初診を終えて一週間後、隣の屋敷の使用人により、ミレイユの一回目の手紙が私に手渡された。私の身元がばれないように配慮された無記名の手紙には、達筆な様子でこう書かれていた。
「嘘を申し上げてもあなた様がお困りになると思いますし、時間もかかってしまいますので正直に説明いたします。
 私は幼少時より義父から愛されることなく、使用人のような扱いを受けてきました。本当の子ではない私を愛せないのはもっともだと思いますし、義父の気持ちは私自身も理解しております。私を外に出さないのは、義父が非常にプライドの高い人間だということもありますが、私を外に出してもそれほど意味がないためだと思われます。義父は、私が実の子で無いこと以外に、私が普通の女性らしい姿に成長できなかったことが気に入らないようなのです。母の身分が高かったこともあり、持参金は大いにありますが、背も低く、小柄で、一見すると幼い少女のような私を娶ってくれる貴族はいないと考えているのでしょう。亡くなった母は背が高く美しい人でしたから、母と比較している節もあるのだと思います。
 義父の私への暴力は、目につかない場所、たとえばドレスで覆われる腕や背中などに鞭を打つといったものです。ただ、控えめですから、耐え難いというものでもありません。それも頻繁にではなく、私の不手際などがあって癇癪を起こしたときだけです。一度、葉巻の火を腕に押しつけられたことがありますが、私が思う中で一番ひどかったのはそれくらいです。暴力が激しくなったのはここ五、六年の間でしょうか。嫁げる年になっても、私が女性らしい身体にならなかったからだと思います。
 義父は私に対して高圧的になることが日課となっているため、屋敷に使用人を雇おうとしません。下手に噂を流されると困りますし、立場もあるからでしょう。きっとあなた様は、義父はなぜ私を捨てて、さっさと新たな家庭を見つけないのかと不思議に思っていることでしょうが、それも義父の世間体へのプライドのためです。余所様には、父と娘が仲睦まじく暮らすという体裁を守り続けています。血の繋がっていない娘を捨てるなんて簡単なことですし、実行しても誰からも咎められないと思いますけれど、もしかしたら私に対する権威に中毒があるのかもしれません」
 一度目の手紙は、そこで終わっていた。この前の面談の際も、虐待されているにしてはやたら動じない女性だとは思っていたが、筆にも文章にも全く迷いがないのは奇妙なほどだった。
 彼女の隣の屋敷の使用人には、返信は安全上出さないが、次の手紙には自身の体調のことを付け足してもらいたいとミレイユに伝えてくれと頼んだ。

 二通目の手紙は、こういった内容だった。丁度、仕事が慌ただしい時期だったが、手元に届くとすぐに目を通した。
「体調のことですが、時おり不眠がちになることはあります。陽の光が差さない日が続くとそうなります。でもあまり気にしたことはありません。本来はあなた様のところへ行くべきなのでしょうが、あいにく私は外出を許されておりませんし、義父も毎日自宅に帰ってきますから、こういった手間の多い形になってしまって申し訳ないです。
 あなた様は、きっと私が義父を憎んでいると考えていらっしゃるかと思います。確かに私たちは憎み合う関係ですが、私は義父が私を憎むほど義父を憎んではいません。私の母を心から愛していた風景を幼少時に見ておりますし、初めは私を愛そうと努力した義父ですから、そう簡単に憎むことが出来ないのです。それに、私には他に身寄りがおりません。というのは、母が親類から絶縁されていたからです。世の中では女の再婚は良い意味に捉えられていませんから、義父と再婚する際、母は親戚に縁を切られてしまいました。元の夫との結婚――つまり私の実の父との結婚ですが、それをちょっとした理由で親類から反対されていたらしく、周囲の母への風当たりが冷たかったというのも追い打ちをかけたようです。幼かった私には、両親の詳しい事情がよく分かりませんでしたけれど、そういうような話だった気がしますわ。
 義父は、今では私を愛する努力もしていませんが、私の方はおそらく義父を愛そうと努力しているのだと思います。私は義父に愛されることを望んでいるわけではなく、ただ私自身の存在を義父との繋がりの中に見出したいだけなのかもしれません。他に私の世界はありませんから(隣の屋敷の使用人の方――名はランドリーというそうです――との接触も、私の人生においては一大事です)、今ある世界で私はどうにか自分を見出すしかないのです。義父を失ったら、私には他に何も無いのです。たとえ義理の家族であっても、義父の他には、何も無いのです」
 最後の文を読んで、私は脈が早くなるのが分かった。彼女の考えていることが、かつての自分と重なった。不注意のせいで家族から父を奪い取った私が、家族をどうにか養おうと懸命に考えていた頃。今でこそ仕事や友人があるが、あのときの私には家族しかいなかった。ただ家族のために生きることだけを考えていた。
 彼女もそうなのだろうか。あの小さな身体の美しく強い瞳をした女性も、あの頃の私のように家族だけが唯一の繋がりなのだろうか。罪深い自分が生きることを赦されるための方法――悲しませた家族のために生きるということ。そこに生きる理由を見つけること。
 それは、決して幸せな生ではない。私の後ろには、いつでも父を失わせたという悲しみと罪があった。私は家族を苦しませたがゆえに家族を幸せにしなければならなかった。それは、確かに生きるための目的だが、罪がある限り永遠に続く懺悔の生なのだ。
 だが、彼女に罪は無いだろう。ミレイユという少女は、両親の事情に巻き添えにされただけであり、彼女自身に落ち度はない。私のように家族を失わせたわけでもない。彼女が受けているのは、いわれのない暴力だった。本来ならば受け入れるべきではないし、長年同じ状況で生きてきた彼女が義父の愛情を得られる可能性は低い。彼女は、あくまで被害者である。
 もう少し話を聞く必要がある。次の手紙までの一週間、彼女が暴力を受けているというのなら強制的な保護も考えたいところだが、そこまでいくにはまだ状況が不透明すぎた。出来れば彼女に会って話をしたかった。患者の目線や表情も、重要な診断材料になるからだ。しかし、それが不可能な間は仕方がない。屋敷の隣の使用人――ランドリーに、何かあればすぐに連絡してくれと頼み、睡眠導入剤と具合が悪いときの対処法を書いたメモ書きを添付し、彼女に手渡すように言った。