駅から十分程度歩いたところにあるビルの二階に、演奏会用などの衣装を取り扱っている店がある。火原自身も利用している界隈ではそこそこ有名な店で、劇団のステージ衣装などもあって店内がカラフルで賑やかなので、ただ見に来るだけでも楽しい場所だった。
 外階段を昇りながら、こんなところにお店があったんだ……と日野が呟いた。

「こんなことでもない限り、一生入らなそうな場所ですね」
「そうかもね、売ってるのは普段着じゃないし。ステージ衣装を使ってる人は、仕立て直しなんかにも来るんだよ」

 そこまで混雑するような店ではないので、駅前通りを歩くよりかは知り合いもいなさそうと踏んだが、ドアを開けた瞬間に知った顔が見えて、火原は度肝を抜かれた。淡い髪色で色白の、火原でさえ感心してしまうような美少年。

「しっ……志水くん?」

 どうしてここに?と続きそうな調子で言ってしまったが、音楽科の生徒と鉢合わせする可能性は大いにある。そばに置いたチェロのケースを手で支えながら、口をつぐむ火原の姿を眺めて志水は首をかしげた。

「はあ。火原先輩。こんにちは」

 チェロ奏者としては天才的な技術を持つということに加え、その天使のような相貌で界隈では有名な人物である。話したことはほとんどなかったが、コンクールに名を連ねていることもあって、ただの挨拶程度で済ませられない(と勝手に火原は思ってしまった)。
 後ろにいる日野をなぜか隠すように前に歩み出て、ひきつった笑みを浮かべた。

「き、奇遇だね。コンクール用の衣装を探しにきたの?」
「はい。以前持っていたもののサイズが合わなくなって……」

 仕立て直せるかと思って相談に来たらしいが、志水の体格が少し大きくなったことが原因なので短いものを長くすることはできないと断られ、今回新たに仕立てた衣装のサイズ調整のために訪れた、ということらしい。まさかコンクール参加者と日時が被るとは……と内心頭を抱えながら、そうなんだね、と取り繕ってみせた。

「おれは持ってるやつをそのまま使うよ。もう成長しないのかな、おれ」
「あの……」

 急に志水は少し身体を傾け、火原の後ろを覗き込むようにした。日野先輩……?と、志水にしては珍しく訝しげな声を出している。火原は焦ったが、隠す方が不自然だろう。日野もまた火原に隠されるのは変だと考えたのか、遠慮がちに歩み出てきて「こんにちは」と無難に挨拶をした。
 志水は火原と日野を交互に見て、口元に手を当てながら、うーん?とますます首を傾けた。

「……お付き合い、されてるんですか?」

 デートなのか?という志水らしいのか志水らしからぬのかストレートな質問に、火原は慌てた。

「ちっ、違うよ。今日は香……日野さんの衣装を探しに来てて。普段こういう衣装着ないからお店とか分からないじゃんか」
「え? 日野先輩って、もともと奏者なんですよね?」
「え? あっ、そ、そうなんだけど、このお店を知らないって言うから教えてあげようと思って。おれも用事があるからちょうどいいねってことで二人来て」

 しどろもどろである。たまたま駅前で会ったと言えばよかったと説明した直後に気付いて後悔した。

「まあ、偶然だよね、偶然」

 話を合わせてくれという願いを込め、日野を見て言う。日野は火原を一瞥し、また志水を見ると、そうですね、と頷いた。

「志水くんは……チェロの子、なんですね」

 珍しく(かどうかは不明だが)日野から話しかけている。志水は日野をじっと見たあと、ぺこりと頭を下げた。

「はい。志水です。コンクールでは、よろしくお願いします」
「うん。よろしくお願いします」

 そのとき奥で店員が志水を呼んだので、失礼しますと言って志水はケースを抱えて店内へと消えていった。
 志水の気配が近くからなくなったあと、火原は大げさなくらいの溜息をついた。

「あー、びっくりした。よりによって、コンクールの参加者がいるとは思わなかったな」
「そうですね」
「でも、まあ、うん。とりあえず、志水くんなら、大丈夫だと思う」

 何が大丈夫かどうか呟いた自分でも分からなかったが、志水はさておき早速ドレスを見てみようと、複数の陳列されているハンガーラックから、コンサート用の衣装の札が立っている方へと向かう。メンズとレディースとで分かれていて、今までメンズしか見たことのない火原は店内で少し迷ってしまった。
 たぶんこれじゃないですかと日野が指差した方に、色とりどりの女性用の衣装が並んでいるラックがあった。幸い、その周囲にひと気はない。二人でじっくり見られることにほっとする。

「わ、やっぱり女性の衣装ってのはカラフルでいいね」
「男性用は違うんですか?」
「うーん、男の人用のはやっぱり黒とか白とか、モノトーンの衣装が多いかな。刺繍が入っていたりはするけど」
「火原先輩はどんな衣装なんですか?」
「おれ? おれは、月森くんみたいな硬派な子に比べれば、ちょっと派手だよね。でも、おれにしては地味みたいな」

 火原の言葉に日野がくすくすと笑ってくれるのが嬉しかった。