 それは、一体どういう事なのだろう。

「大丈夫ですよ」

 重衡が、こわばる行盛の肩をぽんと叩いた。

「私たちも、こんな大々的な戦はまだ経験したことがないのです。私も兄も、行盛殿と似たような心境ですから」
「重衡……格好がつかんだろうが」
「充分に深い感銘を受けましたよ、兄上。それに、今回の戦には忠度殿がいらっしゃる。心強いことではないですか」

 自分に話が振られるとは思っていなかったらしい、忠度は、一瞬きょとんとして、

「いや、私は知盛殿や重衡殿のように、どしりとかまえることはできなんだ。かと言って、行盛殿のように慎重でもない」

 と、苦笑いを浮かべた。

「考え無しに突っ込んでいくこともありましたからなあ」
「忠度さんって、強いの?」

 望美の無邪気な問いかけに、重衡が「姫君……」と困った顔をした。

「お強いですよ。大将軍として反平家勢力をどれだけ抑え込んだことか」
「いや、若い方々には負けますよ。歳を取ると感覚が鈍っていかん」
「武芸にもすぐれ、歌にもすぐれ……我々も見習いたいものです」

 岩の上から降り立ち、知盛は夜空を仰いだ。あまり星は見えてはいないが、月が雲の合間からぼんやりと光を放つ様は、情緒的で美しい。雲は、天空を横断しているのではないかと思うほどすらりと長く延び、まるで解けた白い帯が空気の中をふわふわと漂っているようだ。澄み切った風が、頬をするりとくすぐる。風からは、少しばかり花の香りもした。
 知盛は、それらを残らず感じ取るかのように空を眺めていたが、頭を下げると、何も言わずに望美の近くに歩み寄った。望美が見上げると、知盛は、いつもの笑みをたたえながら言った。

「明日は、お前も連れて行く。ただ、気を失うなよ」
「もしかして、春日の姫君も初陣ですか?」

 半分不安そうな、嬉しそうな様子で、行盛が訊く。望美は振り返り、

「そうなの。行盛くんと同じ」
「知盛叔父上の剣術を習ったのなら、きっと大丈夫ですよ。叔父上の剣術に憧れぬ者はおりません」
「うん。頑張ろうね」
「はい」

 二人、にこりと微笑み合う。
 そんな望美と行盛を、知盛と重衡、そして忠度の三人は、薄く苦笑いをしながら何も言わずに眺めていた。





 先に重衡と忠度、行盛が知盛の邸の表門に出て、望美もその後に続こうとしたとき、知盛が望美を呼び止めた。

「来い」

 知盛は短く言って、邸の中に入っていった。望美がついて行くと、母屋の廂で待っていろと言われた。
 知盛は塗籠の中に入り、しばらく何かしていたようだが、そのうち一抱えほどの木の箱を持って中から出てくると、「お前にやる」と言って、ひとつの辺が腕の長さほどある木箱を差し出した。木箱は黒光りするもので、所々に桃色の桜の模様が描かれている。一見すると、裕福な人間が、大切なものを仕舞うために使う箱のようである。

「これは?」
「重衡からだ」
「重衡さん?」

 目を丸くしながら、望美は箱を受け取った。それほど重くはないが、軽くもない。

「開けていい?」
「ああ」

 空中で開けるのはやりづらいので、簀子の上に置いた。蓋の角を持ってそっと開けてみると、中には薄い紙に包んである薄桃色の着物と、曲げられた鉄板がふたつ、入っていた。着物を除けてみると、さらに長方形の胸当のようなものが出てくる。
 それらを眺めながら、望美は怪訝な顔をした。

「これは、何?」
「防具だよ」
「防具?」
「お前のために作った」

 知盛の言葉に、望美は顔を上げた。

「私のため?」
「そう、お前のためだ。女物の防具など、手に入れようとしても見つからんからな。重衡が知り合いの具足師に頼んだ」

 具足師とは、鎧や甲を作ったり、修理したりする職人のことである。

「そう……なんだ」
「重衡がお前の稽古を見に来ていただろう? あれは、お前にどんな防具がいいか考えていたんだよ。具足師も、女物の防具は作り慣れていないと言ってな。仕事の合間に試作したと言ったから、大きさが合っているかどうかは分からんが。
 本来は、戦場に女が出ては駄目なんだ。だが、お前の剣は、重衡の言ったとおり、その辺の武士より使えるところがある。だから、今回は、俺が許す。
 お前、その長い髪は、全て着物の中に納めておけよ」
「うん……」
「普段お前が着ている衣だと、戦場で走ることもできぬ。お前に合う甲冑も袍も無いから狩衣を身につけてもらおうと思ったが、それでは不用心すぎる。俺たちが鎧を着て、女のお前が狩衣を着るなんぞ無情すぎるだろう。
 ふたつで組みになっているもの。それは脛当だが、男の脛当よりはずっと軽い。しかも、膝上まで守ってくれるものだ。底に入っている胸当は、着物の上に着ける。よほど強い矢で無い限り、貫通することは難しい。
 明日は、これらを着用しろ」

 望美は胸の前で薄桃色の着物を抱き締めた。

「ありがとう……」
「礼は重衡に言え。俺は何もしていない」
「うん……」

 そのとき目に涙が浮かんでいたことに知盛が気付いたのかは、望美には分からなかった。