葬儀を終えた夜は、月の綺麗な夜だった。
 望美は、知盛の邸に来ていた。知盛と知章の手合わせを見ていたときと同じ場所に、膝を抱えて座っていた。着ているのは喪服だった。こちらに背を向けて中庭に佇む知盛も、闇に解け入りそうな喪衣を身につけている。月明かりさえ吸収しながら裾が風にゆらゆらと揺れるのは、美しかったが、少し不気味でもあった。
 こちらの世界に来て葬式を見るのは、重盛の葬儀が初めてだった。重盛の葬儀には、大勢の人が来た。ほとんどが望美の知らない血族の者ばかりだったが、その中に、父親である清盛がいた。望美はそれまで清盛と顔を合わせたことがなく、今日も遠目に見ることしかできなかったが、大声を上げて泣いていた場面が望美の脳裏に焼きついた。清盛は、荘厳で、冷酷で、たとえ身内でも切り捨てていくような残忍な人間なのかと思っていたが、考えていたより、ずっと感情的な人だった。
 望美は、泣かなかった。あまりに荘厳な儀式だったので、重盛の死を悼むよりも、自分が粗相をしないかどうかの方が心配だった。今思えば、とても失礼なことだ。申し訳ないと思い、望美は沈んでいった。その様子に気づいた知盛が、今日は自分の邸に来いと言ってくれたのだった。
 望美が世話になっている場所は、知盛の邸ではない。この世界に落ちてきた望美を一番最初に拾ってくれた、安藤清良(きよら)という男の所である。清良の邸と知盛の邸は、牛車でないと行き来できない距離だった。
 望美は、膝を引き寄せて小さくなったまま、黙っていた。知盛もまた月を見上げて沈黙していたが、不意に、望美に歩み寄り、静かな声で告げた。

「これから、平家は混乱するだろう」

 予期せぬ言葉に、望美は顔を上げ、知盛を見つめた。月明かりに半分だけ照らされた知盛の顔には、少し悲しげな笑みが浮かべられていた。今まで見たことのない、優しささえ感じてしまう微笑だった。

「そうなの?」
「重盛兄上のお役目を次ぐのは、三男の宗盛兄上だ。次男の基盛兄上は、若い頃に亡くなられた」
「宗盛さんが……。でも、きっと大丈夫だよ」
「いや、無理だな」

 即座に言い、知盛は苦笑した。望美が「どうして?」と聞き返すと、知盛は再び月を見上げた。

「父上の横暴な振る舞いを止められるのは、重盛兄上だけだ。宗盛兄上は政に向いていない。戦嫌いで、宴の場で輝いていらっしゃる方だからな」
「でも、戦嫌いなら、余計な戦いをしなくて済むんじゃないの?」
「父上の命令は絶対なんだよ」

 知盛は力無く首を振り、

「父上はすでに出家されているが、もとは大政大臣従一位、官職の中の最高峰だ。唯一、重盛兄上だけが父上に逆らうことができた。嫡男という立場で、最も父上に近しかった」
「宗盛さんは、なんて言ってるの?」
「俺には宗盛兄上のお心は図りかねる。が、兄上の身内は喜んでいるだろう。もし父上が亡くなれば、次の平家頭領は宗盛兄上だ。しかし、兄上はそういう柄ではない。何事にも引け目を感じる質だし、重衡の方が、まだ素質がある」
「なら、知盛や重衡さんが代わりになるのはいけないの?」
「無理だ。宗盛兄上は、清盛公の正室の第一子。無視できるわけがないんだよ」

 言いながら、彼は嘆息した。

「宗盛兄上の弱みにつけ込む奴らも出てくるだろう。そうなれば、面倒だ。俺も重衡も下手に手出しすることはできぬ。それに、重盛兄上には、すでに二十歳を過ぎた嫡男がいる」
「清盛さんの孫ってことだよね。確か、惟盛さんだっけ」
「ああ。今は正四位下だが、より上り詰めるだろうな。それに、政権を争うのは何も平家の人間に限ってではない。重盛兄上は、源氏や藤原氏に対しても強力な存在だった。頭が良く、父上よりも策略家で、他勢力の者は、このふたりを恐れていたといっても過言ではない」

