それから数日後の夜、望美は、知盛の邸に呼ばれた。
次の戦では、知盛が総大将を務めるらしい。部下に伝達を終えたあと、知盛の兄弟や親戚が集まる席が開かれ、望美もそこへの参加を許されたのである。
邸には、知盛と重衡のほか、望美の知らない顔があった。彼らは中庭で立って話していて、望美が遠慮がちに歩み寄ると、先に気づいた重衡が、にこやかに近づいてきた。
「春日の姫君、お久しぶりです」
「こんばんは」
「ほう、この方が」
立派な顎髭をたくわえた壮年の男が、望美を見て感心したような声を上げた。癖なのだろうか、眉間にしわを寄せているが、目が穏やかなので、それほどきつい感じはしない。
「いや、可愛らしいお方ですの」
「あ、あの、はじめまして。春日望美といいます」
「お話は伺っておりますよ。なにやら剣の使い手で、知盛殿に師事しているとか。しかし、意外ですな。こんな可憐なお嬢さんが勇ましく剣を振るうとは」
「こう見えても、知盛兄上に師事していたためか、そこらの武士よりは強いのですよ」
重衡が、言う。重衡も、しばしば知盛邸を訪れて望美が稽古をする場面を見ていたので、望美の努力は知っているようだ。本当に自分が武士よりは強いのかは、実戦経験のない望美にはよく分からなかったが。
望美も、単に素振りだけをしていたわけではない。知盛や知章、邸に仕える者たちと打ち合いをしたこともある。おぼつかなく、知盛(時には知章)に注意されていたが、その甲斐あってか、時たま手合わせに勝つことができたのだ。
(うれしい……)
重衡は、望美の稽古に口出しはしなかったが、褒めることもしなかった。中庭が見える場所に腰掛け、無言で稽古の様子を窺っている重衡が、自分のことをどう思っているのか気になっていた。どうやら重衡も、望美の剣の振りをきちんと見てくれていたらしい。
こみ上げる嬉しさに望美がむずむずしていると、顎髭の男が望美に歩み寄り、
「私は清盛の弟、平忠度です」
と、勇ましい手を差し出してくれた。望美がその手を取ると、強い力で握手してくれる。忠度の手は、何度も戦を経験しているような、ゴツゴツした武人のものだった。
「そして、こちらが……」
重衡が片手を差し出し、もう一人の人物に自己紹介を促す。少し離れた場所に控えめに立っていたのは、望美と同じ年くらいの若い男だった。髪は短く、さっぱりとしていて、その顔立ちには少しあどけなさが残る。
男は、おどおどしながら、ぺこりと小さく頭を下げた。
「僕は、平行盛といいます。亡き基盛の長男です」
「ゆきもり、さん。あの、望美です、よろしくお願いします。
えっと、基盛さんって……」
望美の問いに、隣に立っていた知盛は、呆れ顔になった。
「前に説明したと思うが。俺と重衡の兄だ。基盛兄上は、行盛が幼い頃、事故で亡くなった。その後、行盛の面倒を見ていたのは、今は亡き重盛兄上でな。俺たちも顔を合わせてはいたんだ」
言いながら、行盛を見る。行盛は恐縮といった感じで小さくなっていた。
「忠度叔父上も行盛殿も、とても歌がお上手なんですよ」
目配せをしながら、重衡が笑う。言われたふたりは、「そんなことはない」とはにかみ、頬を赤くした。
それからしばらく雑談していた五人だったが、不意に会話が途切れ、しんとした沈黙が舞い降りた。全員の表情が硬いものになる。
厳粛な空気が漂う中、最初に沈黙を破ったのは、行盛の声だった。
「あの……高倉宮に反乱をそそのかしたのは、源頼政だと聞きました。しかし、頼政は、かつての乱で平家に味方した人間ですよね。なぜ高倉宮を利用してまで平家を攻撃したがるのでしょう」
「うむ……」
行盛の疑問に、忠度が渋い顔をする。
「頼政は天皇側の人間だからという一言では、どうやら片付けられぬらしい。頼政は、宗盛殿に恨みを持っていると聞いたことがある。自分の息子が宗盛殿に辱められたとか」
「確か、名馬の取り合いでしょう? 戦の因縁にするには、子どもじみていると思いますが」
観賞用の岩に腰を引っかけながら、重衡は続ける。
「頼政殿が以仁王に吹き込んだというよりも、むしろ以仁王が源氏に皇位奪還を懇願したといった方が現実味があります。彼は、血筋のせいで天皇候補から外された人間。昔から優秀だ優秀だと褒め称えられていれば、皇位を求むるのも自然なことでしょう。ですが、甥の言仁さまの即位で、彼の希望は完全に絶たれました」
「天皇になりたくて仕方なかったのに、自分を差し置いて甥っ子が天皇になったから悔しいってこと?」
「そうです。いつまで経っても皇位をもらえぬ以仁王の居たたまれなさは、半端ではなかったでしょうね」
「たかが私怨、されど私怨、か……」
黙って聞いていた知盛が、ほくそ笑みながら呟いた。重衡が振り向き、
「兄上。そのような事は口に出さぬようお慎み願います」
注意するが、知盛は聞いていないようだった。
「戦場なんぞ、私怨の固まりよ。時に、感化された人間までもがいざなわれる。その私怨に立ち向かわんとする俺も、人のことは言えんがな」
「知盛殿の言うとおり」
腕を組み、忠度が深く頷いた。
「戦なんぞ、これという理由をもってするものではありませぬ。大衆の中の鬱々とした淀みに侵されて、人は手に武器を取るのだ」
「ふふ……さすが叔父上。今の台詞を歌になされば、後世に残りますよ」
「兄上」
重衡が再度たしなめるが、やはり知盛は聞いていない。
「まあ、歌は戦が終わったあとに作るとしましょう。ところで、以仁王は三井寺を出て、南に向かったそうな。かくまうのは、おそらく平等院でしょう」
「うむ。三井寺の僧たちも、動ける者は以仁王について行って宇治川付近におるでしょうな。相手の頭数がいまいち把握できんが……」
「ふふ。裏を返せば、三井寺から宇治川まで移動できる程度の数ということだ。我々の数には到底満たないでしょう」
「平家の兵の数って、どのくらいなの?」
望美が尋ねると、会話に全く口出しできずに困っていた行盛が、口を開いた。
「二万八千余騎です」
「二万八千!?」
「戦の規模に比べれば多いかもしれませんね」
驚愕している望美に、重衡が涼やかな顔をして言う。
「かつて父上と重盛兄上が参戦した平治の乱では、平家は三千余騎でしたし」
「あ、相手も、そんなにたくさんいるの?」
「さあ。頼政殿がどの程度の数を揃えているのかは、会ってみなければ分かりませんし。ただ、頼政殿の息子たちが出ることは間違いないでしょう。名馬の取り合いが本当ならばね」
ばかばかしいと言いたげな口調で吐き捨て、重衡は肩をすくめた。
(総大将ってことは、今度の戦の責任者ってことだよね?
二万八千の命を、知盛は預かるんだ……)
剣の稽古に付き合ってくれていた知盛が、急に遠い人のように感じられた。
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