「そうなんだ。まあ、ありがたい話だけどね……」

 日野を想う今、誰に想われようが、もはやありがたくもなんともないのだが、無難な返しをしておく。考えてみれば、日野の言う通り、火原のことを好きになってくれた人間が今までいたとしても、火原もまた同じように無関心な態度だったのだから、その人物の気持ちを慮れば、日野を責めることは決してできないのだ。
 それにしても彼女に意識してもらえるきっかけは何かないのだろうか……と沈黙の間に思考を巡らしていて、はたと気付く。

「そういえばさ、セレクション用の衣装って香穂ちゃん、持ってるの?」

 昨日の夜、コンクールについてすでに知っている母親が、衣装に虫食いなどないかと確認していたことを思い出したのだった。
 日野は「は?」と顔を上げて、火原を見た。

「衣装?」
「うん、衣装。ステージ用の」
「ステージ用の衣装?」

 怪訝そうに眉を寄せ、初耳といった様子である。火原は、さすがにリリからもそのあたりのフォローはあってもいいのに……と彼女の驚愕に同情しつつ、うっすら苦笑いを浮かべた。

「リリ、何も言ってないの? 音楽科の生徒なら、一、二着は用意しておくんだけど」
「ステージ用の衣装って……着なくちゃいけないんですか?」
「着なくちゃいけないわけじゃないと思うけど、音楽科の生徒は……うん、みんな着てるかな」
「制服は?」
「いや、制服でもいいと思うよ、全然……」

 返してから、いやでもそれはまずいかもしれない、と思い直す。コンクールの他の面子は皆、音楽科の生徒だ。当然、発表時の衣装は用意してくるはずである。その中で普通科の生徒が制服で現れたら、おそらく客席側もなめてかかるだろう。
 火原も形式へのこだわりは実際ないのだが、演奏はさておき、衣服なんぞで彼女の評価を下げられてはたまったものではない。そこで思いつく。

「ねえ、じゃあさ、おれと一緒に衣装を見に行こうよ」

 これは実に自然な流れであると、提案しながら火原はしてやったりと密かに笑みを混ぜた。日野はかなり嫌そうな顔をしてみせて、別に制服で出るからいいと投げやりに言ったが、それは火原のプライドが許さなかった。残っているコーラをぐいと飲み干し、カン、とベンチに音を立てて置く。

「とりあえず、着る着ないはどっちでもいいからさ、どんなのがあるだろうって見に行くだけでもいいでしょ?」
「そんな高そうな服を買うお金なんてないです。親にも頼めないし」

 確かに金の問題はあるし、火原も金銭的に余裕がある人間ではなかったが、今はそれより日野と二人きりで出かけるチャンスを逃したくないのだ。

「それは、あとで考えよう。無理やり引き込んだリリにも、少しは援助する義務があるんだしさ」
「リリって妖精じゃないですか」
「今度の土曜日はどう?」

 笑顔で日野の言い分を遮って、火原は明るい声で問うた。日野はうんざりした目つきで火原を睨んでいたが、そのうち深い溜息をつきながら、缶ジュースを見下ろし、

「火原先輩の目的って……」

 などと疲れたように呟くので、火原は、うん、たぶんそれ、とにこやかに頷いた。
 土曜日の約束まで漕ぎつけ、嬉しさで心躍る火原が「暗いので家まで送る」と申し出たが、当然のように却下された。