やはり、事は知盛と宗盛が予想した通りに進んだ。
 高倉天皇――諱(いみな。実名のこと)を憲仁という――は、自分の息子の言仁に譲位し、言仁は新たに安徳として天皇の位につくことになった。なぜ高倉天皇が譲位したのは、今の時点では定かではないとされている。

「清盛公の仕業さ。でも、清盛公も無計画に事を進めたわけではないよ。それなりの理由があったのさ」

 文机に頬杖をつきながら、清良が、意味深な笑みを浮かべて言った。望美は、清良の近くに座り、剣の手入れをしている。

「理由?」
「そう。理由があったから、有無を言わさず、事を進められたんだ。法皇が重盛殿の喪中に呑気に管弦の遊びをしていたとか、かつて法皇をお守りするため戦ったことがあるのに見返りがないとか、土地を取り上げられたとか、平家に逆らう者たちを安易に許したとか……色々ね。もともとは後白河法皇の方が力は強かったから、清盛公も天皇側に恨みを抱くところは多かったんじゃないかな」
「ふーん……」

 相づちを打ち、望美は、剣を鞘に仕舞った。もともと剣に鞘はついてなかったのだが、刃を剥き出しにしておくのは危険なうえ傷みやすくなるので、清良の知り合いに頼んで作ってもらったのだ。
 剣を棚に置くと、望美は畳に脚を伸ばして座った。こういった動作は、この時代の女性としては考えられないことらしい。望美の常識外れな行動も、清良は気にしていないようである。

「後白河法皇は、宗盛殿のおかげで、都の八条の御所に戻ることができたみたいだね」
「あ、そうそう、宗盛さん、清盛さんに何度も頼み込んだんだって。頑張ったよね」
「いや、まだまだ」

 清良は苦笑いを浮かべ、首をゆるく横に振った。

「重盛殿だったら、幽閉などさせず、もっと上手くやったはずだよ。宗盛殿は、政治にも軍事にも不向きな性格でいらっしゃるから、こうやってどんどん事が大きくなっているんだ」
「……清良ってさ」
「ん?」
「けっこうきついこと言うけど、平気なの?」
「何が?」

 いけしゃあしゃあと言う。
 清良は、端から見ると非常に人当たりが良くて親切な人物なのだが、人が言いにくいことを言ってくる、なかなか侮れない少年だった。
 望美が清良について知っていることは、それほど多くない。大きくはないが立派な邸を持っているので、一体どこに勤めているかを聞けば、「たみのつかさ」と言われた。詳しいことは教えてはくれなかったが、人の戸籍などを扱ったりする場所に出仕しているらしい。市役所みたいなものかと聞いたら、もちろん首をかしげられたが、説明を聞く限り、仕事内容は大体同じだという。
 清良も暇な人間ではないので、彼が仕事で不在の間は、望美はあちこち跳ね回っている。そのため、近所からは変わった女がいる邸だと思われているようだ。

「今、高倉宮が皇位奪還を企てているでしょ。源氏が絡んでいるらしいから、多分、ちょっとした戦が起きるね」
「たかくらのみやって?」
「高倉宮は、後白河法皇の子どもだ。以仁王ともいう。高倉の宮と呼ばれるのは、三条高倉に住んでいるからさ。彼は学問にすぐれていて有能だから、天皇になる資格は充分にあった」
「それを言仁くんに奪われちゃったんだ」
「そう。以仁王はもともと控えめな態度だったらしいけれど、源氏の者が彼をそそのかしたみたいでね。それを熊野の別当が漏れ聞いた。別当が、平家に以仁王の謀反を知らせてきたのさ」
「熊野のべっとう?」
「熊野の偉い人と思えばいいかな。名は湛増という。今は平家の味方だけれど、いまいちどっちつかずな態度らしくて……これからどうなるかは分からない。
 聞いた清盛公は、もちろん以仁王を潰しに出た。土佐に流すとか何とか言っていたようだ。今、以仁王は姿をくらましている。都にいたらどうなるか分かったものじゃないからね」
「最近、町が騒がしいのはそのせいなんだ……」

 清良は立ち上がった。白い直衣を揺らめかせながら望美の剣の前まで来て、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。望美がなんだろうと思って眺めていると、清良は棚から剣を取り、それを両手に載せた。

「望美」

 清良が名を呼ぶ。

「何?」
「人を斬れる?」

 清良は背中を向けているので、望美からは彼の表情が読み取れない。だが、いつもと空気が違うのが分かり、望美は押し黙った。

「……」
「僕でさえ人を斬ったことはないのに、望美は戦に出たいって言う。戦に出たいから、知盛殿に剣を習っている。知盛殿は、望美を武人とでも思っているのかな?
 望美は、どうして戦いたいの?」

 ことりと音を立て、剣が棚の元の位置に戻される。

「僕は、望美に戦ってほしくはないんだけど」
「……私は」
「望美は、僕らの世界より、よほど安全な場所から来たんでしょう。人の血を見たことはないよね。京ではね、捕らえられた罪人や反逆者が血まみれになりながら引き回されたりするし、首まで埋められた人間が晒し者になって、斬られた首や、人間とは思えないような亡骸が、そこらじゅうに運ばれてきたりする。戦うって言うことは、そういう人間を自分の手で作るってことなんだよ」
「……」
「望美に耐えられるのかな」

 うつむいていた望美は、ぐっと両手を握り締めた。

「私は、どうしてこの世界に来たのか分からないけれど、でも、意味もなくここに呼ばれたとは思えないの。気が付いたらここにいて、気が付いたら側には剣があって、帰る方法も分からない。何をすればいいかすら分からない……だから」
「自分で決める?」
「うん」

 顔を上げ、こくりと頷く。

「剣は戦うためにあるんだと思う。私に戦えって言っているんだと思う。私が降り立った場所は平家が守っている場所だったから、平家が守っている場所を私も守りたいんだ。知盛にも重衡さんにもお世話になっているし、平家の人たちは、私にたくさん良くしてくれたよ」
「……そう」

 溜息混じりに相づちを打った清良が振り返る。

「なら、望美の思うとおりにすればいい。平家も、使える戦力は使いたいと思うだろうから」

 望美は、彼の言い草に少し傷ついたが、臆することはしなかった。