「和樹ぃ、彼女できた?」

 購買のパンを投げるように置いて、友人の笠原がからかい半分で訊いてくる。屋上のフェンスに背を預けて座り込んでいる火原は、伸ばした脚の間に投げ込まれたパンの袋をごそごそと開けた。

「あれ、サンドイッチ終了?」
「売り切れてたわ。代わりにホットドッグ」

 揚げ物系のサンドイッチを頼んでおいたのだが、ボリュームのある惣菜パンは毎日競争が激しいので、品切れでも仕方がない。昼前、火原は、課題を提出し忘れていて職員室に駆け込む必要があったので、代わりに笠原に昼の買い出しを頼んだのだった。笠原は火原と同じクラスの生徒で、さらさらした黒髪の背の高い男だ。楽器はホルン。いつもマイペースで何事にも動じないので、購買で他の生徒と争い合う気など起きないらしい。
 笠原に金を支払い、ラップにくるまれたロングソーセージの挟まったコッペパンを取り出す。隣に笠原も座り、自分の分の袋を開いた。
 五月。少し汗ばむようになった陽気。快晴。陽射しはあるが風が強いので、体感温度はちょうどいいくらいだ。屋上には、自分たち以外には誰もいない。天気のよい日は混雑していることが多いのに、不思議と屋上に続くドアが開くことはなかった。

「で、彼女できた?」

 空を見上げながら笠原が再び問うてくる。彼はごはん派なので、いつも購買の握り飯を食べている。
 火原はホットドッグにかぶりつきながら、同じく空を見つめて答えた。

「できないよ。笠原は、いつもそればっかりな」
「話題がなくてつまんないんだもん。てか、お前はできないんじゃなくて、作らないんだろ。また告られそうになって逃げてたじゃん」

 つい三日前の話だ。笠原との帰り際、校門で待ち伏せていたらしい知らない女子三人組が火原を見ながら内緒話をしていて、何かと思って見ていたら「今がチャンスだよ」「告白しちゃいなよ」などという言葉が聞こえてきたので、慌てて歩みを速めて前を通り過ぎたのだった。

「でも、あのときのあれって笠原じゃないの、相手」
「和樹のほう見てたよ。てか俺は彼女持ちなんですけど」
「多分おれじゃないよ。全然知らない人たちだったし」
「それは俺も同じだけど」

 火原であろうと笠原であろうと、火原は別段その女子たちに関心はなかったし、笠原は二年生の終わり頃に彼女ができたので、告白を受けようが受けまいが、その先に発展があるわけでもなかった。
 ホットドッグをくわえたまま、紙袋から牛乳パックを取り出し、ストローを差す。

「和樹はロマンチストだかんなあ」

 溜息交じりの声が聞こえてきて、ホットドッグをもぐもぐ噛んで飲み下し、火原は半眼で笠原を見た。

「おれ別にロマンチストじゃないと思うんだけど。好きでもない子とは付き合えないっしょ。付き合う最初の子って大事じゃない? 嫌な思い出はできるかぎり作りたくないよ」
「それがロマンチストなんだよな」

 分かってないなあとでも言いたげに笠原は笑い、ペットボトルの茶を飲みつつ、二つ目の握り飯を取り出している。火原はストローから牛乳を吸い、どういう意味かと尋ねた。

「お互いにちゃんと好きじゃないと、一緒にいたって楽しくないじゃん」
「お互いにちゃんと好きだからこそ、ぶつかり合うわけ。嫌な思い出だって当然できるよ、本音で向き合えばさ」

 笠原と友達になったのは学院に入ってからだったので過去については詳しくは知らないが、今の彼女は三人目という話だ。背が高く頭もいいので、小学生の頃からかなりもてたらしい。うらやましくないといったら嘘になるが、火原は今まで付き合いたいと思うほど人を好きになったことがなかった。告白されたことは数回ある。こちらは好きでもないし中途半端な付き合いをするのは嫌だったので、毎回断るしかなかった。

「けど、嫌な思い出よりいい思い出の方がずっと多いから、大丈夫なもんなんだよ」
「そうなの?」
「和樹はさ」

 そのとき振動音がしたので笠原はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、何かを打ち込み始めた。彼女からのメールだろうか、いいな……と心の中で呟くものの、声に出すのは少し悔しいので見つめるだけにしている。

「和樹はさ、相手の嫌なところとか楽しくないことから目をそむけたがるよね」

 手元を見たまま、笠原は淡々と言った。火原はその言い草に少し傷ついたが、彼はたとえ言いにくいことでもちゃんと相手に伝えられる男だったし、そういうところを尊敬していたので、何も言い返さなかった。
 相手の嫌なところから目をそむけたがる。
 その言葉を頭の中で繰り返したとき、なぜか、休日に公園で見かけた日野の煙草を吸う横顔が思い浮かんだ。