 知盛の言葉を聞いていた望美は、だんだんと寂しさを感じて、目を伏せた。

「なんか……みんな、権力が欲しいんだね」

 知盛は、月から目を離し、美しい瞳で望美を見下ろした。 葬儀を終えた夜は、月の綺麗な夜だった。
 望美は、知盛の邸に来ていた。知盛と知章の手合わせを見ていたときと同じ場所に、膝を抱えて座っていた。着ているのは喪服だった。こちらに背を向けて中庭に佇む知盛も、闇に解け入りそうな喪衣を身につけている。月明かりさえ吸収しながら裾が風にゆらゆらと揺れるのは、美しかったが、少し不気味でもあった。
 こちらの世界に来て葬式を見るのは、重盛の葬儀が初めてだった。重盛の葬儀には、大勢の人が来た。ほとんどが望美の知らない血族の者ばかりだったが、その中に、父親である清盛がいた。望美はそれまで清盛と顔を合わせたことがなく、今日も遠目に見ることしかできなかったが、大声を上げて泣いていた場面が望美の脳裏に焼きついた。清盛は、荘厳で、冷酷で、たとえ身内でも切り捨てていくような残忍な人間なのかと思っていたが、考えていたより、ずっと感情的な人だった。
 望美は、泣かなかった。あまりに荘厳な儀式だったので、重盛の死を悼むよりも、自分が粗相をしないかどうかの方が心配だった。今思えば、とても失礼なことだ。申し訳ないと思い、望美は沈んでいった。その様子に気づいた知盛が、今日は自分の邸に来いと言ってくれたのだった。
 望美が世話になっている場所は、知盛の邸ではない。この世界に落ちてきた望美を一番最初に拾ってくれた、安藤清良(きよら)という男の所である。清良の邸と知盛の邸は、牛車でないと行き来できない距離だった。
 望美は、膝を引き寄せて小さくなったまま、黙っていた。知盛もまた月を見上げて沈黙していたが、不意に、望美に歩み寄り、静かな声で告げた。

「これから、平家は混乱するだろう」

 予期せぬ言葉に、望美は顔を上げ、知盛を見つめた。月明かりに半分だけ照らされた知盛の顔には、少し悲しげな笑みが浮かべられていた。今まで見たことのない、優しささえ感じてしまう微笑だった。

「そうなの?」
「重盛兄上のお役目を次ぐのは、三男の宗盛兄上だ。次男の基盛兄上は、若い頃に亡くなられた」
「宗盛さんが……。でも、きっと大丈夫だよ」
「いや、無理だな」

 即座に言い、知盛は苦笑した。望美が「どうして?」と聞き返すと、知盛は再び月を見上げた。

「父上の横暴な振る舞いを止められるのは、重盛兄上だけだ。宗盛兄上は政に向いていない。戦嫌いで、宴の場で輝いていらっしゃる方だからな」
「でも、戦嫌いなら、余計な戦いをしなくて済むんじゃないの?」
「父上の命令は絶対なんだよ」

 知盛は力無く首を振り、

「父上はすでに出家されているが、もとは大政大臣従一位、官職の中の最高峰だ。唯一、重盛兄上だけが父上に逆らうことができた。嫡男という立場で、最も父上に近しかった」
「宗盛さんは、なんて言ってるの?」
「俺には宗盛兄上のお心は図りかねる。が、兄上の身内は喜んでいるだろう。もし父上が亡くなれば、次の平家頭領は宗盛兄上だ。しかし、兄上はそういう柄ではない。何事にも引け目を感じる質だし、重衡の方が、まだ素質がある」
「なら、知盛や重衡さんが代わりになるのはいけないの?」
「無理だ。宗盛兄上は、清盛公の正室の第一子。無視できるわけがないんだよ」

 言いながら、彼は嘆息した。

「宗盛兄上の弱みにつけ込む奴らも出てくるだろう。そうなれば、面倒だ。俺も重衡も下手に手出しすることはできぬ。それに、重盛兄上には、すでに二十歳を過ぎた嫡男がいる」
「清盛さんの孫ってことだよね。確か、惟盛さんだっけ」
「ああ。今は正四位下だが、より上り詰めるだろうな。それに、政権を争うのは何も平家の人間に限ってではない。重盛兄上は、源氏や藤原氏に対しても強力な存在だった。頭が良く、父上よりも策略家で、他勢力の者は、このふたりを恐れていたといっても過言ではない」

 知盛の言葉を聞いていた望美は、だんだんと寂しさを感じて、目を伏せた。

「なんか……みんな、権力が欲しいんだね」

 知盛は、月から目を離し、美しい瞳で望美を見下ろした。

「人間とは、そういうものだろう?」

 知盛の小さな呟きが、望美の心に響いて、離れ  知盛の小さな呟きが、望美の心に響いて、離れなかった。
 自分の喪服が風に揺れ、掠れた音を立てた。
 月光はどこまでも澄み渡り、ふたりを、ただ静かに照らしていた。