三通目の手紙が、私のミレイユに対する見解を変化させた転機だったと思う。
 このときまでの考えは、やはり彼女は暴力によって義父に服従した状態になり、長年軟禁状態でいたために本来ならば飛び出していける環境から逃げる方法を思いつかないというものだった。だからこそ、義父との関係に自身の存在を見出すしかなくなっているのだ。
 私には、義父のことが心底不思議に思えていた。彼は一体何者なのだろうか? 彼女はしばしば「世間体」という言葉を使い、義父は周囲の目を気にして嘘をつき続けているということだが、それは義父の社会的な位置が相当高いからということなのだろうか。なぜミレイユを自分の娘としてまともに扱わないのに見放そうとしないのだろう。彼女の言う通り、義子をストレス解消の手段としているためか?
 そう考えを巡らせながら過ごした一週間後、三通目の手紙を見て私は驚愕した。
「お薬ありがとうございます。診療費とお薬の代金はランドリーさんに預けてありますのでお受け取り下さい。睡眠薬は必要なときに飲むようにいたします。
 あなた様は、幼い頃からほとんど他人との接触が無い私が、なぜこんなに客観的な視点を持てるのかということを疑問に感じているかもしれません。外部の状況は義父と新聞から、知識は屋敷にある膨大な書物から得るようにしていました。義父は私に対してつらく当たっていながらも、私に知識と社交術だけは身につけるようにと言っていました。いずれ嫁がせるつもりなのか、その真意は分かりませんが、普通の女性として育って欲しいという願望があったのかもしれません。ですから、それなりの知恵は持てるようにと努力はしてきました。小さな頃は義父から読み書きを学んだこともありますし、屋敷の蔵書も読み漁って一生懸命勉強しました。他に知識を得られる場所がありませんでしたから。
 ここまでお手紙を書いてきましたが、あなた様は私の義父の存在を不思議に思い始めているのではないかしら。一体何が理由で私を軟禁状態にし、私を解放しないのか、醜聞を外に漏らすことができないのか。その理由は父の職業にあります。
 私の父は、上級警察官。階級は警視監ですわ」
 義父が警察官――その記述に、一気に今までの謎が解けた。警察官は、この国ではエリートとして爵位の高い貴族しかなることができない職種だった。身分のピラミッドの上部に属するトップであり、裕福で傲慢な貴族たちが大半を占めている。世間の目からすれば、警察という存在は民衆を守るための正義ではなく、自分たちに都合のいいように世の中を運ぶ陰謀と賄賂の象徴となっていた。
 ミレイユの義父は、警視監だという。警察官の中で最も権威ある警視総監の、すぐ下の階級にいるということだ。つまり彼女の義父は、警視監として強力な権力を手にしているとともに、貴族としての外見を失うことが許されない絶対的な地位を占めているということだ。
 相手が警察官であることに、私は絶望感を覚えた。ミレイユが軟禁状態であるというならば救い出してやりたいところだが、下手に騒ぎを起こせば義父が黙っていないだろう。その揺るぎない権力により、私たちの診療所を潰すことも容易である。世間体が破壊されれば、我々は職を失ってしまう。診療所で働く他の三人も医師としての立場を追われることになる。仲間たちが努力してここまで上りつめたことを知っている私には、とてもではないが警察に対抗する術など持ち得なかった。
 私は、医師としての在り方について悩み始めた。私が医師になりたかったのは、収入のこともあるが、全ての人が不自由なく医療を受けられるようにという仲間たちとの決意があったからだ。警察が恐ろしいから診療を打ち切るなどと言ってここでミレイユを見捨てれば、私は仲間たちの志を裏切ることになる。逆に、ミレイユを義父の手から救おうとすれば、今度は仲間たちを危険にさらすことになる。他の三人に思い切って話してしまっても良かったが、警察という言葉が絡むと不安を煽ることになるだろう。彼らも私の動向を気にし始めてしまう。
 どうにかして、彼女を上手い方法で助けてやる必要があった。ミレイユは私の患者であり、救いたいと思ったのは私自身なのだから。
 私はミレイユ宛の手紙に、義父の予定を分かるだけ書いてくれと頼んだ。彼女が来ることができない状態にあるのならば、義父の不在時、私が休診の日に彼女の屋敷に赴いてもいい。ランドリーとの手紙の受け取りが可能だということは、彼らの方法で私が接触を試みることもできるはずだ。やはり手紙のやりとりだけでは無理があるのだ。ランドリーにその旨を話すと、危険だが協力してくれると言ってくれた。
 今度は私が直接訪ねると記して手紙を渡した数日後、ミレイユからの返信があった。案の定、その必要はない、危険だからやめてくれというものだった。しかし、彼女のどこかには軟禁状態から救われたいという願いがあったのかもしれない、あるいは、私たちとの接触のせいでその気持ちが芽生えたのかもしれない。手紙には義父の行動について書かれていた。仕事は定時であるが、時おりミレイユが外に出ないように(外見は留守の間のセキュリティのためであろうが)屋敷の周りに専属の見張りを派遣している気配があるという。見張りがいる時間帯や曜日も不定期なため、義父の仕事中はあまり接触しない方がいいとのことだった。以前、義父が留守で、ランドリーが彼女をメゾンテラピーまで連れ出したときは、幸運にもその時間帯に見張りがいなかったということなのだろう。それ以外では、毎週、決まった曜日にサロンに出かけているということだ。サロンへ行く場合、帰宅の時間がまちまちなため、見張りがいないことが多いらしい。
 私はその時を狙って、彼女と接触することを申し出た。返信を待つと実行まで延びてしまうため、ランドリーに屋敷周辺の地理を教えてもらい、先に彼女に会いに行くという旨を伝えてくれと頼んで、その日、承諾無しに彼女の屋敷へと向かった。