日野のいう公園は、住宅街にある、近所に住む人たちのためだけに作られたような小さな公園だった。周囲は低い垣根で囲まれ、遊具は滑り台と鉄棒と砂場があり、砂場の側にはベンチがひとつ置いてある。冷たい色を放つ街灯の下にあるそのベンチに近づくと、日野は何も言わず腰掛けた。火原も隣に座って、途中自動販売機で買っておいたコーラとオレンジジュースの缶を両手で差し出した。日野はすみませんと頭を下げて、オレンジジュースを受け取った。
 コーラの蓋を開けて、火原は一口飲むと日野に訊いた。

「香穂ちゃん、この公園が好きなの?」

 日野は、少し間を空けたあと、小さく頷いた。

「ええ……」
「よく遊んでたとか?」
「いえ。子どもの頃は、もっと家から近いところで遊んでました」

 日野の缶は開けられず、膝の上に載せられたままだった。もしかしてジュースは嫌いだったかなと不安になったが、尋ねなかった。

「この辺は住宅街だけど、やっぱり夜はひと気がないね。ちょっと物騒かな」
「そうですね」
「ここにはよく来るの?」
「気が向いたら」
「ふうん」

 日野は相変わらず表情がなく、ぼうっとした目つきで暗がりを眺めていた。何度も思うが、いつも怠そうで、どこか虚ろで、物悲しげな雰囲気は、一体どうしてなのだろう。廊下で土浦と笑っていたときの表情は、明るいとまでは言えないが普通にかわいらしかったし、ときどき火原に見せてくれる微笑も年相応な幼さがあってとても好きなのだが、やはり喜怒哀楽のうち「哀」の感情が彼女の基本要素になっている気がした。何か悲しい出来事があって、ずっとそれを引きずっているのだろうか。聞いてみたいが、下手に地雷を踏んで嫌われるのは恐い。

「おれさ」

 他に特に話題もなかったので、火原はコーラを飲みながら口を開いた。

「正直言って、香穂ちゃんみたいな落ち着いてる感じの女の子と仲良くなることって、今までなかったんだ」

 とにかく日野の機嫌を損ねることのないように、言葉は慎重に選ぶ。

「同じクラスの柚木の性格がきみに近いかもしれないけど、そもそも女友達が少なくて、いつも男とつるんでた。バスケしたり、サッカーしたり、買い物行ったりさ。同じクラスの女の子と一緒にいても、どうしていいか分かんなくて気を遣うし、話すのは好きだけど、ずっと会話が続くわけでもなくて、ぜんぜん別の世界の生き物なんじゃないかって思うときがあってね。
 香穂ちゃんと初めて会ったとき、雨の日のベンチにきみが座ってたときに、おれ、実は、きみに見とれてたんだ」

 日野は黙って聞いていて、今の言葉はどういう意味かという不思議そうな視線を投げてきたので、火原は正直に答えた。

「きれいだなって思ったんだ。きみのこと」

 爆弾発言のような気がしていたが、なぜか羞恥心は、今はなかった。

「煙草を吸っていたのに?」

 日野が、皮肉混じりで言う。

「火原先輩は、私に注意をしに来たんじゃなかったんですか」
「うん、最初はそうだったよ。学院で見かけたことがある子だな、なら煙草吸ってるのはやばいんじゃないのかなって、本当は関わりたくなくて通り過ぎようとしたんだけど、なんか気になっちゃって、引き返して話しかけたんだ。香穂ちゃん、最初すごく素っ気なかったから、おれ、けっこうびびってたんだけど、海を見つめるきみの横顔を見て、赤い髪も、すごくきれいだなって思って……」

 雨の日の、雲の上の太陽の光がおぼろげに飛散する不思議な光景の中の、彼女の華奢な姿と煙草の煙は、今思い出してもなぜか胸が詰まって泣きそうになる。繰り返し思い浮かんでは、夢だったのではないかと疑うのだが、彼女と関わりを持った今、あれは間違いなく火原の現実だった。

「とにかく、見とれてたんだ、君に」
「そんなこと言われても、何も出ませんよ」

 ふっと笑いながら、日野は優しい視線を膝に落とした。

「私も火原先輩のことは知っていました」

 えっと声を上げると、日野はうつむいたまま続けた。 

「いろんなところで見かけましたよ、友達と一緒に楽しそうにしている姿を。よく噂話にもなってました。普通科にも火原先輩のファンは多いみたいですね」
「え、ちょ、う、噂話ってなに?」
「さあ……誰が誰を好きか、とか? よく分かりませんが」

 日野の口から恋愛がらみの言葉が出てきたことに火原は心底驚いたが、その言い草に興味のきの字も感じられず、内心がっかりした。初めからそうだし、期待はしていなかったが、彼女は元より火原という男に対して関心を抱いていないのだ。
 恋愛に関しては火原もからっきしな人間だったが、ここまで望み薄な恋は珍しいのではないだろうか……と遠い目をする。